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リッペルト氏の全撃墜記録を調べあげようとしています。しかし、1944年7月31日の記録が出てくる可能性は、絶望的です。 サンテックスが撃墜された可能性については、既に何人もの人や団体が、それぞれ、かなりの時間と労力をかけて調査した結果、「 同日の撃墜記録も、P-38 型機との交戦記録も、存在しない」【前日の撃墜記録:Gene C. Meredith 中尉(23rd Photographic Squadron) F-5B No. 42-68294,を31日と誤記したものが一件ある】と結論を出しているからです。 国民性のしからしむる所なのでしょうか、ドイツ軍は、歴史上一・二を争うほどきっちりと文書を残す軍隊でした。都市部に対する無差別爆撃まで受けて敗戦に及び、複数の国による分割占領を受けた後、分裂国家になってしまったというのに、公式文書のかなりの部分(またはその写し)が、追跡可能な形で残っています。プロヴァンス地方一帯での7月31日の記録も、亡失していないからこそ上記のような結論が出されたのでしょう。 Horst Rippert という具体的な名前が挙がりましたので、今一度、記録を精査する必要がありますが、新しい記録が出てくる可能性は殆どありません。しかるべき理由がないのに記録がなければ、氏の証言の信憑性は、極めて低いものになります。全戦績をあげつらって、7月31日の交戦・撃墜記録の有無を調査するのは、氏の証言に対する反証を整えることになってしまうでしょう。 今回出版された本は、この反証に耐えられるだけの内容があるのでしょうか。 |
| 以下の記述を突き合わせていただけば判るとおり、矛盾した内容も含まれています。どちらが正しいのか、私には判りませんので、判断材料が増えて取捨選択が可能になるまで、とりあえずそのまま(矛盾点・不明確な箇所を指摘したうえで)掲載します。 |
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リッペルト氏が所属した 3./J.Gr.200(第200戦闘航空大隊/第3中隊)の、7月31日前後の動向は、下記の通りです。
8月1日に、アヴィニヨンにいた第2中隊が、Aix-en-Provence に進出し、入れ替わりに第1中隊と第3中隊が Aix-en-Provence を引き払って Orange-Caritat と Dijon† に後退しています。
7月31日の記録が失われたわけではありません。下欄に示すように、少なくとも8月12日までの 3./JGr-200 の撃墜記録は、通常通り残されています。すなわち、31日の南仏一帯は不気味に静かで、「空中戦はひとつもなかった」と、ドイツ空軍の公式記録は告げているのです。【7月31日に航空戦闘がないのは、ドイツ軍側が移動に余念がなく(もちろん、連合軍側も大事の前の自重時期で)、積極策をとらなかったためであろうと考えられます。】 |
Horst Rippert の撃墜スコアに関するフォーラムで拾った、現在確認できる記録は、以下の20+1 です。撃墜スコア28**(+1;1944.12.02 公認漏れ)【うち四発機10, 双発7】と伝えられますから、あと 8 件残っています。その中に1944.07.31が含まれているかどうか。
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2006.7.16 (すなわち、今回のリッペルト証言が出版される以前)の段階で、以下のような議論が、あるフォーラム(http://forum.12oclockhigh.net/showthread.php?t=5447 )でなされていました。
要点は:1)Horst Rippert 氏は 20 〜 29 の撃墜数を主張/申請している、2)この値は確認/公認できていない、3)(戦争の)晩期に申請されているが、終戦間際のできごとをカバーできる文書が殆どない。 随分精力的に調査したつもりですが、撃墜数は20+1で止まってしまいました。私の微力をもってしては、早急にこの数値が上昇する望みはありません【私は上記フォーラムのメンバーではありませんから、投稿することも、Prien 氏に直接質問書を送ることもできません。仮にそうしたところで、事態は変わらないでしょう】。まだ結論を出す時期ではないので、今暫く事態を見守ることしかできませんが、明るい期待を抱ける状態ではないと思われます。 現状で暗黙のうちに示唆される可能性のひとつ;「Rippert 氏の申請には事実と異なるものも含まれているのではないか」という、極めて深刻な疑問も、考慮しなければならないのかも知れません。もしそのような事態になれば、「サンテックスを撃墜した」という言明の信頼性に及ぼす影響は、はかり知れません。 | |
| ** 撃墜28機といえば、他の国ならば「エース」ですが、Rippert はまったく無名です。ルフトヴァッフェ(ドイツ空軍)では、100機以下はものの数に入りません。【352機(公認)撃墜のハルトマン Erich Hartmann を筆頭に、撃墜数100機以上のエースが104人。ただし、どこの国でも退勢期の操縦士は、基本的に「消耗品」(着任後せいぜい数週間の命)なので、リッペルトの戦闘技能はなかなかのものです。】 |
【表中の彼が所属した部隊名は、JG 27 ⊃ JGr Süd ⊃ JGr-200 の関係にありました。】
少なくとも7月24日まではガンカメラの記録フィルムが残っています。8月12日のフィルムナンバーは間違いと思われますが、8月以降ガンカメラの使用をやめたと考えるべき理由はありません。7月31日も、ガンカメラは積んでいたものと推測されます。
| 年 月 日 時 刻 | 機 種 撃墜 No. | 場 所 高 度 | 記録/証言者 | 備 考† |
| 1944.03.07 10:46 | B-17F | 120km S. Toulon 3500m | Film C.2025/I Anerk: Nr.2 | 所属:E.-Kdo./4./J.Gr.Süd |
| 1944.03.11 12:03 | B-24 | 40km S. Toulon 5500m | Film C.2025/I Anerk: Nr.5 | 所属:E.-Kdo./4./JGr Süd |
| 1944.05.07 11:23 | B-26 | EI-8(EI-6), E. Tonnere 3200m | Film C.2027/I Anerk: Nr.1 | 所属:NJKdo(Eins.-Kdo.)(6/Kdo.)./JGr Süd 14 SAAF |
| 1944.05.13 16:37 | Mosquito* | BK-5-8 8000m | Film C.2027/I Anerk: Nr. 2 | 所属:NJKdo(Eins.-Kdo)./Jgr Süd リッペルト撃墜戦果中の最高高度。 |
| 1944.05.25 13:59 | B-24 | BO 7-8, Draguignan 4500m | Film C.2027/II Anerk: Nr.3 | 所属:E. Kdo Jgr Süd |
| 1944.05.26 09:58 | B-24 | DO, S. Cap Cameret 3500m | C.2027/II Anerk: Nr.7 | 所属:E. Kdo Jgr Süd |
| 1944.06.25 09:58 | B-24 | BL 8 - BL 1, S. Marseille 3000m | C.2027/II VNE:ASM | 所属:3./JGr-200 |
| 1944.07.05 14:09 | P-51 | 04 Ost S/DL, S. Marseille 4000 m | C.2027/II Anerk: Nr.25 | 所属:3./JGr-200 |
| 1944.07.24 12:05 | B-24 | 04 Ost S/CL-2, 10km SW Marseille ? | C.2027/II Anerk: Nr.fo. | 所属:3./JGr-200 |
| 1944.08.07 09:35 | B-25 | ? ? | ? | 非公認?, 所属:3./JGr-200 Jean Bernard Frappé |
| 1944.08.08 09:35 | P-47 | ? ? | ? | 非公認?, 所属:3./JGr-200 Jean Bernard Frappé |
| 1944.08.12 10:31 | Spitfire | DN-3, N.E. Hyères 2000m | Film C.2025/I (?) VNE:ASM | 所属:3./JGr-200 |
| 1944.08.12 P-47 撃墜(3./JGr-200, P-47 BN-7 3000m [N. St. Maximin] 1828)が Horst Rippert と誤って伝えられることが多いが、 Ofw.(曹長) Eduard Isken の戦果であるとされている。 | ||||
| ドラグーン作戦(1944.08.15) に追われて南フランスから撤収し、1944.08.24 ディジョンに集結。Jgr200 は9月に解隊。リッペルトの、これまでの撃墜総計19(?) | ||||
| 1944.11.02 ? | P-51 | ? ? | ? | 非公認, 所属:13./JG 27 n.b. Raum Halle Prien: JG 27 Lists |
| 1945.02.22 15:05 | B-26 No.21 | SW Münster ? | ? | 所属:13./JG 27 IV./JG 27 List ; Prien, Rodeike, Stemmer |
| 1945.02.24 08:30 | Typhoon** No.22 | N Düsseldorf ? | ? | 所属:13./JG 27 III. & IV./JG 27 List ; Prien, Rodeike, Stemmer |
| 1945.04.25 15:20 | Yak-3*** No.23 | 10km W Nauen(ベルリン北西50km) ? | ? | 所属:7./JG 27 II./JG 27 List ; Prien, Rodeike, Stemmer |
| 1945.04.25 15:21 | Yak-3*** No.24 | 10km W Nauen ? | ? | 所属:7./JG 27 II./JG 27 List: Prien, Rodeike, Stemmer |
| 1945.04.26 ? | Yak-9*** No.25 | ? ? | ? | 所属:5(?)./JG 27 II./JG 27 List ; Prien, Rodeike, Stemmer |
| 1945.04.27 ? | Il-2**** No.26 | ? ? | ? | 所属:7./JG 27 II./JG 27 List ; Prien, Rodeike, Stemmer |
| 1945.04.30 ? | Spitfire No.27* | ? ? | ? | 所属:7./JG 27 II./JG 27 List ; Prien, Rodeike, Stemmer |
| 1945.04.30 ? | Spitfire No.28* | ? ? | ? | 所属:7./JG 27 II./JG 27 List ; Prien, Rodeike, Stemmer |
| † E.-Kdo(Einsatzkommando アインザツ・コマンド) :実戦部隊。NJ(Nachtjagd ナハト・ヤークト) :夜間戦闘。J.G.(Jagdgeschwader ヤークト・ゲシュヴァーデル) :戦闘航空団。J.Gr.(Jagdgruppe ヤークト・グルッペ):戦闘大隊。 |
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* デハビランド DH98 モスキートは、英国製の双発高々度高速偵察機。胴外板は木製。爆撃機・戦闘機等の派生型がある。 |
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** Typhoon は、アメリカ製の戦闘機 |
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*** yak-3, yak-9 は、ソ連の戦闘機 |
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**** Il(イリューシン)-2 は、ソ連の単発攻撃機。初期型は単座であったが、後期には後部銃座を備えた複座型となる。急所に中らない限り、撃っても撃っても墜落しないほど頑丈で、「空飛ぶトーチカ」と異名を取った。 |
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* この2機が第27戦闘航空団最後の戦果となった。スピットファイアは英国の主力戦闘機。 |
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