サンテックスを撃墜した男?

リッペルト説検証

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『自殺説』の意味

 まだ読み終わってはおらず、諸資料と見比べながら検討中の段階です。結論めいたことを述べる時期ではないのですが、「詐説」として退けてしまうのではなく、(リッペルト説そのものは受け入れられるものではありませんが)「消極的」という条件付きながら、正面切って「自殺説」を主張した初めての本格的な書物と評価すべきではないか、と考え始めております。

 リッペルト説は肯定し難いものです。そのことを von Gartzen 氏は、解っているように思われるのです。少なくとも、引き揚げたダイムラー・ベンツのエンジンを追って、Alexis zu Bentheim に辿り着く過程は、実に実証的で堅実です。それに較べるとリッペルト説は、同一人物の作業とは思われない程、仮定ばかりで実証抜きの危うい論法なのです。にも拘わらず、これほど大々的に「撃墜説」を展開する動機は二つ考えられます。

 第一は、極めて単純に、経済的な魅力です。得られる収入を無視するわけには行きません。それには、逸してはならないタイミングがあるのです。軽率に過ぎることは重々判っていても、この機会を逃すわけには行きません。まるで瓢箪から駒(馬)が出現したように、突然「リッペルト告白」が飛び出してしまいました。口に出してしまった以上、もし Gartzen 氏がこれを無視すれば、彼は他の人にその話をするでしょう。ものにする気があるのならば、それを取り込んで、口止めをしておかねばなりません。リッペルト説を外してしまったら、回収されたベントハイムのエンジンの話が、赤字出版になることは明白です。更に、リッペルト氏の年齢を考えれば、発表は急がねばならないのです。

 第二の可能性は、かねがね抱いていた「サンテックス自殺説」を、抵抗少なく主張できる絶好の機会を得たと判断したのではないか、と言うことです。「自殺説」には大きな抵抗があります。フランス国民と世界中の読者たちの大部分にとって、サンテックスは英雄なのです。「祖国のために死んだ」勇気ある戦士であり、自己の主張を行動で示す類い希な作家であり続けねばなりません。「自殺」は(とりわけ、キリスト教徒にとっては特に)とんでもない話です。そして、「自殺」であったら、経済的にも精神的にも、大打撃を受ける人々がいます。ダゲー一族です。ことある毎に訴訟を構えて自己の権益を守ろうと奔走した彼らが、「自殺説」を放置するわけがありません。マスコミを使って非難意見を表明し、名誉毀損のかどで訴訟を起こしかねないことは、想像に難くありません。執筆を考える人間にとって、ウンザリするような障壁です。「撃墜死」のオブラートは、これらの抵抗を上手く回避させてくれるかも知れません(最悪の場合は、リッペルトに責任を押しつける用意もできています)。事実、「リッペルト説は自殺説である」という批判・論評は、今のところ上がっていないようです。噂の域を出ない不確実な存在であった「遺書」の実在を明らかにしたことと相俟って、(将来、リッペルト告白が嘘であることが明白になるときが来ても)一見実証的な衣をまとって『消極的自殺』を世界的に主張した功績は、高く評価して良いと思われます。【墜落海域がカランク沖であることは動かし難いので、イェール近辺から、(サンテックス機であるか否か不確実ながら、レーダー捕捉された)グルノーブル付近を経てカランク沖までの航路候補の一つとして、ガルツェン説を否定する根拠はまったくありません。反面、リッペルト告白を信用する根拠もまた、皆無と言って良いのです。つまり、ガルツェン氏が提起する飛行コースを飛んだかも知れないことと、リッペルトが撃墜したこととは、分離して考えるべきだと言うことです。】

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Der Prinz, der Pilot und Antoine de Saint-Exupéry

 予約してあった本がようやく届きました。「予定より遅れる」と連絡があった後、昨日(2008.10.17)やっと配達されたのです。コピーライト2008年とある以外、何処を探しても発行月日の記載はありません。【世界中で Amazon.de だけが2008年8月1日初版とアナウンスしていますが、何かの間違いであろうと思われます。】

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 220ページを、“Antoine de Saint-Exupéry”“Der Prinz”“Der Pilot”の3章に分けて記述します。一気に読み通す時間も気力もありませんし、ダイムラー・ベンツ社製エンジン引き揚げの経緯やベントハイムの経歴なぞを読んではいられないのですが、事情が結構入り交じっている箇所もあるようなので、素通りするわけにも行きません。それに、サンテックス関連で鮮明な写真類があったり、ハイヒェレに関する記述があったりもします。
 リッペルトの乗機が Bf 109 G6 であったことは確定しました。肝心のことに関しては、205ページに載せられた下の航路図の前後に記述されていますが、ざっと目を通した限りでは、やはり、必要/決定的なことは書いてないようです。

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 9時10分;海岸線(サントロペ上空付近。von Gartzen 氏は“Hyéres”と表現)通過
 10時15分;作戦域突入(ヴァランス東方)
 11時15分;作戦域離脱(グルノーブル南方)、
の3点は飛行予定ポイントで、12時15分ボルゴ帰投予定だったといいます。
 11時40分にリュウ島上空で会敵・撃墜*とありますが、発見したのはツーロン近辺の筈。それに、プロペラ機ですから、発見から撃墜までは、数分間経過するはずです。(本文では「11:40 サンテックス機を発見」とあります。)
 重要なのはサンテックスの航路**です。往路でリヨンをかすめていますが、本当にこのような航路を飛んだのか、検証(レーダーによる軌跡の記録・目撃報告の有無)が必要です。もしこの通りであれば、サンテックスは明らかに死に場所を求めて飛行を続けたことにならざるを得ません***【むしろ、「サンテックスの自殺行」という仮説に添って、航路が選ばれているのではないかと思われます。】
 このタイムコース(リヨン航過と、帰路の海岸線におけるマルセイユ方面への回頭)がどのような根拠の上に描かれたのか、精読のうえ、資料を検討したいと思っていますが、それには時間がかかりそうです。

* リュウ島近海で残骸が発見されたことは、リュウ島近辺に墜落したことを意味するものではありません。ここから東へは良好なトロール漁場で、別の地点に海没した機体が、何度も網に引きずられ、数年〜数十年かけてここ(リュウ島近辺は、漁場西端の「ゴミ捨て場」です)に到着するに至った可能性は小さくないのです。
** 同氏が フランクフルター・アルゲマイネ紙 に寄稿した記事 (2008.03.18) 中のサンテックス航跡(「Jacques Pradel 氏の航路図 (2008.03. )」下に記載した欄参照)とは異なっています。Jacques Pradel 氏の航路図 (2008.03. ) とも微妙に異なる行程です。
*** 少なくとも3箇所、迎撃戦闘隊が駐留する飛行場(ヴァランス, ブロン, アンベリュー)の近くを(わざわざ)選んで飛んでいますし、その他に、高射砲陣地の射程域と思われる地点(一万メートルは、重要施設周辺に配置されたドイツ軍高射砲の射程高度内の筈)をも通っています。もちろん、高射砲射撃管制・戦闘機隊誘導/指揮レーダーサイトの受け持ち区域内(当然のことながら、それぞれのドイツ側レーダーサイトに捕捉され、その記録や高射砲陣地への指令が発せられていたはず)特に、リヨンやツーロン上空を飛ぶことは(それが偵察目標でない限り)あってはならないことです。

(2008.10.18 追加)  

 
リッペルト説によるサンテクス最終フライトの再構成 と会敵

 既に何度も指摘しているとおり、Pradel 氏の“ST-EXUPÉRY L'ultime secret”は、デタラメと言って良い点を多く含み、信用するに足りない出来でした。本命である von Gartzen 氏の“Der Printz, der Pilot und Antoine de Saint-Exupéry”上梓が半年後に予定されているのは、「その間に集まる情報・その他をアテにしているのではないか」と疑問を呈しましたが、半分はあたっていたようで、Nick Beale 氏・他の批判を取り込み、それに対応すべく、更に資料集めに努力したようです。84点もの文献・証言・参考考察(ただし、うち20はサンテックスの作品・文章)を列挙した本格的なものとして姿を現しました。
 ざっと目を通した限りでは決定的な証拠はなく、第一印象としては(やはり)新説を唱える程の根拠に乏しいと思われます。読み進めながら、少しずつ追加・更新をして行きます。

   文字色分け:事実レーダー捕捉(未確認),計画(未確認/非実現),リッペルト説【RenardBleu による注記】, [ページ番号または出典]
下欄に示すとおり、同じ情報源の筈なのに、Pradel 氏の記述と von Gartzen 氏の記述とで矛盾があります。
同一書籍の中にも記述や証言・文献の内容に混乱があるので、再読・再々読しながら更新・訂正を進めます。
時 刻ST-EXUPÉRY L'ultime secretDer Printz, der Pilot und Antoine de Saint-Exupéry
  目標:Grenoble - Annecy。Hyéres 経由で約 600 km, 90 分の飛行で到達予定。(サン・トロペや、幼少時代を過ごしたラ・モールの近くを通過する)[p.200 本文]【ボルゴからアヌシーまで、直線ならば約 450 km】
08:45サンテックス、ボルゴ飛行場(バスティア・ボルゴ基地)離陸
09:05コルス岬のレーダー(連合軍)サンテックス機 Hyéres 近辺で海岸線通過を確認。 [1948, L. Werth]
Cannes にあるドイツ軍のレーダーが、離陸から海岸線航過までを報告。 [Pemler Lander【Landser?】 2/93]
【F5 の巡航速度は 490km/hr 前後だから、Borgo - Hyéres 間は30分程度と考えられる。上昇・上空占位にかかる時間(6000m までに約6分。これから1万メートルまでは、更にこれ以上の時間を要する。この間、水平対地速度は激減。旋回上昇すれば、水平移動速度はゼロ。)を勘案すると、08:45 Borgo 発進 [Pradel : p.161]、25分後に海岸線通過 [p.56] には少々無理がある。計算も合わない(09:10 の筈)。】
コルシカ島のレーダーステーション“コルゲート”が、Hyéres 近辺で海岸線通過と報告。 [p.200 本文]【左欄註記参照】

【左欄註記に述べたように、P38 型機の巡航速度から推して、仮に 08:30 ボルゴ離陸としても、この時刻に海岸線通過は無理(同一書内での、下欄の記述とも矛盾)がある。もし、本書や Pradel 氏が言うように、サンテックスが飛行計画を無視し、巡航速度を遙かに超えるスピードで飛んだのだとすれば、彼の「死に急ぐ」気持ちがそうさせたのだということになるだろう。】

09:10  Hyéres 方向に向けて飛行中 (地中海上空)。[p.205 の地図説明]【上欄と矛盾】
09:30 飛行計画:海岸線航過。[p.205 の地図説明]
10:00ドイツ軍:Chazells-sur-Lyon のレーダーステーションが、Annecy - Grenoble 間を高々度で行ったり来たりしている単機飛行中の機体を確認。 Bron(リヨン東郊外)と Aix en(Aix-en-Provaence:リッペルトは Aix-les-Milles 飛行場に駐留)に警報発令。[ST-EXUPÉRY L'ultime secret p.161-162]
 【 Falter と連携している戦闘機隊は、 Bron(リヨン東郊外), Ambérieu(リヨン東 約50km), Valence(リヨン南100km)の3飛行場。発見空域に一番近いのは Ambérieu だが、F5B は脚が速いので逃げられる虞が強い。Valence から回り込めば邀撃可能なので、邀撃命令を出すのなら Valence に下令するのが順当。Bron に警報を発令したのなら、その後リヨン方面に飛来する可能性があると判断したことを意味する。】
 【Aix-en-Provence は Falter(Chazells-sur-Lyon)の管轄下になく、警報発令は別の管区指揮所が行うはず。Chazells-sur-Lyon からは遠すぎて、プロバンス地方(Aix-en-Provence・Castellane・Draguignan)上空はとても監視できず、当然、受け持ち区域ではない。】
 【また、複数のドイツ軍レーダーステーションが Castellane(Draguignan 北方約 30km)方面へ高々度を飛行する単機を報告、Draguignan 上空まで監視したと述べている。 上記理由で、Falter(Chazells-sur-Lyon)は除かれる。】
2機のドイツ軍戦闘機が発進。[p.202]
10:15 飛行計画:目標地域に到着。[p.205 の地図説明]
10:15 - 11:00本文では「(サンテックスは)2000メートルの高度を飛んでいた」と述べる [p.60] が、Annexe 2 では「(11:00 頃)海へ向かって3000メートルを落下していった[p.181] と記述している。リヨン平野上空に進出。リヨン東郊外を掠め【防空戦闘機隊が駐留する Bron 飛行場直上、かつ、レーダーステーション Falter の面前。レーダーステーション Falter と戦闘機部隊・高射砲部隊(もちろん、サンテックス機を目視確認できる。目撃談なし)を挑発しているとしか思われないコース取り(なぜか、レーダーに捕捉されず、邀撃もされていない)】 、大きく東へ旋回してアヌシーへ向かう。[p.205 の地図。このページ、上欄または下欄の記事の図参照]
 【Nick Beale 氏が指摘するように、海岸線接近からアヌシーまでの往路で、ドイツ軍レーダー網に捕捉されていないのは極めて不自然で、あり得ないこと。】
11:00 リッペルト、サンテックス機を撃墜。
リッペルトは撃墜を無線で報告
[p.60] 【その後の数日間、ドイツの無線に、サンテックスのライトニングをルフトヴァッフェの戦闘機が撃墜したという報告はなかった。】
[p.162] 【24時間無線傍受を行っていた連合軍側には、その記録はない。当然、サンテックスによる作戦遂行中のボルゴ基地も無線傍受を行っていたが、サンテックスの周波数にもドイツ軍の周波数にも、交戦の兆候はなかった】
電探捕捉:Annecy - Grenoble 間を南に向けて飛行中。[p.205 の地図説明]
ドイツ軍:Chazells-sur-Lyon のレーダーステーション Falter が捕捉(距離:120 - 140 km)。やがて、捕捉域外へ消えた。この飛行機のことは、アヴィニョンにある南仏航空指揮所に報告した。[p.192 引用][Karl Otto Hoffmann ; Neckargemünd 1973]【距離の記述は不正確。リヨン - アヌシーおよびリヨン - グルノーブル はそれぞれ約 100 km。その中間の リヨン - シャンベリー間は、約 90 km。Falter の遠達距離は、せいぜい 100 km(後期の最良記録。大型機)で、1944年夏に配備されたばかりの Falter の Freya は、まだそれほどの性能を持っていなかったから、一番近いシャンベリー上空でも、大型機とは言えない P-38 型機を捕捉できたか否か疑問が残る。左上 Pradel 10:00 の註記参照。】
サンテックス機が(目的地)グルノーブルにいることを、近くのドイツ軍レーダーステーション Falter が捕捉。当該機はその後南へ飛行。 第200戦闘大隊は警戒態勢に。その後(11:10)レーダーステーションは機影を見失った。飛行高度は1万メートルであった。領空監視員がその航跡をツーロン北方まで追跡。その飛行は更に、ツーロン/マルセイユ地域の海岸まで、約30分間続いた。[p.200 本文]
11:10 Grenoble 空襲警報/警戒警報解除。[p.205 の地図説明]
11:15 飛行計画:目標地域離脱(Grenoble 南方)。[p.205 の地図説明]
11:25 リッペルト、Marignane/Aixe-les-Milles 発進。[p.205 の地図説明]【本当に出撃したのなら、警戒・邀撃準備と思われる(この段階では、敵が何処に来るのか、会敵できるかどうか、まだ判らない)】
11:29 電探捕捉:ドイツ戦闘機発進。 [p.205 の地図説明]
英国側の記録【文献記載なし】 に依れば、マルセイユ地区のドイツ軍戦闘機部隊が発進した。この時点で、リッペルトが愛機 Me109-G6 を駆って出撃した可能性が極めて強い。彼は、報告された敵機をツーロン/マルセイユ地区で邀撃するよう命令を受けて飛び立ったと思われる。(既に、2機のドイツ軍戦闘機が、10:00 に発進している。) 【この( )内の文章は意味不明であるが、戦闘機の機種次第では残存燃料が乏しくなっているので、それとの交替をにおわせているのかも知れない。】[p.202]
11:30 フランス軍戦闘機がマルセイユ北方をツーロン方面へ飛行するドイツ軍戦闘機を目撃。【文献記載なし】[p.202]
飛行機が一機、海の上を行ったり来たり(振子運動)した後、遂に海中に没したのが、ツーロン東の対空火砲陣地から目撃された。【文献記載なし】[p.202]
ドイツ戦闘機目撃。[p.216, 文献74(連合軍側)。「11:30 、43º50N 05º50E【Renard 註:マルセイユ近傍】2万〜2万5千フィート上空を東に向けて移動する2機の国籍不明機/敵機が目撃された。」これと同じもの(ドイツ語訳しただけ? それにしては細部が異なる)と思われるが、「フランスのパイロットがその帰路で、11:30 に、2機のドイツ戦闘機を、ツーロン北西 50km【Renard 註:マルセイユ近傍】上空に目撃。」]【マニュアル通りの“2機編隊”。11:25 の警報を受けて発進したとすれば、5分後に約 7000 - 8000 メートルに達したことになる。(リッペルトは変則的な単機、高度5000 メートル。)(Bf109G6 の最高速度;660km/hr , 上昇速度;5000 m まで約3分。)】
11:40 会敵 ⇒ 撃墜。[p.205 の地図説明]
11:40 頃、ホルスト・リッペルトは、ツーロン/マルセイユ地区で、フランス国籍標識をつけた p-38 ライトニングを発見。その機は約 2000 メートルの高度で、おかしな飛び方をしていた。 [p.202 本文]
リッペルトは北へ向けて飛行し、その P-38 に接近して、背後から撃墜した。 [p.203 本文]
12:15 飛行計画:ボルゴ帰投。[p.205 の地図説明]
 
RenardBleu による 要 点 の指摘と解説

 リッペルト関与の直接証拠が全くない
リッペルトがサンテックスを「撃墜」した証拠は、まったく提示されません。当日彼が出撃した記録すら、提示されてはいないのです。
  1. リッペルト本人の飛行記録・航空手帳が失われている。
  2. 当日のリッペルト出撃記録・証言がない。
  3. そもそも当日、当該基地に邀撃出動命令が下った記録・証言がない。
  4. リッペルトからドイツ軍基地への(リアルタイム)無線報告記録・証言(交戦/撃墜)がない。
  5. 連合軍側無線傍聴に、該当交戦に関する無線電信傍受記録・証言(サンテックス・リッペルト双方)がない。
  6. 当日の該当空域における交戦記録・撃墜記録がない(他空域分はある)。
  7. 当日の交戦/撃墜を示すリッペルトからの申告書類・報告証言がない。
  8. リッペルトが交戦/撃墜戦果を挙げたという、戦友たちの証言・噂がない。
  9. 当日のリッペルト機 燃料・弾薬消費を示す整備記録・報告書がない。
  10. 数度/数十年にわたる調査にもかかわらず、該当する交戦・撃墜目撃証言がない。

 リッペルト本人の「告白」以外、ひとつの証言もありません。すべてはリッペルトの「告白を信ずれば」というのが大前提で、この一点が崩れたら何もかも雲散霧消してしまう筋立てです。
 どれか一つだけでも提示されれば、リッペルト仮説の強力な支持材料になるというのに、1〜10まで全てが欠落しているのは、「そのような事実はなかったのだ」という結論に落ち着かざるを得ず、リッペルトにとって絶望的に不利な状態です。とはいえ、反リッペルト側にも否定傍証ばかりで積極的な証拠(たとえば、リッペルトのアリバイ立証 【3./J.Gr.200 を含めドイツ空軍は、可動機数減少のため実働戦闘機が少なく、パイロットは余っていた。仮に全機出動命令が下っても、空に上がれる操縦士は半数以下。】)がないので、事実なのか虚構なのか、残念ながら、最終的な決着は、まだつきそうにありません。“いつか来た道”の感がますます募ります。

 依然として答えられない疑問点の数々
(多すぎますし、別項「検証」と重複しますから、重要なものだけに留めます。)
  1. なぜ単機で出撃したのか。
     僚機がいなくては、その証言はあり得ません。あらゆる証拠・証言がナイナイづくしのストーリーですから、「嘘に決まっている!」と決めつけられるのは避けられないのです。少なくとも、普段起こるはずのない「戦闘機の単機出撃」がなぜ決行されたのか、納得できる理由が提示されなければならないでしょう。さもなくば、「単機でなくては嘘が成立しないからだ」と判断されるのは当然です。
    【この時点では、プロバンス地方に襲来するか高空航過だけか、判っていない。レーダー監視報告から見て、グルノーブル方面の偵察を行ったと考えられるから、そのまま高空で帰路につくと考えるのが妥当。高空航過ならば(高度と速度の観点から)、Bf109G6 での邀撃は時間的にも無理(「リッペルト告白」でも彼の乗機は高々度に上昇待機していない)。偵察機なら空襲能力はない(しかも単機)。マニュアル(最低基本単位がロッテ:2機編隊)を無視して単機出撃させる程の緊急性は認められない。】
  2.   

 
 
 撃墜時の証言
 リッペルトの「証言」に従えば、「北」に向けて追尾飛行した後、「背後」から銃砲撃したことになります。マリニャン(またはエクス・レ・ミル)の基地を進発したリッペルトがツーロン上空にサンテックス機を発見し、リュウ島沖北向きに接近、背後から襲撃したのですから、海岸地帯の両者の航跡は下図 [p.205 の地図・部分拡大] のようなものにならざるを得ません。【3月に流れた第一報では「ツーロン上空をマルセイユ方面に向けて」だったはずです。リュウ島近辺に墜落したのが動かし難く、その地点で「北」に向けて飛んでいるためには、「ツーロン上空」は下図のように南にずらし、しかも180度の回頭(南 ⇒ 北)をリュウ島上空で終わっていなければなりません。最低限の条件を満たすためには、最も小さなループでも下図のようなものにならざるを得ないのです(これでも、リュウ島上空での2機の航路の方向は一致していないことに注意してください。「背後」から攻撃したのであれば、サンテックスの航跡にリッペルトが合わせたのであり、「北」に向いていたのはサンテックス機でなければなりません)。撃墜されるのを願って挑発飛行を続けていたのであれば、海岸線または陸上部を飛ぶでしょう。「ツーロン上空をマルセイユ方面」「リュウ島上空で北向き」がどんなに無理な条件であるかがお判りいただけると思います。繰り返しになりますが、「リッペルト告白」が嘘ならば、この無理な航跡は消し飛んでしまいます。】

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 離陸したのは 11:25。図中の数字“マル1”が 11:29、数字“マル2”が 11:30 [p.205 の地図説明] なのですが、フランス軍飛行機からの目撃;「マルセイユ北方をツーロン方面へ」には合致しませんから、“マル2”には別の目撃例があるのでしょう。
 随分大きなループを描いていますから、“マル2”から撃墜地点まで、Bf109G6 でかなりの時間が必要と思われるのですが . . . 。
 【「リッペルト告白」が関わるのは、この“マルセイユループ”だけで、それ以外のコース(たとえば、下記の“リヨンループ”)や傍証は、リッペルトに責任はありません。】

 「自殺説」に合わせた航跡(1)
 偵察目標であるアヌシー/グルノーブル近辺の往復航路図[p.205 の地図・部分拡大]です。“マル3”(10:15)と“マル6”(11:15)は飛行計画であって、ふたつを結ぶ線がそれぞれの予定時刻を現すだけで、(作戦域突入が)実際に計画通りの時刻であったかも、その線上のどの地点であったかも、判明していません(目撃報告はありません)。“マル4”(レーダー捕捉)が 11:00, “マル5”(グルノーブル警報解除)が 11:10 です。【“マル5”の地点は不確定。つまり、“マル3”“マル5”“マル6”の3点は、その時刻も、本当にその地点を通過したのかも、確認できていません。】

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 アヌシーを大きく西に逸れています(その代わり、グルノーブルでは東に逸れています)。これではアヌシー(を通る街道の)偵察*を果たせません。アヌシー直上からエクスレバン(Aix-les-Bains, アヌシーの南東にある湖の東岸にある)へ向かい、そこから 13 km 南のシャンベリー (マル4から、「マル」直径1.5個ぶん北北東) を経由して峠(重要な偵察目標の一つ)を南東へ越え、山脈の東側に延びる平野に添って南西方向へグルノーブル (この地図には川が記入してありませんが、グルノーブルは北東から流れてきた川が北西に向きを変える山峡の要衝に発達した町です)まで、街道の直上を飛ぶ必要があるのです【ただし、アヌシー航過も含めて、サンテックスが偵察任務を遂行したという根拠はありません(彼が自殺を決意していたのなら尚更です。ボルゴへ持って帰るはずのないフィルムに、敵情を感光させても意味はないのですから . . . )】。アヌシー・シャンベリー・グルノーブルが Falter の遠達能力外にあることを von Grantz 氏は認識していて、アヌシー・シャンベリー間を少しでもリヨンに近づけるために、このような偏位をさせたのだろうと思われます。

* 別項で述べたとおり、この偵察はドラグーン作戦のためのものです。当然、サンテックスが果たすべき撮影目標は、ドイツ軍の撤退路となり得る、アヌシー・シャンベリー・グルノーブルを通る街道筋です。市街戦の待ち伏せ地点となる可能性がある3つの町や、狙撃兵潜伏箇所となる高い塔や見晴らしの良い崖等。瞰制高地を利して陣地を構築し、抵抗線を張るかもしれない峠や丘陵もリストアップしておく必要があります。これらの要点目標は、立体撮影(機体軸線下前後に2カメラ)のため、直上航過しなければなりません(斜めからでは建物の陰になって、道路状況が不明になります)。

 いちばんの問題は、(目撃記録やレーダー記録等の根拠もなく)リヨンを掠める大きなループを描いてあることです。既に述べたようにこのコースは、3つの戦闘機配備基地上空と、一箇所以上(リヨン周辺。その他の箇所は不詳)の高射砲陣地上空、を航過します。ヴァランスからは、一番近くとも 40 km ほどありますが、ブロンは直上航過、アンベリューも飛行場を斜め下に見ながら弧を描いて飛ぶことになります。リヨン南西の Chazells-sur-Lyon には、リヨン平野一帯の高射砲と戦闘機隊(上記3飛行基地を含む)へ情報を送るレーダーサイト Falter が睨みを利かせています。偵察機がこのようなコースを採って、得るところはありません。
 サンテックスが「誰かが撃墜してくれることを願って」飛んでいたのであれば、非常に納得できるコースです。目撃証拠(特に往路)は殆どありませんから、この航路は仮説に過ぎません。「自殺説」に添って、説明しやすい図を描いたのではないでしょうか。
 【このリヨンループ航路は「リッペルト告白」とは無関係で、著者の想像(アヌシーまでの目撃証言・レーダー記録等なし)に属します。】

 「自殺説」に合わせた航跡(2)?
 von Gratzen 氏が言うように Hyéres 経由(下図:水色の破線。矢印尖端は、下図の“マル2”に合わせてありますが、Hyéres 東方約 40 km です。実際のイエールは、特徴的な形をした Gien 半島の付け根にあり、ツーロン東約 15 km)でボルゴ・アヌシー間は約 600 km(直線。von Grtzen 説に従ってリヨンループで飛べば 約 700 km), 既に述べたように、アルプス上空コース(下図:赤い実線)で飛べば約 500 km です。しかも、このコースならばニース以外に主だった飛行場はなく、海岸線でドイツ空軍の邀撃を受ける可能性は、Hyéres 近辺よりは少ないはずですし、仏伊国境上を飛べば、左右どちらに変針するのか判断材料がなく、目標地での迎撃も危険性が低減するでしょう(空振りの緊急邀撃が続けば士気の低下を招きます。燃料や機材を無駄に使わせるのも、戦術のうち。仏伊両国で緊急出動させれば片方は無駄。無駄を避けるために邀撃機が上がってこなくなれば、安全性が増し、一石二鳥です)。Hyéres 上空で変針するコースは、あまり良い選択ではないと思われます。【「コルス岬のレーダーが通過地点を確認している」ということなので、このコースを飛んだことは事実なのでしょう。(私が得ている情報では「海岸線通過を確認」で、通過地点の記載はありません)】

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 赤い実線:アルプス上空コース。アルプスにさしかかった Larche 上空あたりで北に変針して国境線上。モンブラン手前で西に変針。このあたりを飛んでみれば判りますが、 Larche 上空での変針は、馴れていないと間違えやすいでしょう。とはいえ、少々狂ったとしても、山脈上を飛べばよいのですから、困ったことは起こりません。晴れてさえいれば、右後方に特徴的なシャモニー針峰群を従えて、万年雪で夏でも白く輝く頂を持つモンブランの確認は問題ありません。
 水色の破線:Hyéres 経由コース【von Gartzen 説による。Hyéres(イエール)の位置については上記・下記参照】
 ともあれサンテックスは、ボルゴからイエール(下図“マル2”)まで、下図の飛行コースを採ったことになります。これが命令通りのコースであれば問題はありませんが、もし、サンテックスが勝手にコース取りをしたのであれば、邀撃可能性が高い地域を航過する選択をしたと断ぜざるを得ません。
【このコース取りも、リッペルト告白とは無関係です。東日本を爆撃する B29 の編隊は、富士山を目標として、その後の進路を確定したそうです。コルシカ島の連合軍は、Hyéres を変針定点(地図を見て戴ければ明確なように、トンボロである Gien 半島は、人工の趣も加わった、一目でそれと判る極めて特異な形をしています)として使っていたのかも知れません(ただし、時代遅れとなってしまった日本軍と異なり、ドイツ空軍には高々度邀撃能力がありましたから、航空基地直上のこんな場所に「定点」を設定すると絶好の待ち伏せ地点を提供することになり、非常識といって良いほど危険なことです)。別項で改めて論じますが、サンテックスは他の操縦士を押し退けて勝手に出撃した(当然、正式の命令受領を行っておらず、作戦の詳しい内容を知らずに離陸した)可能性が高いのです。急いで偵察目的地だけは聞き出していても(あるいは、更に航空地図を奪い取りはしたものの)、細かなコースを確認していないことも考えられます。その場合、とりあえず、いつものコースを採るでしょう。彼がこの日の撃墜死を望んでいれば、むしろ積極的にこのコースと、それに続く「リヨンループ」を選らんだ可能性は、決して低くありません。】

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 Pradel 氏と von Gartzen 氏の食い違い
 「リッペルト告白」と、それに基づく調査結果が情報源なのですから、2書に食い違いがあろう筈はないのですが、実際は整合性に欠けています。次項で述べるように、同一書籍内でも食い違いがありますから、話は単純ではありません。大まかな傾向を指摘するに留めざるを得ない状態です。
  1.  時刻・時間経過の違い。
    出 来 事PradelGartzen
    レーダーステーション Falter によるサンテックス機捕捉10:0011:00
    リッペルト出撃 11:25
    サンテックス機を撃墜11:0011:40 以降
  2.  
    出 来 事PradelGartzen
       
 
 同一書籍内での矛盾・齟齬
ST-EXUPÉRY L'ultime secret
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Der Prinz, der Pilot und Antoine de Saint-Exupéry
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