トァレグ族/ベルベル人

サハラ原住民

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 サハラ砂漠に住む人口や民族については、正確なことが判っていません。国境が確定されていない紛争地域があること,自称・他称を含めて人種・民族の分け方に異説が多いこと,住所が定まらない人々も極めて多いこと,国によって人口統計の取り方とその信頼度が異なること,北部ではアラブ人と・南部では黒人との混血が進んでいること、等が原因です。
 ここでは(その混乱も含めて)サハラの先住民であるベルベル人と、その一支族と見られているトァレグ族について、ごく簡単に整理しておきたいと思います。 


ベルベル人
 「ベルベル人」Berber poeple は北アフリカの先住民で、アフロ・アジア語族(セム・ハム語族)に属する「ベルベル語」(ハム語系。部族毎に変異・方言がある。)を使用する人々の総称。コーカソイド、すなわち、白人系。現在はイスラム教を信じ、アラビア文字を使用する(トァレグ文字については別欄)。独自の文化を維持する一方で、上記のようなアラブ化が更に進み、(特に都市部では)同化しつつある。総人口は1000〜1500万人といわれ、ヨーロッパ(主にフランスとオランダ)には約300万人が移民として生活しているという。遊牧生活をする者と、定住する者とがいる。
 ギリシャ語のバルバロイ(「蛮語を話す」の意)がベルベルの語源。自らはイマジゲン(Imazigen:高貴な人・自由人)と称する。フェニキア人が北アフリカにも交易都市を建設すると、ベルベル人(の一部)は隊商交易に従事し、やがてローマ帝国の支配下に入ってキリスト教化する。8世紀になるとアラブの支配するところとなり、イスラム化・アラビア語化が進んだ。北アフリカに広く分布し、シーワ・オアシス(Siwa Oasis。カイロの西 560 km、リビアとの国境近く)が東限とされる。

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 カルタゴの南に居住していた原住民ベルベル族が 「Afrigs」と呼ばれていたため、古代ローマの統治時期には植民地の南部を 「Afriga」あるいは「Afrigsの土地」と呼び、これが「アフリカ」の語源となった。(ギリシャ人はリビアと呼んでいた。)

 カプサ文化(後期旧石器時代〜中石器時代:紀元前15000年〜紀元前5000年。フリント製の細石器を伴う。 アフリカ地中海沿岸に分布)を残したのはベルベル人の祖先であるといわれている。


トァレグ族
 ベルベル人の一支族であるが、下記のような特質によりトゥアレグ族 Touareg は、良くも悪くも特別な存在として異彩を放つ、勇猛で誇り高い(換言すれば身勝手きわまるヤクザな)部族であった。下図に示すように、北アフリカの内陸部、ナイジェリア,マリ共和国,ニジェール,モーリタニア,アルジェリア,リビアなどで生活している。

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トァレグ族の分布。出典:パブリックドメイン

 サハラに住む北部トアレグ族約1万人とサヘルに住む南部トアレグ族約24万人(100万から350万人という説もある。どの階級を含むかによって異なるのかも知れない)。ターバン(シュシュ)と、トゥアレグブルーと呼ばれる鮮やかな藍染めの民族衣装ダラア(ガンドゥーア)を身に付けるため「青の民」「青い人」等の別称で呼ばれる。

 使用する言語はベルベル諸語のひとつトゥアレグ語(タマシェク/タマチェク語はその西アフリカ方言)で、ティフィナグ tifinagh と呼ばれる独自の文字(ハム語族のリビア語を起源に持つ。縦書きも出来る)が古くから使われていた。【近年アラブ化の進行に危機感を覚え、ティフィナグ Tifinagh alphabet ("Lybico-berber") を新ティフィナグ neo-Tifinagh としてベルベル人全体に復活・普及させようとする動きがある。】

 参考サイト:ティフィナグ アルファベット
  The Tifinagh alphabet
  Tifinagh tables by Hanoteau
  Tifinagh alphabet and Berber languages
  Tifinaghe(フランス語ウィキペディア)

 トァレグ族の社会には、他のベルベル諸族にはない厳格なイスラム流の階級制度が存在し、職業や婚姻が厳しく制限されている。「貴族」「自由民(家来)」「奴隷(建前上、現在は存在しない)」と大まかに3つの階級に分かれる。階級によって、皮膚の色・生活様式・ラクダの乗り方等が異なる。
 「イマシュク(貴族)」は一般的に白人の様な白い肌と顔立ちで背が高く青い服を着ているのが特徴で、男性は青いベールを被っている。(ターバンの色は氏族・家系、等により様々で、青とは限らない。)
 「イムカド(自由民・家来)」は貴族とは主従関係にあるが、基本的に自由な身分。黒人の血が混じっており白い服装(男性は白いベールを被っている)である。仕事は主に家畜の放牧。
 「ハラティン(奴隷)」は名の通り貴族・自由民の所有する奴隷。かつてトアレグ族に征服されたハラティン族などの他民族(スーダン系黒人)の人々。農耕の仕事に従事し、作物の大半は貴族の所有に帰す。
 一部のトゥアレグ族は、部族の首長たちによって全集団の長「アメノカル」を選ぶ風習があった。

 奴隷とは別に、卑賤な職業と見なされる職種があった、たとえば、現在でも「鍛冶職人」は被差別階層として底辺にある(他に、床屋・肉屋・陶工・吟遊詩人・靴職人・機織職人・井戸掘業、等の地位も低く、世襲制である)。このような事実は、サンテックスの作品(殊に「城砦」)を読む、または、論評するに際しては、明確に押さえておく必要がある。
【たとえば「庭師」はどのように理解すべきか? 上記の「アメノカル」が実は選挙・推戴制であることも重要である。(ただし、サンテックスがそれを知っていたとは限らない。)】

 イスラム世界では女性が全身や顔を衣装で隠す習慣があるが、トゥアレグでは男性が全身と顔を覆い、女性はヴェールを用いず、皮膚を露出していることさえある。結婚は、常に一夫一婦制で、女性が夫を選ぶ権利を持っている女系社会。【ベルベル人の中では飛び抜けて知識・教養が高い部族であったが、イスラム社会の習俗としては異質な点が多く、現在では、蒙昧で野蛮な部族の代名詞として、差別されることも多いようである。】

 ベルベル人は定住や遊牧、そして、隊商による砂漠横断交易に従事。対してトァレグ族は槍・刀・楯で武装して駱駝に乗り、隊商の警護や襲撃を行っていた。サハラ砂漠を横断する隊商路を支配し・交易品に課税し・隣接諸部族をおそって略奪することも珍しくなかったため、トァレグ族は高慢で好戦的な部族として怖れられていたが、20世紀初頭にフランス軍に鎮圧され、遊牧民と化した。【サンテックスが知っていたのはこの時代。】
 最近は大旱魃の影響で家畜を失い、定住して農耕民化する傾向にある。

 金を「腐った金属」として蔑み、銀を尊重して、部族や家系に独特なデザインのアクセサリーを身につける(砂漠でコンパスの役割を果たすというトゥアレグ・クロスが有名)。

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トゥアレグ・クロス(日本で購入した販売用の「民芸品」)
見るとおり“十字架”はキリスト教徒の勝手な呼び方。  

 マリ共和国にあるトンブクトゥ(Tombouctou, ティンブクトゥ)はトァレグ族支配地の都であった。サハラ交易路の中継地として隆盛を極め莫大な富を蓄積したが、船舶航路が開拓されるや砂漠交易は急速に先細りとなる。1700年台には見る影もなく衰退して遺跡化し、やがて伝説の都として語り継がれる存在となった。



ベドウィン
 サハラにおける「ベルベル人」に対応するものが、アラビア半島を中心とする地域の「ベドウィン」Bedouin であり、上記シーワ・オアシスより東の西部砂漠(サンテクス墜落地点は彼らの行動範囲に入っていた)から紅海周辺を経てアラビア半島の砂漠に住むアラブ人(ときにそれ以外を含む)の遊牧民をさす総称である。ベルベルと同様、ベドウィンも多くの部族を含み、交易に従事する者もいる。
 信頼に足る人口統計はない。宗教はもちろんイスラム教。婚姻は同部族内で父権的に決定され、女性が肌を見せることはない。

 イスラム教とその文化はアラビア半島に発し東西に広がった。勢力の中心は都市部にあったが、砂漠の民であるベドウィンの風習・文化が色濃く取り入れられており、いわば、ベドウィンはアラブの祖である。
 近年、都市とその周辺への定住が進んでいたが、特に1960年前後の大旱魃によって遊牧生活が大打撃を受け、生活様式が劇的に変化せざるを得なかった。


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