☆Harcourt Brace 社初版☆
レイナル・ヒチコック社は無くなってしまいました。1948 年に 協同経営者の Curtise Hitchcock が死んで、すっかりやる気をなくした社主の Eugine Reynal は、アメリカ国内での The Little Prince や Le Petit Prince その他の出版権ともども、Reynal & Hitcick 社を Harcourt & Brace 社に売り払いました。
【ハーコート・ブレイス社は、最初の版から現在に至るまで、1943年に自社が出版権を獲得したように記載していますが、1943年に出版権を“獲得”したのはレイナル・ヒチコック社であってハーコート・ブレイス社ではありません。出版権を買い取った年を明記すべきであろうと思われます。】
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向う側;表紙をむき出しにしたところ。手前;カバーをかけた状態。 カバーは少し上方にずらして、表紙の下部を露出してある。光の反射のため、向う側の表紙は白っぽく写っている。表紙の色は手前の方が実物に近い。 |
この、背の下端部分が問題。

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それぞれ左側がカバー、右側が表紙。下はその部分拡大図。 背部分の下端に注意。カバーには“Harcourt, Barce & Company”,表紙には“Reynal & Hitchcock”と印刷されている。 |



中央の“K.7.56”“L.8.57”は、1956年7月第11刷・1957年8月第12刷を表す。
コピーライトは(ハーコート・ブレイス社ではなく)レイナル・ヒチコック社
【後にこのコピーライトも“1943 Harcourt & Brace”に変えられてしまう。】
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表紙と版権だけは“Reynal & Hitchcock”版と言うわけです。はじめのうち私は、背の“Reynal & Hitchcock”の文字に気づかないまま、残っていた表紙あるいは原版をを流用したのだろうと思っていました。資料が増え、発行年を類推できるようになってみると、この版は14刷あるいはそれ以上、年数にして10年以上にわたって発刊され続けていたらしいことが判ってきました。となれば、「残っていた表紙の流用」説は消え去ります。「原版流用説」にも無理があります。インク印刷用の鉛版用紙型ならともかく、型押し用原版の寿命は、そんなに長くはないでしょう。だいいち、こんなに長く「気づかないまま」発行し続けたとは考えられません(読者からの質問や注意だってあった筈です)。しかし、このような形で“Reynal & Hitchcock”の名を残すというのも変な話です。解かねばならぬ謎がまた一つ増えてしまいました。
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「表紙だけではなく、中身もレイナル・ヒチコック社版ではないのか?」と思う方いらっしゃるでしょうが、中身は疑いもなくハーコート・ブレイス社版です。
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割当ページの違いだけでなく、左右逆転していることに注意。 |
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レイナル・ヒチコック社版のページ割りには無理があり、製本コストは割高なものだったはずです。ハーコート・ブレイス社はもっと合理的なものに変更しました。そのかわり、サンテックスが校正した原書とは異なる挿絵配置になります。ハーコート・ブレイス社は大胆にも、幾つかの絵を裏焼きに改竄しました**。
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