北アフリカに渡ったサンテックスは首尾良く 2/33 部隊へ復帰しますが、案の定、散漫な着陸操作で大破事故を起こし、新鋭機を使用不能のスクラップにしてしまいます。「それみたことか」とばかりに処分されてしまいました。【サンテックスの体面を保つために“飛行停止処分”と伝える伝記類が多いのですが、実態は明らかに“懲罰除隊”です。サンテックス自身 2/33 部隊を離れて都市部での間借り生活を送りますし、あれこれ画策して軍務に着く際には、1/22 部隊(爆撃隊・副操縦士に任命)に配属されているからです。あろう事か彼は、命令を無視して勝手に 2/33 部隊へ帰任してしまいます。】
今回入手した Lettre aux Américains は、本文僅か3ページの短いもので、「あるアメリカ人への手紙」(Lettre à un Américain)とは別物です。とはいえ、残されている「あるアメリカ人への手紙」の手書き原稿(もちろんファクシミル版)と、この印刷物とを読み比べると、別物とは言えません。前半および後半は、「あるアメリカ人への手紙」の書き出しと結語部分にそっくりなのです(全く同一というわけでもありません。たとえば、「あるアメリカ人への手紙」で“Flight to Arras”となっているものが、「アメリカ人達への手紙」では“Pilote de guerre”になっている等)。「あるアメリカ人への手紙」で語られるガヴォワールとのエピソードも、「アメリカ人達への手紙」では省かれています。つまり、「あるアメリカ人への手紙」の省略・短縮版が、この「アメリカ人達への手紙」と理解して大過ないと思われます。
表紙。
タイトルページ
本文の始まり。
本文残り2ページ。綴じ糸は淡い青色。
奥付。全部で51部(40 + 11)の限定版。
![]()
アメリカ人達への手紙
除隊処分を解除して貰おうと、あれこれ足掻き回っているとき、従軍カメラマンとしてアフリカ戦線へやって来た John Phillips と出会います。完璧なフランス語を話す希有なアメリカ人であるフィリップスは、この高名な作家の名を知っており、被写体としての興味と、彼が契約している雑誌に何か書かせたいという野望もあって、彼に近づきました。接触を続けるうちに、サンテックスの人となりにぞっこんとなってしまいます。一方サンテックスは、戦線復帰のためならばどんなことでも試みました。どうせ嘘で固めた人生でしたから、守る気のない約束も乱発し放題です。フィリップスに対しても、「戦線復帰に協力してくれたら、何か原稿を書く」と約束しました。
フィリップスは人脈を使って、随分努力をしてくれました。その効果があったとは言い難い部分がありはするものの、とにかくサンテックスは 2/33 部隊に復帰しました。そこでフィリップスの被写体を務めるうちに、結構仲良しになりました。フィリップスが他所へ移動してしまうに際して、「何か書こう」という約束を思い出したのでしょう、(結局フリップスに手渡しはできなかったのですが)一晩かかって(1945年5月29日)二つの原稿を書き上げたことが判っています。原稿をなかなか引き受けず、引き受けたとしても、その殆どが空手形に終わったサンテックスとしては異例のこと。原稿集めに関してはずぶの素人であるフィリップスが成功したことを知った他社の編集者が、天を仰いで慨嘆したといいます。
結局、その原稿は印刷されることなく終わりました。原稿のうちの一つ、「あるアメリカ人への手紙」は、1945年4月にラジオ放送されました(朗読:シャルル・ボワイエ)。原稿は、1984年、フリップスからフランス国立図書館へ寄贈されました。
上記“二つの原稿”とは、「あるアメリカ人への手紙」と、(ライフ誌に写真込みで掲載するには長すぎるので)その短縮版である「アメリカ人達への手紙」であったろうと推測されます。





この本は No.39。