¿ 聖書と資本論に次いで ?

無意味な比較

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 Le Petit Prince と翻訳書は世界中で発行され、その発行部数は、聖書と資本論に次いで第3位 . . . .  

 新訳ラッシュが始まって以来、この愚かしい表現をどれほど読まされたことか。最初にこのフレーズを書いた Nathalie des Vallières(サンテックスの妹ガブリエルの孫娘。Saint-Exupery L'archange et l'écrivain の著者)には、まだしもオリジナリティがある。臆面もなくこの表現を剽窃したブロガー達は、独創性の欠如と無意味な内容を恥じ入るべきだ。

 私は(日本語訳以外も含めて)「聖書」数冊を所持していた。代金を支払ったものは一冊もない。各教派から無料で貰った(押しつけられた)のだ。世界中どこへ行っても、書店や教会で聖書を買い求めるのは、キリスト教にのめり込んだ人だけである。消耗品ではないから、その人達が購入する量はたかが知れている。世に溢れている聖書のほとんどは、無料で配布された簡約・抄訳本だ。街角や訪問先の家庭に無料で配られ、ホテルや老人ホームにも無料で置いて貰う。いうなればキリスト教各派の信者獲得用宣伝パンフレットなのである。【配下の教会や伝道師達に、ノルマとして一括購入を強いている宗派も多い。信者からの寄付の一部が充当されたり、伝道師が自腹を切ったりすることになる。貰った人の大部分は、捨てたり紛失したりするから、こちらは消耗品である。】そして、時代をグーテンベルク以降に限ったとしても、聖書の総発行部数など誰も知らない。
 資本論も特殊事情を抱えている。日本でこそ一般書籍だが、旧共産圏では昇進のために欠かせない教科書であり、身を守るための護符でもあった。その圧倒的な出版部数が、この目的のために消費されたことは疑いを容れない。正確な記録は残っていないだろうけれど、かの「毛沢東語録」(毛主席語録)の発行部数もこれらに劣るものではないだろう。年間発行部数で較べれば、「毛語録」こそ、未来永劫破られることのないレコード保持書であろうと思われる。このようなものと Le Petit Prince の印刷部数を比較して、いったい何の意味があるというのか。市販の文学書をこれらの「書物」と同列に扱うという発想法は、私にはまったく理解できない。(幾人もの大学教授をはじめ)冒頭の文を真顔で用いた人々には、書物に関する論評を行う資格がないと私は思う。【情けないことに、Le Petit Prince の翻訳者も混じっている。】

 Le Petit Prince の発行部数や翻訳言語数についても、正確な数値は誰も知らない。著作権法がない国や国際条約に加盟していない国では、許可や届け出の必要はないからだ。著作権が生きている国でも、海賊版は沢山あった。現に私のコレクション中にも、翻訳権・出版権を取得していないものは、合法・非合法あわせて多数ある。その言語数や発行部数は掌握されていないし、決して無視できる量ではない。実際の発行部数は、いわれているよりずっと多いのである。

 内容のない空虚な文言を、意味を検討することもなく盗用する「批評家」の何と多いことか。そして、その無意味さを指摘した人物は、私の知る限りたったひとり、故 倉橋 由美子 氏だけである。ここ一年ほどの新訳論評ラッシュは、この国の言論界が、素人玄人こき混ぜて、些かお寒い実情であることの一端をはしなくも露呈させるという役割を果たしたと言って良いであろう。

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