墓地巡り

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 ブエノスアイレス市には主な墓域がふたつあります。上流階級専用のレコレータ墓地と、市営の共同墓地とです。

 これはレコレータ墓地の写真ですが、どちらも墓の構造は同じ様なものです。一つの墓が占有できる面積は決まっており、みな同じ1単位だけです。

墓地の様子
 趣向を凝らした「建物」が立ち並び、それぞれに地下室を持っています。建物内部の広さはたたみ3畳ほど。棺を載せることができる大きさの頑丈な棚を3段ほど設けるのが普通のようです。床の一部を開くと地下室への階段になっており、そこにも棺を収用できる構造です。(地下室の明り採りのために、床は鉄格子か強化ガラスでできているものがほとんどでした。) 墓は一族代々の永眠所なのです。

エビータ
 レコレータ墓地は、一種のステイタスシンボルです。どんなに金が掛かっても構わないからレコレータに墓を建てたい、と願う人は一杯います。叶わぬ夢です。満杯なのですから。高級住宅地のド真ん中に位置しています。(都心近くですが、旅行者にとっては不便な場所。タクシーに頼るしかありません。)

 ペロン大統領夫人、といってもピンと来ない人が多いでしょう。「エビータ」という愛称で世界的に知られた剛腕政治家で、すこぶるつきの美女でもありました。
 エビータは田舎の出身です(父親不明と言われています)。ブエノスアイレスに出てきたときは、頼る知り合いとてない流れ者状態でした。エビータの家族がレコレータに墓を持っていよう筈はありません。死後は故郷で母親一族の墓に埋葬されるのが当然なのですが、本人がそれを望まなかったのでしょう。大統領夫人としての意地もあります。一方「事実上の大統領」であり、まだ33歳の若さと美貌、そして絶大な権力を保ったまま病死した人気絶頂のエビータを受け入れるのは一族の名誉だったでしょうから、遠縁の親戚の墓に埋葬されることになったのだと思われます。

献花
 今でも彼女のファンがひきも切らずに訪れます。絶えることなく生花(萎れればすぐさま片づけられてしまいます)が捧げられていることでそれが判りましょう。入り口右側のブロンズ板は、すべてエビータに捧げられたものです。墓の持ち主、「軒を貸して母屋を取られた」感がありますね。
 この墓地は撮影禁止ではないようです。


 こちらはチャカリータ共同墓地。市の中心部からは離れたところにありますが、中央郵便局の北側、コリエンテス通りの地下にある L.N.Alem 駅始発のB線に乗って終点 F.Lacroze で降り、地上の駅舎を列車の進行方向右側に出れば、道路の向う側にバラック建ての花屋さんが軒を連ねます。そこから列車進行方向逆向きに歩くと花屋さんが途切れ、共同墓地の出入り口は左手斜め前。(管理事務所の入り口は、そこから道路を渡って右方向・出入り口に向かって塀沿いに歩き、すぐ左手にある小さな通用門を入って左側。本当はここが「入り口」で、管理事務所の管理簿に記帳を済ませてから墓に向かう決まりのようです。本来、観光客が来るべきところではないのでしょう。)
 広い墓域を縦横に車道が巡らされています(もちろん徐行専用。墓域内専用の小型バスやタクシーもありました)。歩いて全域を見ようというのは暴挙といってよい広さです。そして何より、ビデオも含めて撮影は原則禁止。どうしてもというなら事務所へ赴いて理由を述べ、許可を取らねばなりません。スペイン語とイタリア語しか通用しませんでした。許可を貰うと、案内と監視を兼ねて警備員が付き添います(域内警備に常駐しています)。案内なしでは目的の墓にたどり着くことは覚束ないのですが、それだけではなく、許可以外の墓を無断撮影させないためもあるのでしょう。

カルロス・ガルデル
 クラーク・ゲーブルをはじめ、なみいるハリウッドのスター俳優たちに妬まれたという人気を誇る名歌手、カルロス・ガルデルの名を知らないでは、タンゴを語る資格はありません。エビータの墓以上に、生花で一杯でした。死後70年近いというのにこの人気。

Carlos Gardel : 1887.12.11 フランス/トゥールーズ生まれ。幼くして母親とともにアルゼンチンに渡り、貧乏暮らしの中から作曲家として頭角をあらわす。のちに歌手としても人気を博し、アメリカ・ヨーロッパでも活躍。世界的な名声を得て当代随一のタンゴ歌手となる。1935.6.24、コロンビア/ボゴダ市のメデリン空港で飛行機事故により死亡。

 未婚の母に育てられ、「神話」とまでいわれるほど謎に包まれていたカルロス・ガルデルの出生について、新しく日本語訳が公表されました。当時の宗教的戒律から結婚を許されない近親相姦によって生を受けたこと・その他が、カルロス・ガルデルの出生の真実 に詳しく述べられています。ガルデルファン必見のページ。
 彼の死にまつわる「メデジン空港の事故の謎に迫る 」と併せて、銀乃 川太郎 さんのホームページ を是非ご訪問下さい。


 「ペロン大統領の墓も見るか?」 案内の警備員がそう尋ねました(もちろんスペイン語!)。撮影の許可は得ていません。「Si!」と答えると、墓地の出入り口近くにあるペロン家の墓に案内してくれました。

ペロン家の墓
 エビータの墓に較べると、夫である元大統領の墓は何とも侘びしいたたずまいでした。というより、墓は本来こんなものでしょう。赤い花が2輪捧げられているように見えたのですが、近づいて見ると造花でした。却ってわびしさが募ります。
 カメラを持ち上げて「撮ってもいいか?」と目で尋ねると、黙ってうなずき返します。辺りに人がいないことを確かめてファインダーを覗き、手早くシャッターを切りました。用意した紙幣を掌に忍ばせて「グラシアス」と握手を求めます。若い警備員は、眉一つ動かさずに握手を終えました。彼等の給料は安いのです。郷に入っては郷に従うことも、旅行者のマナーの一つでしょう。

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