Saint-Exupéry, L'ultime secret

サンテグジュペリ、最後の秘密

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 手に入りました。出荷伝票を見ると、3月26日の発送です。発売日に発送するという約束の予約でした(20日を過ぎてから「出荷が遅れる」との旨連絡がありました)から、20日発売の予定が遅れたのか、予約数が入荷数を上回って、第2陣の入荷分を発送したのか、どちらかは判りません。リヨン在住の友人から電話があったので、この本のことを尋ねてみましたら「そんな本が売られていることには気付かなかった」という返事。店頭に並べる分がなかったのか、街の話題になるほどには売れていないのか、どちらかと言うことになります。もちろん、前者なのでしょうね。

 【3月28日現在で第3刷を5千部発行。初刷(2008.03.20)は2万5千部。第2刷の発行部数がはっきりしませんが、多分5千部なのでしょう。】

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Saint-Exupéry, L'ultime secret
Jacques Pradel & Luc Vanrell 著, Édition du Rocher 社, 2008年3月発行。
22 x 14 x 1.6 cm。ペーパーバック, € 19.90, ISBN 978 2 268 06362 1。

 表紙は、斜め上からのサンテックスの横顔と、内翼下に一つずつの増加槽を付けて駐機中の P-38 型機。本の中程に、8ページ分の写真画像があります。【P-38J の透視図がありますがこれは機首部分に機銃を積んだ戦闘機であって、偵察機 F-5B ではありません。】

 表紙をめくると、表紙裏に南仏の地図があり、サンテックスの航跡が入っています。親切な配慮ではあるのですが、早くも問題があります。

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表紙裏の地図(向かって右が本の「天」、上が「小口」)

 地図は北方から地中海方面を眺めた配置、すなわち、上が南です。本の「天」や「地」の線が南北方向というわけではなく、約30°ほど反時計回りに回転しています。
 もっと問題なのは、(コルシカ島の形を見ていただけば明瞭なように)縦横比が1ではなく、横に引き延ばされた形になっています。縦横比と方位角が通常と異なるため、ボルゴ基地から偵察目標域への見越し角とマルセイユ方面へのそれとが、随分接近して見えてしまいます。しかもなおかつ、ボルゴ・グルノーブル間の予想航路が、西へ偏位させて(つまり、マルセイユへ近づけて)あります。隠密行動を最上とする偵察機が、わざわざ敵軍の軍事施設や監視所の上空を選んで航過することはあり得ません。考えられないコースです。

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Lino von Gartzen 氏が Frankfurter Allgemeine 紙 (2008.03.18) に寄稿した記事中のサンテックス航跡。

 このコースと較べても、Jacques Pradel 氏の往路コースが随分西寄りであることが判るでしょう(実は、この地図のグルノーブルの位置は正確ではなく、もう少し南東にずらす必要があります)。
 もっと東の仏伊国境線上を北上するのが、東西どちらに変針するかをドイツ軍が判断しがたい一番安全で最良のコースであると思われます(ドイツ軍の哨戒線を横切ることも避けられます)。一万メートルを飛行する F-5B にとって、アルプス(最高峰のモンブランでさえ5千メートル足らず)の高さや気流は問題にするに及びません。


「コルス岬のレーダーが、内陸部へ進入するサンテックス機を監視・確認」と伝えられていますから、記録を調べれば、この地図のコースが事実であるか否かの検証が可能です。
【レーダーサイトの記録を見つけられません(多分、アメリカの公文書館に行かなければ手に入らないでしょう)。地図が付いているとは期待しがたいのですが、文章だけの日誌でも、もし通常と異なったコースを飛べば何らかの追記があるはず。何も注記がなければ、「通常」のコースを採ったことを意味します。】

 そして更に、7月31日の偵察目標域がリヨンやシャロン・シュール・ソーヌまでを含む、非常識なまでの広範囲に広がっています。F5B の航続距離や迎撃危険性を考えると、単機にこれほど広域の偵察が下令されることは考えられません *。(とりわけリヨン上空は警備厳重で、近郊に複数の飛行場や中核レーダーサイトのひとつがあることを考え合わせると極めて危険です。シャロン・シュール・ソーヌも、飛行場をもつ大都市ディジョンまで 60 km。どちらも、他の目標と組み合わせて偵察する場所ではありません。)
 すなわち、この地図は読者に事実とは異なった印象を与えかねません。【意図的な変形や誇張でなければよいのですが . . . 】

*  別項 偵察目的は何だったのか?で述べるとおり、ドラグーン作戦の内容から考えて、偵察目標「グルノーブル・シャンベリー・アヌシー」は、この3都市を結ぶ街道の状況を知るためのものでしょう。地図上で塗りつぶすべき範囲は、3都市を結ぶ帯状の地域となります。
 それに対して、「リヨン」「シャロン・シュール・ソーヌ」は、この都市周辺の偵察を命じられたものと推測されます。したがって、塗りつぶすべき地域は、ふたつの都市を中心とする円とするのが妥当と思われます。
 両者共に(天候上、あるいは、詳細撮影指定等の事情がなければ)、一万メートルの高々度からの撮影になろうかと思われます。いずれにせよ、サンテックスの偵察行動域は地図の塗りつぶしで示されるほど広い範囲ではありません。
 表紙裏の地図説明で、1944.06.29 の偵察目標が「グルノーブル・シャンベリー・アヌシー」となっておりますが、ふたつの点で誤りであろうと思われます。6月29日の偵察目標は「南フランス一帯」(ICARE 96号による。拙ページ サンテックス出撃回数 をご参照下さい)です。1944.07.14 の偵察目標が「アヌシー」なので、これと間違えているのでしょう。ただし、「グルノーブル・シャンベリー」は含まれておりません(出典同上)。もちろん、1944.07.31 の偵察目標(この著者は天候不良の場合の代替目標といっておりますが)にリヨンやシャロン・シュール・ソーヌは含まれておりません(出典同上)。【搭載燃料の余裕や当日の帰投予定時刻から見ても、考えづらい目標設定になります。】
 29日の帰路、トリノとジェノバの上空を通ったことは紛れもない事実(撮影しています)ですが、なぜこんな航路を通ったかは謎です。アヌシー【本来は、上記のように「南フランス一帯」】からボルゴへ向かうのでさえ大回りになりますが、ボルゴには 左エンジン不調のため「不時着」したのであって、この日彼が帰投すべきはアルゲーロなのですから、一体どこで「エンジン不調」を来したのか理解できません。一番自然な類推は、例によって勝手にイタリア上空を「散歩」して、ジェノバ直前またはジェノバ通過後にエンジンがおかしくなったのではないかという筋書きです。【いかに非常識なサンテックスとはいえ、フランス領内でエンジン不調であれば、敵地上空を片肺飛行で、このようなコースを取ることは考えられません。】
 また、31日、サンテックスがツーロンやマルセイユに行こうとしていたことを合理化するために、以前完遂できなかった偵察行のことを付け加えています。それは、1944.06.06 のマルセイユ(エンジントラブルで途中から引き返した)と 1944.06.29 の「南フランス一帯」(偵察結果が不充分であったと判断する根拠はありません)のこと(出典同上)でしょう。いずれにせよ、命令にはない行動を勝手に取ったという推論になります。

 本書内容との相違点についてご指摘を戴きました。
 実は、まだ本文を読んでおらず、ここまでは、上記の地図とその説明について、既知の情報との異同を記載しております。読み進んで、本書の主張と、既知の知識との矛盾点・その他は、逐次追記・訂正を行う方式で記載を進める方針ですので、終了(「工事中」マーク消滅)まで未確定の記事であるとご了解下さい。

 進行中の話題として、多くのフォーラムやブログ・チャットサイトで取り上げられて、新知見(と思われる)事柄も提起されておりますので、その真偽の検証も含めて、更新には時間がかかり、また、再訂正を余儀なくされることも多かろうと思われます。当分の間このページは、眉に唾を付けてお読みいただければ幸いです。

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著 者 に つ い て

 本書は二人の著者による共著です。事実が否かが問われる内容なのですから、過去にどのような著作を出版しているかは、著者の資質を問う上で重要なチェックポイントになります。

 Luc Vanrell 氏は、マルセイユのダイバーで、サンテックス機残骸を発見した人です。古代遺跡のある洞窟再発見に関する単行本“Cosquer redécouvert”(2005) by Jean Clottes (Author), Jean Courtin (Contributor), Luc Vanrell (Contributor)”を出版し、同じメンバーで、Clottes, J., Courtin, J. et Vanrell, L. (2007) - ‹La grotte Cosquerà Marseille›, in: Grottes ornées en France, Les dossiers d'archéologie, n。 324, pp. 38-45. の寄稿文があります。
 サンテックス機残骸の発見にいたる努力を見ても判るとおり、地味ながら着実に調査を進めるタイプの地域密着型研究者で、信用と高い評価に値する人物であると思います。本書中、ダイムラー・ベンツ社製エンジンの発見や衝突説等、海中の探索とその後の追跡に関する部分は、Vanrell 氏の担当でしょう。 【“サンテックスの最期”に関しては、「自殺説」を採ることでも知られています。】

 一方、筆頭執筆者である Jacques Pradel 氏に関しては、かなり問題があるようです。
 リッペルト説(ル・フィガロ・マガジヌ)を速報した新聞 ル・フィガロ紙 の記事にさえ、その記事の追記に

 Jacques Pradelというジャーナリストは要注意、「この記事もピンセットでつまむように(=細心の注意を払って)読むように」

と書かれる始末。また、別のフォーラムでは

 ほんとうのことを言うと、私は Pradel 氏の語りを ― 事実ではなく ― 娯楽だと思って見ていた

 フランス以外の国の視聴者達は Pradel 氏のことを、超常現象 ― 例えば、ロズウェル事件/解剖 ― に関する学究肌の、名のあるテレビジャーナリスト・研究者であると思っている。
 ....そのうえ、リッペルト説に正面から戦いを挑まないまでも、疑問に感じることは多々あって;なぜ彼は60年以上もの間沈黙を守り続けたのか,彼は一体どうして(以前にその機を見たことがあったとしても)サンテックスがその機に乗っていると判ったのか,彼の撃墜戦果はどこに 申請されたのか、等々....

とか、

 この著者は、フランスではテレビ司会者(いつも、安っぽい大衆的なショウ番組ばかり)として知られており、真面目に史実を語る人とは評価されていない。

 まったくその通り! 彼は、多くの話題の中には科学ものや脳に関する番組も担当しているけれど、科学的なレポートをしているとは思われていない。

と、まともなルポライターであるとは見なされていないようです。【とりわけ、Jacques Pradel 氏が「空飛ぶ円盤実在論者」であることは、正常な判断力が必要なルポライターとして破滅的であると思われます。】
 二人は、ミスマッチとしか表現できない組み合わせのように思われるのですが、一体どのような経緯があって共同執筆に至ったのでしょうか。

プリンス,操縦士 そして アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ

― 最後の飛行の謎 *

 情報提供者の一人、フォン・ガルツェン氏が秋に上梓を予定している本の概要がわかりました。

  Der Prinz, der Pilot und Antoine de Saint-Exupéry ― Das Rätsel um den letzten Flug ―
  Claas Triebel & Lino von Gartzen 著
  Herbig 社
  ISBN:978-3-7766-2569-1
  予価:約25ユーロ
  発行予定:2008.09.

この“プリンス”は「Le Petit Prince」のことではありません。1943.12.02、マルセイユ沖で撃墜された“Prinz”Alexis von Bentheim-Steinfurt です。“操縦士”はホルスト・リッペルト。内容の主人公となる3人を並べた書名なのです。【そしてもちろん、サンテックスが、Le Petit Prince の作者であり、操縦士でもあったということを裏に含んだ Doppelsinn/doppeldeutig です。今秋、発売後入手したら、改めて内容を紹介する予定です。】
*「謎」は単数、「飛行」は単数定冠詞付き。すなわち、サンテックスの最期が主題です。

【資料は充分すぎるほど揃っているはずなのに、半年後の出版とは、どんな意味があるのでしょう? 火勢が衰えた頃に、新しい薪を追加する戦略なのでしょうか。逆に、3月20日に売り出したマッチの(各国語版)売れ行きが止まった頃を見計らって、9月に消火器を売り出そうというのでなければよいのですが . . . 。あるいは、噴出するであろう賛否がどちらに傾くかを見極めてから、結論を決めるつもりだったりして . . . 。】

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こ れ は 念 書

― 白人文化における私文書の意味 ―

 日本では「お上」に対する畏怖の念が異常に強く、公文書には権威を認めるくせに、私文書には「証明書」としての効力を殆ど認めません。例えば、交通事故を起こした場合、自動車保険を適用するためには警察官を呼んで調書を作っておく必要があります。しかし、フランスではそんなことはありません。
 事故の当事者同士が事故の状況と双方の損害箇所その他を確認し合い、それぞれの保険会社から渡されている所定の書式に必要事項を記入した上で内容を相互確認して署名、カーボン複写式の一葉を交換します。握手して別れた後は、修理屋さんに車と上記の書類を渡せばそれで終わり。よほどの重大事故でない限り、警察の出る幕はありません。
 自動車事故に限らず、アパルトマンの部屋を借りるのであれ、個人的な物品の貸し借りであれ、まるで手紙のように見える私文書が、決定的な意味を持ちます。公文書も私文書も、法的な効力に差はないのです。

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本書にある画像中のひとつ。証言の要約を確認する手紙。 
フランス語訳が183ページにある。わざわざこのようなもの
を掲載するのは、それなりの意味があってのことと思われる

 上の画像は、Horst Rippert から von Gartzen に宛てた 2006.12.22 付けの手紙です。内容は:

 12月19日のご訪問、ありがとうございました。(その際)“bestätige wunschhgemäß unsere Gesprächsnotiz: = ご要望がありました我々の会話内容のメモを(下記のように)確認いたします”と述べ、

 1944.07.31、マルセイユ近辺でライトニング P-38 1機を撃墜したこと、を認めます。
 午前中の遅い時点でした。
 飛行方向はツーロンからマルセイユに向けてでした。
 その P-38 は、撃墜後すぐに海岸に向けてまっすぐ落下して行きました。

そのあと、手書きの署名に続いて、
  Dank für die Zeilen. お手紙、ありがとうございました。
と、追伸があります。


 追伸中の“Zeilen”は、長い手紙を指すことはありません。ごく短い文章です。フォン・ガルツェン氏がインタビューの礼状を出したのか、念書を催促したのか、この手紙からは判りません。【場合によっては、この念書の「見本」を送りつけた可能性もあります。】

 問題は、二度繰り返される“bestätigen”(確認する/確約する)という言葉です。通常のインタビュー取材でこのように重い言葉を使った「念書」を取ることはないでしょう。しかも、それを画像として公開しています。
 読者に対して「いい加減な取材ではありませんよ」とアピールしているのです。と同時に、もしリッペルトの証言に嘘や誤りがあったら、「私はこれだけちゃんとした取材をしたのです。私に落ち度はありません」と主張できます。それどころか、「ルポルタージュライターとしての自分の名誉が傷つけられた」として、リッペルトを相手に損害賠償の訴訟を起こすことだってできる重要な証拠品です。

 リッペルト証言には、確乎たる物的証拠が明らかに欠如しています。彼の証言を支持するドイツ軍の記録文書はありません。それどころか、彼の証言を否定しています。もし公式記録に不備/欠落があって、リッペルトの言うことが本当ならば、彼の flight logbook【航空機乗組員飛行日誌:フライト毎に管理担当官の証明署名が記入される。総滞空時間積算の基礎になる等、パイロットにとっては命の次に大切な個人記録帳】には当日の出撃が記録されているはずです。当然 von Gartzen 氏はそれを要求したことでしょう。でもそれは、(まだそこまで読み進んでいませんが)喪失/破棄されていて、存在しなかったのだろうと思います。それに代わるものとして、このような確認書を求めたのでしょう。
 「念書」を要求したのは、証言内容に不安があったからではないでしょうか。不確実ならば、この部分を書かなければよい【この書物自体は、リッペルト証言がなくとも大筋に変わりはありません。本来は、リッペルトと関わりない内容です】のですが、ニュースヴァリューは滅多にない大きさです。それに、それを書くのと書かないのとでは、本の売れ行きは桁違い。手に入る印税の誘惑には、抗い難いものがあります。多少不確実であろうとも、書かないという選択肢はあり得ません。
 取材をした Lino von Gartzen 氏と、著者(の一人)である Jacques Pradel 氏との関係が(単なる資料提供者と、それを利用したルポライターという単純な図式で理解してよいものかどうか)よく判りません【von Gartzen 氏は10月にドイツ語訳または書き下ろしの本を出版すると伝えられています(⇒ 上欄“プリンス,操縦士 そして アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ”)】が、「念書」を公表してしまえば、二人とも、もしもの場合のダメージは避けられます。書くべきか、書かざるべきか。結論はひとつしかありません。

 本来ルポルタージュというものは、納得が行くまで徹底的に調査を行い、その上で、自らの責任において上梓すべきものです。本書を善意に解釈すれば、責任の所在を明らかにし、内容の信憑性を担保する真摯な態度。悪意に取れば、責任転嫁の伏線を張る無責任な、覚え書きの公表。【Pradel 氏の文章は「ピンセットでつまむように(= 細心の注意を払って)読む必要がある」と評されるゆえんでしょう。】 この「念書」が意味するところは、読み進むに当たって、心に留めておくべきものであると思います。


 リッペルト証言を引き出したのは von Gartzen 氏です。Pradel 氏は自前の情報を持っておらず、リッペルトにインタビューしたとしても、後発の後追い取材に過ぎませんせん。本質的な情報は von Gartzen 氏から提供されたものであり、本来 von Gartzen 氏が公表する内容を、フランス語で先行出版したに過ぎないのです。この、時期を違えての二重出版は、すんなりとは受け入れがたい「裏」を感じざるを得ませんし、既に述べたように、Pradel 氏の信用度には疑問符が付きますから、von Gartzen 氏の本が出るのを待って、比較しながらその真偽を検証するべきであると判断し、結論付けを延期して来ました。

 残念なことに、この心配は杞憂に終わらなかったようで、両氏の記述には矛盾する内容が散見されます(サンテクス最終フライトの再構成)。当然ながら、von Gartzen 氏の記述が本物であると判断せざるを得ませんから、今後は、von Gartzen 氏の出版物を検証する中で「参照」するに留める予定です。



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