リヨン・サンテグジュペリ・センター

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 リヨン・サンテグジュペリ・センターは、ミッッシェル・リケルミ (Michel Richelmy) 氏によって1947年に設立されました。青少年の育成活動と、アントワーヌ・サン・テグジュペリの生き様や作品に光を当てる活動を行っています。

リヨン・サンテグジュペリ・センター事務所外観。

Centre Saint-Exupery の活動内容や利用施設等の説明パンッフレット。

センター長 Michel Richelmy 氏 (2004.8.20 撮影)。

事務所会議室の壁に飾られたサンテックスゆかりのポスター類。

机上のパソコンは購入したばかり。若い美人秘書の奮闘で
やっとブラウザが使えるようになったところ。     
ホームページの立ち上げはまだまだの印象でした。   

リケルミ氏の著作を贈呈されました。

1994年発行。ISBN 2 84147 00008。一応市販品です
が、事実上の私家出版でもう手に入りません。  

1960年10月16日、サンテックス生家プレートの
除幕式で挨拶するリケルミ氏。このプレートは彼
が出資・奔走して実現したものです。     

彼はサンテックスの母親と懇意でしたが、コンスエロとも
面識がありました。この写真は1956年にリヨンで行われた
パーティに現れたコンスエロをリケルミ氏が撮影したもの
です。                       

サイゴン長距離飛行(リビア砂漠に墜落)出発に際して
コンスエロにキスするサンテックス。        

コンスエロからリケルミ氏にプレゼントされた
Le Petit Prince の献辞。1964年。     


こちらは現在も発売中。2000年発行。ISBN 2 84147 100 4

サンモーリス城の庭園で遊ぶサンテックスと姉弟妹。

左:コンスエロがサンテックスから押しつけられたお祈りの言葉。
右:コンスエロからリケルミ氏に贈られた OPPEDE の献辞。   


 リヨン・サンテグジュペリ・センターを訪問して、挨拶を交わした後、センターの活動内容やサン・モーリス・ド・レマンス城(現在の呼び名はサンテグジュペリ城)のことなどをうかがいました。

 センターの主な活動目的は青少年、殊に社会的な適応に不安や問題を抱えている子供たちの支援を行うことだそうです。夏期林間学校等の実績も積み、社会活動として評価されています。なぜ「サンテグジュペリセンター」という名にしたのかを尋ねたところ、サンテックスの母親と知り合いで、活動趣旨に賛同してくれたので一家の名を使うことにしたのだそうです。
 現在、サンテグジュペリ城内部は荒れ果てていますが、サンテックス記念館として整備したいとの意向を述べられました。(展示室ばかりではなく、青少年活動用にも使えるように全館の整備をするのだろうと理解しております)。お金の問題があるので、いつのことになるのかは目算が立っていないようです。
 サンテックスの初版本3種(レイナルヒチコック社の英語版とフランス語版それぞれ著者署名入り、それにガリマール社1945年版)を寄贈する用意があることを伝えると、「大変ありがたい。是非お願いしたい」と返事があり、記念館の構想次第では、他にも書籍や品物を提供しても良いと申し出て、感謝されました。今後も連絡を取り合ってゆく予定です。
 【本来私のコレクションは、「星の王子さま」関連の常設展示をして、日本の読者に「本物」を実見してもらうために蒐集したものですが、重複蒐集しているために、一部を寄贈してもまだ充分余裕があります。
 私はコレクションを私蔵する気はありません。できるだけ多くの方々が気軽に鑑賞できる展示施設に引き取って貰いたいと願っておりますが、長引く不況のため企業に余力が無く、日本国内で条件を満たす図書館や美術館を探すことは当分望めそうにありません。私の余命をも勘案して、日本でだめならニューヨークかパリのどこかへ寄贈しようと覚悟していましたから、サンテックスゆかりの サン・モーリス・ド・レマンスに納めることが出来れば、無駄にはなるまいと思われます。】

 「ヴォギュエ夫人(B夫人)はまだご存命か否かご存じですか?」と尋ねたところ、大変驚いた様子で、「ネリ・ド・ヴォギュエ(Nelly de Vogüé)か?」と聞き返し、私が頷くと、「亡くなったという話は聞かないから、生きていると思う。しかし、歳が歳だからピンシャンというわけには行かないだろう」との答えでした。直接交流がなさそうなので、いろいろ探りを入れた結果、パリのサンテグジュペリ協会やフレデリック・ダゲー氏(したがってガリマール社)とはウマが合わない人々は結構たくさんいて、リケルミ氏も協会との交流はないようでした。【ちょっと乱暴ですが、ダゲー家派とコンスエロ派という分け方ができるのかもしれません。「公式」を名乗る団体やウエブサイトがフランスにも日本にも存在しますが、「公式」とは何なのか、大いに議論の余地があります。】

 最後にリケルミ氏が所有しているタマシェク語版を見せてもらいました。氏も私も初版本とばかり思っていたのですが、手にとって見ると、私が所有しているのと同じ復刻版でした。
 お互いにその後の予定が詰まっており、長い時間を割くことが出来ず、センターを辞しました。まだまだ知りたいこと相談したいことが残っていますので、再訪して詳しく話し合いたいものと願っています。

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