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1980年にハイヒェレ説が現れたとき、多くの人がそれを信じました。今となって考えればおかしな点はいろいろあったのですが、数々の疑問点を、具体的な記録との矛盾を突く形で指摘してハイヒェレ説を一挙に葬り去る人は、現れませんでした。20年以上昔は現在と違って、まだ W.W.W. は発達しておらず、閉鎖的なパソコン通信の時代だったのです。信頼できる情報源は、書面・書籍・写真等の、紙媒体が主たるものでした。 「怪しい」と疑われ出したのは、ドイツ(政府機関?)がきっぱりと否定してからでした(ハイヒェレが所属した NAG 13 の、1944.07.31 の記録(もしくはその写し)を、ドイツが所持していたと言うことでしょう)。それでも、ハイヒェレ説が愚論として退けられるには20年もの時間がかかりました。乗機残骸が確認され、墜落地点がハイヒェレ説とはまったく異なる場所であるという動かぬ証拠が出て来るまで、完全否定は無理だったのです。
2008年、リッペルト説が登場しました。事実か否かの結論が得られるまでには数十年かかるのだろうと、私は見ておりました。しかし、今回、反論は非常に素早く、詳細な論証をもってなされました。単行本が発売されたのが3月20日。早くも4月8日にはウエブ上に、論文と呼んで良いほど精細・浩瀚な Nick Beale 氏の「見解」が公表され、世界中の「サンテグジュペリ:7月31日問題」に関心を持つ人々に衝撃を与えました。 |
去り逝く者達の願い
第二次世界大戦中のドイツの公文書類は、戦災に遇って(あるいは敗走の混乱で)少なからぬ部分が亡失し、敗戦後は連合軍各国(ソ連含む)に残った多くが押収されて、散逸してしまいました。コピーも含め、多くのドイツ軍関連書類が、米国や英国の公文書館で閲覧可能なのはそのためです。
「それはおかしい」と疑問を呈することが出来る「事実」を知る人が居たとしても、それを集大成することは非常に困難でした。そのような「事実」の断片を知っている生き残り達も年老いて、彼らが居なくなると一緒に「事実」がどんどん欠落して行きます。老い先短い老兵達の中には、自分が知る「事実」を何とか遺したいと願う人も居ました。そして、そうした「事実」を拾い集めようと努力し続ける人も居たのです。元々「生き残り達」は、戦友会という固い絆で結ばれたネットワークを持っていました。かつて敵同士であった人々も、時間の経過と共に憎しみは消え、同じように「祖国のために戦った者同士」として、共通の連帯感を共有する素地がありました。その連帯感は国境を越え、個々のネットワークをつないだのです。とりわけ、かつて軍人として戦いの最中にあった人がディジタルネットワークを手に入れたことが、時間の進行に立ち向かう強力な道具立てとなりました。 |
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