地球のバラ達

モロッコのバラ? — non !

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 Le Petit Prince には2種類のバラが出てきます。B612 にやって来て、遂にはプリンスが逃げ出すことになる「バラ」と、地球にやってきたプリンスが出会う「バラ達」と、です。
 「B612 のばら」については別項で議論します。本項で扱うのは後者、「地球のバラ達」に限ります。

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地球のバラ達:レイナル・ヒチコック/フランス語版(p.64)


 山を下りて、長い道程を歩いた末に辿り着いた庭(人家の記述はありません)に咲き誇っていた5千もの「バラ達」(蛇足ながら、5千「本」と訳す人がいますが、私は花の数が「5千個」なのだと思います。花一つひとつがそれぞれに独立した女性を表し、互いに笑いさんざめいていたと考えるのが自然だからです。それに、5千本ものバラを植えることができる広大な「庭」では、第25章でのプリンスの言葉のイメージが狂ってしまいます)。その「バラ達」のモデルが、モロッコの “バラの谷”(つまり、沙漠に囲まれたオアシス) に咲く「ダマスクローズ」ではないかという説があります。背景の「山」は、砂丘のようにも見えますから、沙漠のただ中に出現するバラのオアシスは、原型となる資格があります。不幸にして私は「バラの谷」を訪れたことがないので、個人的な経験・印象を述べることはできませんが、いろいろと調べた結果、「それはないだろう」という結論に達しました。理由は:

  サンテックスが、モロッコの「ばらの谷」を(特に、その花期に)訪れた形跡がない。話題にもしていない
 サンテックスが知らないのであれば、「モデル」にはなり得ないでしょう。【ただし、伝聞によって「知っていた」可能性はある】
  庭に咲いている
 後述するように、ダデス谷のバラは、庭やバラ畑に植えられていません。
  垣根にはなっていない
 ダデス渓谷のバラは、畑を区切る垣根として使われています。観賞用に庭に植えられたり、プランテーションとしてバラ畑を構成したりしているわけではありません。【ダデス谷に、「庭」を区切る「土塀」「石塀」はありませんし、「庭」は建物で囲まれた「中庭」ばかりです。】
  花弁が多い
 ダマスクローズにしては、花弁が多すぎます *。挿絵からは「カップ型」と思われ、もし二つのうちにモデルがあるのならば、キャベッジローズと言うことになります。
  「香り」について言及していない
 二つは共に「オールドローズ」に属します。しかも香料用に適した、むせ返るほど強烈な「バラ香」(ダマスク香)をあたりに漂わす種類なのです。強い香りを失ってしまったモダンローズの世界で育ったサンテックスが、5千もの花が群生する庭の描写をするに際し、この「芳香」について言及しないことは考えられません。
 季節が限定される
 ダデス谷のオールドローズの開花期は(年によって変動が激しいものの)、年に一度(つまり一季咲き。反対語は二季咲き・四季咲き)、5月あたりに限られます。【Le Petit Prince 中では、「麦が黄金色に実る季節」で、ヨーロッパでの小麦の収穫期は初夏、モロッコの小麦収穫期は5月近辺なので、時期的に大きな矛盾はありません。】
 


バラの谷/モロッコ
 「バラの谷」といえばブルガリアのそれが世界的に有名ですが、それ以外にも同じ名前で呼ばれる場所はあちこちにあります。そのうちでも、モロッコの「バラの谷」La Vallée des Roses は、化粧品用の香料バラを生産する地域として、結構有名な産地であり、観光地でもあるのです。ダデス川が削ったダデス渓谷 Vallée du Dades の別名で、年に一度行われる、エル・ケラア・ムグナ村 El Kelaâ M'Gouna やスクーラ村 Skoura の薔薇祭り Festival des Roses がよく知られています。

 モロッコで生産される香料用バラは、ダマスクローズであることが知られています。しかし、それのみではなく、キャベッジローズもあるようです。しかも、"first planted by French settlers" と言うのですから、大規模栽培がなされているものと思わなければなりません。その導入時期は、そんなに古い話ではないはずです(それに対しダマスクローズは、ローマ時代にはモロッコまで到達していたものと思われます。ただし、ダデス渓谷への移植時期は不明)。困ったことに、この地を紹介している書物やホームページ中には、この2種類の区別ができていないものがあるのです。記述内容や写真から見て、キャベッジローズのことと思われるのに、ダマスクローズと称しているものが少なくありません。すなわち、ダデス谷のバラについて書いている記事類を、そのまま鵜呑みにするわけには行かないという事情があります。
 いろいろと調べた結果、ダデス谷のバラは(多少の交雑はあるかも知れませんが、基本的には)ダマスクローズであろうとの結論に達しました。それらは、畑を区切るための生け垣として栽培され、一面バラ畑の様相を呈するものではありません。生け垣の高さは、1.5 m 内外で、採集されるバラの花は、この生け垣に咲いたものなのです。香料原料としては、朝、咲き始めたばかりの半開きの花が(成熟し、かつ、香気の散逸がないので)最も良質であるとされています。

香料用に栽培されるバラ2種
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ダマスクローズ Rosa damascena

 「ダマスカスのバラ」の意。原種産地はシリアまたはペルシャ。原種はこんな色。現在は、白・濃紅もある。花弁数は変異が多いので、R. centiforia との交雑種が混じっているのかも知れない。花径約 6 cm。半八重・平咲き。

 産地はブルガリアやモロッコ・バラの谷が有名。摘み取った花の殆どは、半乾燥品または香料用粗加工品として主にフランスへ輸出。

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キャベッジローズ Rosa centifolia

 「多花弁バラ」の意(centi は「百、多い」,folia は葉・花弁)。原種産地は、ペルシャとも、ヨーロッパとも。原種はこんな色。現在は、白・淡紅・濃紅もある。花径約 9 cm。八重・カップ咲き。

 フランス産の香料バラ Rose de mai は本種。植民地であるモロッコにも移植された。プランテーション産品として大量栽培・工場加工される。

 バラについて語り尽くすことは不可能ですから、このページでは「モロッコのバラ」(殊にダデス谷のバラ)に関することだけに限定します。
 R. damascene, R. centifolia、両者共に様々な改良・交配品種が出回り、本来の野生原種はないと言われています。damascena に関して言えば、R. gallica と Rosa moschata(ムスクバラ)さらには Rosa fedtschenkoana (3種とも原種は総て一重咲き)の自然交雑種と言われており、その原産地はペルシャあたりだろうと言われています(ダマスクバラの名前は、十字軍がダマスカス近辺から持ち帰ったためにつけられたもの)。現在、製油用品種で 26 型以上、園芸用品種で 13 型以上の遺伝形が確認されています【Microsatellite analysis of Rosa damascena Mill. accessions reveals genetic similarity between genotypes used for rose oil production and old Damask rose varieties, RUSANOV K.et al., Theor Appl Genet. 2005 Aug;111(4):804-9】から、他種との交雑・選別を受けた品種が各地に育っている(すなわち、*「ダマスクバラ」にもいろいろある)ものと思われます。R. centiforia は更に多くの形質が流れ込んでおり、自然交配に加えて人手が加わったことも確実で、その遺伝的な源流は10種に及びかねません。
 世界の香料バラの70%にも及ぶブルガリア ** の品種(Kazanlak Rose)は、R. damascena の流れをくむ R. d. trigintipetala で、ドイツ人の Dr. Dieck によって1689年に、中東から持ち帰られた多くの株の中から選抜されたものです。
** どの説明書を見ても、Bulgarian rose = Rosa damascena としています。しかし、画像の多くは多花弁型で、典型的な R. damascena とは少し趣が異なります。

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ブルガリア、バラの谷の中心地 Kazanlak 村の収穫祭(平咲きながら花弁は随分多い)

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Bulgarian rose の画像 例

 このクローズアップ画像は、R. centifolia と見るべきものでしょう。産品にはアブソリュートとオットーの両者があるようですから、ここでは、ブルガリアのバラには2種類が混在するものとしておきます。

バラ水とバラ香油
 元来のバラ香料は、バラの花や蕾を集めて水で煮たのです。得られた水がバラ水、水上に浮いた油がローズオイル。オイルは本当に少量しか取れないので、極めて貴重です。
 この方法は、現代的な大量生産には向かないので、現在では溶媒抽出や水蒸気蒸留が用いられます。キャベッジローズには主に溶媒抽出法が用いられ、「ローズアブソリュート」と呼ばれる赤色透明のオイルが得られます。対して、ダマスクローズには水蒸気蒸留法が使われ、無色に近い「ローズオットー」(水ではなくて油です)が採取されます。【前者の方が成分濃度が高く、香り・抗菌性・崔淫性等が強い傾向があります。溶媒抽出法は、高熱をかけることがないので成分の分解が少ない反面、残留する溶媒によってアレルギー反応を示す人がいるようです。】

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