ドイツ軍もサンテックスの捜索をした ???
フランス駐留ドイツ軍暗号担当将校7月31日の日記には、地上目標に対する戦闘があったことしか記されていません。また、連合軍情報部隊は、ドイツ軍各部隊(と基地と)の交信を傍聴していましたが、フランス南部での4月31日の交戦はありませんでした。
Nick Beale 氏 に依れば、Georg Pemler 氏が著作中で以下のようなことを述べています;
Pemler recounts the enquiries that were made in NAG 13 and with JG 200 and Flak units when an Allied message was heard, in clear, over the emergency frequency alerting listeners to watch out for a missing P-38 and naming the pilot. (Pemler knew Saint-Exupéry from reading some of his books). There were sighting reports from German ground echelons of a high-flying reconnaissance aircraft but nobody made any claim of shooting it down.
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すなわち、
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- 連合軍が緊急無線*で、P-38**と、それに搭乗していたサンテックスの行方不明を告げていた。(ペムラーはサンテックスの本を読んだことがあり、その名前を知っていた)。
* 通常交信とは異なる周波数帯域。交戦時の実況報告と同じく、緊急電は暗号化を行わない平文*が原則。
* 緊急 emergent と 至急 urgent の区別を厳密に行っているか否かに疑問が生じました。 “Emergeny”は、敵襲のような勃発事項を意味し、暗号化する時間が惜しいのと、敵方が把握している事態に関して暗号化した文章を発信すると暗号解読の手掛かりを与えてしまうことになるのとで、暗号化しない。それとは異なり、「至急」ならば暗号化を行っていたはず。
帰投時間が迫っての「ドレスダウン6」呼び出しは交信電話で、事実上の「平文」(ただし、サンテックスの実名が使われることはない筈)。それ以降の、各基地に対するサンテックス行方問い合わせは「至急」が妥当と思われる。
上欄記事は2次/3次資料なので、英訳の正確性に問題があり、原報を調べてみる必要があります。暗号化の有無については、当面、結論留保です。
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** F-5B の誤り
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- 南仏一帯の部隊(リッペルトが配属されていた JGr200 を含む)に、該当する事態(交戦/撃墜)の有無を問い合わせた。
- 地上部隊から「高空を飛ぶ偵察機を視認した」報告が上がってきただけで、撃墜報告はなかった。
- 【ペムラーは暗号解読にかかわった 2./NAG 13【N.A.G.= 近距離偵察航空団】の中尉(ルーマニア出身)。若輩搭乗員のリッペルトとは異なり、サンテックスの本を読んでいたことに何の不思議もない。名前を知っていたから記憶に残り、後日著作の中に書き記すことになった。
曲解してならないのは、サンテックスのファンだから特別に調査を命じたわけではないこと。敵が緊急電/至急電で未帰還を告げるほどの(有名人または作戦上に支障を来す高級軍人)搭乗者がいれば、味方が撃墜したか否かを確認するのは当然の行為【調査をしたのは、ペムラーが所属したのとは別の上部組織】。不時着等で生存可能性がある高級軍人ならば、捜索命令を出す。地域の特定ができない以上、捜索命令は出しようがないし、作家として有名なだけの下っ端パイロットは、無理に捜索するほどの価値はない。(軍が堕落すると指揮官が部隊を私物化して、自分の興味で出動を下令したりすることが無いではないが、旧ドイツ軍にそんな例は見られない。現地司令官が「サンテクスのファンだったので」捜索命令を出したというバカな説は、統制の取れた軍というものを知らない妄言に過ぎない)】
捜索命令は出していないし、現地部隊が独断で捜索行動を取った形跡もありません。
【6月6日には史上最大規模でノルマンディーに上陸され、この時期、西部戦線は敗走続き(8月25日にはパリ開放)。イタリア戦線では守勢。決行の日時は別として、南フランス上陸作戦(ドラグーン作戦)の概要もつかんでいました。それなのに、南フランスに配備されているのは東部大隊を含む二線級の部隊ばかりで、とても敵の上陸攻勢は支えきれません〔実際に、初期の抵抗を終えると、あっさりと北方へ撤退する〕。ドイツ軍には、捜索をしているような余裕はなかったと思われます。
ドイツ国軍は、非常事態でもない限り、下令なしに現地部隊が独断専行することは殆どない組織でしたし、独断で行動を起こしたとしても、事後報告がないことは考えられません。日記をつける習慣があった将校の当日の項(サンテックス未帰還情報の記述はある)に記録がないのは、そのような報告(=捜索活動)は無かったと見るべきでしょう。「ドイツ軍がサンテックスの捜索をした」という流言は、日本語サイトだけで流布されている珍妙な情報です。】
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