Pilote de Guerre
Flight to Arras

hair line

 Pilote de Guerre/Flight to Arras は、1942年、亡命先のアメリカで出版されました。合衆国の出版社は例によって印刷年月日を明記しませんから、1942年ということしか判りません。【Flight to Arras の発売は2月20日だったようです。】

 出版予定は1941年中でしたが、遅筆のサンテックスは原稿をなかなか書かず、せっかく渡した原稿も書き直しのため取り返したりで、例によって出稿が遅れました。しかし、これが幸いを呼びました。
 大統領はじめ政府首脳部は英仏を助けてヨーロッパ参戦を急ぎたかったのですが、アメリカの国論は他国の戦争に冷淡でした。特に、フランスが為す術もなく敗退し、しかも、アメリカ国内のフランス人は醜い争いを展開していました【日本の陸軍と海軍が犬猿の仲であったことは有名ですが、アメリカ国内の新独派・反独派の争いも酷いものでした。ダンケルクの撤退でフランス海軍は動く気配すら見せず、ヴィシー政権はユダヤ人狩りを行う始末】。敵国に対するよりも激しい憎しみをぶつけ合う相剋を面前で繰り広げるフランス人に、アメリカ国民は呆れ果て、自国の若者の血を捧げる気にはなれなかったのです。
 そんなとき、パールハーバーの騙し討ちが起きました。降りかかる火の粉は払わねばなりません。醜悪な黄色いサルに対する憎しみは、三国同盟でつながる独伊にも向けられました。厭戦気分は吹き飛び、若者は先を争って軍務に志願したのです。その最中に「アラスへの飛行」は出版され、たちまちベストセラーになりました。
 アメリカ参戦へ向けてフランスがした最大の そして、サンテックスが行ったほとんど唯一の 貢献が、Flight to Arras の出版でした。それまで、「我が身を護ろうともしない国を助ける必要なぞない」と、フランスに冷淡であった人々にも、「無気力だったわけではない。フランスも全力を振り絞って戦ったのだ」と、受け入れられました。遅れたために絶好の出版時期となったこの本は、当時アメリカ国内で人気があった“Mein Kampf”(アドルフ・ヒトラー著・我が闘争。皮肉なことに、出版社は Reynal & Hitchcock 社・1939年です)に対する「民主主義の側からする返答」と、もてはやされるに至ったのです。

 ヴィシー政権下のフランスでも、ヒトラーを愚弄する部分を削除するという制限付きで出版が許可されましたが、親ナチ派の槍玉に挙がり、すぐ発行禁止になりました。地下出版物として反ナチ派の間で読み継がれます。その内の一つ、リヨン版(発行部数約1000部)を手に入れる機会がありましたが、紙がボロボロと崩れ落ちるありさまで、価格に見合う状態ではなかったので、入手を見合わせました。地下出版物の多くは紙質が悪く、長期の保存に耐えられません。【⇒ 手に入れました。下記“リヨン版”をご覧ください。】

【フランス語で“pilot de chasse”は「戦闘機乗り」、“navire de guerre”は「軍艦」です。したがって、“Pilote de Guerre”は、本来ならば「軍用機操縦士」と訳すべきものと思われます。】


Pilote de Guerre
戦う操縦士

“Pilote de Guerre”初版・署名本。

logo

La Maison Française 社。New York, 1942年。表紙と背。

logo

タイトルページ。私家装丁を見込んで大きな用紙を使用しているのが判る。

logo

テクスト紙に印刷された初版本50部の内、この本はNo.34。  
サンテックスのサインがある。版権元は Reynal & Hitchcock 社。
アンカット製本。他に、アルファベットを打った26部と、    
51-500までの番号を打った450部がある。          


“Pilote de Guerre”初版。

logo

La Maison Française 社。New York, 1942年。表紙。

logo

初版本の内、特製526部にはアルファベットまたは番号が打たれている
が、この本は番号なしの市販品。版権元は Reynal & Hitchcock 社。 
アンカット製本、挿絵なし。                   


Pilote de Guerre
戦う操縦士

“Pilote de Guerre”ガリマール社初版。

logo

Gallimard 社。1942年。表紙。通常の nrf シリーズはサモンピンクの
表紙だが、この本は La Maison Française 社版に似た灰色系の色彩。

logo

市販品とは別に特別な紙を使って印刷した20部の内の No. 2。
アンカット製本、挿絵なし。判刷番号もない。       
ヴィシー政権時代、出版はドイツの管理下にあり、出版部数を
制限(1000部と伝えられる)された上、半年足らずで発禁に
なった。初版本は極めて珍しく、高価である。       


Pilote de Guerre
地下出版:リヨン版

 出版部数千部とも二千部ともいわれる、地下出版のリヨン版。極めて珍しい。
 全ページがカットされ開けられているものの、手擦れが殆ど認められないので、
大切に保管されていたものと思われる。

logo logo
表紙(左)と裏表紙(右)。裏表紙の色から、元は薄緑色だったことが判る。
古びて、かなり傷んでいる。ペーパーバック・アンカット装丁。
22.2 × 14.1 cm, pp. 119。

logo
 タイトルページ

logo
第一章。紙が貴重なためか、活字が小さい。
出版年月日・印刷所等、一切記載なし。


Flight to Arras
アラスへの飛行

“Flight to Arras”初版

logo

Reynal & Hitchcock 社。New York, 1942年。
限定500部、著者・挿絵画家署名本。

logo

スリップインケース。


logo

表紙・背。


logo

 表紙裏と裏表紙裏の見開き挿絵。


雨雲の上を行くサンテックス機と高射砲弾炸裂の硝煙。左下隅には5機の護衛戦闘機編隊も描き込まれている。

logo

著者(サンテックス)と画家のサイン。
500冊限定中第255番目。


logo

 タイトルページ。


logo

 内容の一節の挿絵。


踏みにじられた巣から脱出する蟻のように、先を争って避難する住民たちの車の群れ。

hair line

トップページに戻る
総目次に戻る

表紙を表示する(フレーム構造を取り入れる)


hair line