サンテックスの文体

星を現像する

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Un ciel pur comme de l'eau baignait les étoiles et les révéleait. Puit c'était la nuit. Le Sahara se dépliait dune par dune sous la lune. Sur nos . . . .  

 水のように澄んだ空が星を漬し、星を現像していた。しばらくすると夜が来た。サハラ砂漠は月光を浴びて砂丘へとひろがっていた。僕らの . . . .
南方郵便機: 堀口大學 訳

 露光を終えた印画紙を素早く現像液の中に沈める。ほのかな暗室灯の赤い光の中で、不思議なことに印画紙は(赤くはなく)その白さを保って見える。暫くは何事も起こらない。やがて、幽かに翳りが見えたような気がする。「錯覚か?」と思うまもなく、その翳りは現実のものとなり、急速に像を結び始める。まるで、紙背から浮かび上がってきたもののようである。みるみるうちに陰翳はしっかりとした黒さを獲得し、像は鮮明なものへと姿を変える。暗部が充分に引き締まった黒に変わる頃、印画紙を現像液から引き出し、停止液、そして定着液へと移す。明かりを点ける。液の中の印画紙には、現実の一瞬が切り取られ、固定されている。暗室光の下で頼りなかった陰翳は、いまや紛う方ない輪郭を持った像としてその存在を主張している。
 海や山での夕暮れ時、浅黄の空に頼りなく現れた星影が刻々とその存在を露わにし、やがて漆黒の満天を覆い尽くす光点の群れとなるさまは、まさしく「現像」そのものである。暗室で紙焼き(プリント)操作を経験したことがある者は、いや、経験した者だけが、この表現 ―「 星を現像していた 」― のすばらしさを理解できるのだ。(自分のカメラを所持し、弟の死顔その他を撮影したサンテックスは、現像操作の経験があるはず。)

 上記色枠内の文章は、「南方郵便機」の冒頭部分にある。一字一句の加減も許さない、引き締まって無駄のない文章である。“dune” “dune” “lune”と、3度繰り返される音韻の美学が、このデビュー作の冒頭に早くも姿を露わにしている。そしてまた、日本語訳も原文に劣らずすばらしい。サンテックスの文体を日本語に引き写すのに、これ以上のものは望み得ないほどである。
 この révéler (= développer) を「現像」とせず、他の単語に置き換えて訳す人がいる。暗室に入った経験がない訳者には、この表現のすばらしさが判らない。仮にそれを知っていても、ディジタルカメラの時代になって、現像操作を経験者した読者などいないからというわけだ。しかし、ここで「現像」以外の選択はあり得ない。他の言葉では(時間経過に伴う変化を表せない。ムービーとスチール画像の違いがあるから)、この文章は死んでしまう。そもそもサンテックスの時代にあっても、現像操作の経験者はほとんど居はしなかった。それなのにサンテックスは、敢えて「現像」という言葉を選んでいる。サンテックスの文章の特徴のひとつは、読者におもねるところがない点にある。「解らないような読者は相手にしない」というわけだ。やがては「城砦」につながって行くサンテックスの思想の根本は、良くも悪くも貴族趣味に貫かれているのである。

【このことは、Le Petit Prince を読み解く上でも、ゆめゆめ忘れてはならない。童話仕立てであるからといって、子供向けの内容などでは断じてないのだ。大蛇の体内を見透かすことができない読者は相手にしない。しかし、その真実を見透すものは、「子どもの目」などではない。サンテックスは遙か遠くを見ている。「児童文学」などと見当外れの主張をする読者を、彼はせせら笑っているはずだ。】

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