死後70年への延長

死後70年への延長

あさましき延長論者達

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 著作権保護期間の延長問題を考える国民会議: 参考記事・著作権保護期間延長問題に関する各種情報
 著作権保護期間の延長問題を考える国民会議:保護期間「延長派」「慎重派」それぞれのワケ
 リアルタイム世論調査:「著作権の保護期間は延長すべきか否か」調査結果
 Hatena::Question:あなたは、著作権保護期間の延長に「賛成」ですか、「反対」ですか?


 著作権法改定の動きが本格化してきました。政府のモチベーションがアメリカからの圧力にあることは明らかです。何事によらずアメリカの言いなりになる情けない政府のことですから、与党の絶対多数を頼みに、なりふり構わず法案を成立させることでしょう。
 この馬鹿げた法案は何としてでも阻止しなければなりません。客観的な予測として成立は避けられないとしても、何の議論もなく易々と成立させるようなことがあってはなりません。政権を倒すほどの覚悟で、精一杯の抵抗をしなくては、20年後にまた再延長されることは目に見えているからです。


逆 提 案

著作権保護期間を死後20年に!

 2007年度国会に保護期間延長法案を上程することが本決まりになってきたようです。戦時加算を撤廃し、既に保護期間が過ぎた作品(Le Petit Prince はこれに相当します)に遡及適応はしない方針と伝えられますが、そのような末節の問題ではなく、根本的に「70年」という長期間にわたる過剰保護に反対します。「権利の塊」とまで呼ばれる著作権保護は、死後50年でも長すぎで、様々な不都合を引き起こしています。それを70年は論外というべきでしょう。
 以下に述べるように、私は著作者死後の保護期間は無用と考えています。しかし、既得権の縮小・改廃はなかなか簡単には行きません。現実をあるべき姿に近づけるためには、それなりの寛容と時間が必要です。

 妥協案として、作者死後の保護期間は10年で充分と考えています。しかし、「遺族の生活を保護できる期間」という主張を最大限考慮して、「死後20年」を提案します。作者死亡時に配偶者が懐妊中であった子が成人するまでの期間です。
 配偶者であれ、子であれ、これ以上の支援は必要ないでしょう。経済的に意味のある収入源になるほどの作品であれば、(銀座のクラブで散財するようなまねをしないかぎり)作者存命中に必要な蓄えはできる筈です。著作権保護の『本質』は、「収入権益保護」にあるのではありません。
 もちろん、多重権利禁止についても考慮されなければなりません。


著作権保護期間延長について

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 ディズニー社の横暴・アメリカ政府の暴走
 地球はアメリカのものだと思っているアメリカ人、殊にあの知性に欠けるジョージ・ブッシュは、強引に全世界のアメリカ化を図ります。著作権保護期間に関しても同様で、アメリカ国内の企業権益を全世界から収奪すべく、各国政府への強圧を顕わにしました。ことは「ミッキーマウス延命」だけでは済まなくなったのです。このまま暴虐な侵攻を許すならば、世界中の文化的土壌は、アフガンやイラクのように荒廃した惨状を呈することになりましょう。
 映画は既に70年
 日本では、2003年6月12日に「著作権法の一部を改正する法律」が国会で可決・成立し、映画の著作権保護期間がに70年に延長されました。しかし、これは充分な議論もなされないまま、どさくさ紛れに成立したもので、映画関係者の中にさえ「著作権保護期間が70年に延長されたことを知らなかった」人がいるくらいです。
 70年への延長要望書
 アメリカからの強い圧力を受けて、政府は著作権保護期間の全般的な延長を決意しました。それに合わせて、日本音楽著作権協会・日本文藝家協会等16団体(著作権問題を考える創作者団体協議会)が「保護期間延長を求める共同声明」を出しました。もちろん、国内からの要請という形が欲しい政府の傀儡に過ぎません。
 文藝著作権通信 No.7(PDF ファイルです)にその説明があります。極めてお粗末な内容で、語るに落ちるというものですが、彼らの狙いがあからさまに浮き彫りにされる迷文ですから、<未完>
 見苦しい銭金の亡者達
 延長要望書を提出した人々の殆どは、保護期間延長が自身の利益にもなると信じています。しかしこれは、愚かしい誤解なのです。
 著作権延長を本当に望んでいるのは、創作者ではなく、作品を商品化することによって莫大な利益を吸い上げている企業です。彼らにとって金の卵を産む鳥の寿命は、長ければ長いほど良いのです。「際限なく長く」。それが彼らの望みです。「死後70年」の、まともな理由なんてありはしません。そこには、目を覆うばかりの幼稚でヤクザなダダコネだけが蔓延っています。もう少しまともな意見を吐く人はいないのでしょうか?
 走狗として矢面に立っている延長賛成派「クリエイター」達は、結局のところ、財産権、つまり、ゼニカネを得る期間の延長を望んでいるに過ぎません。でも、<未完>
 印税放棄の例だってある
 「損得だけでものを考えるのはまるで後進国のような発想です」と、「著作権問題を考える創作者団体協議会 」は言います(上記文藝著作権通信 No.7)。「後進国のような発想」という差別的な言い方は大いに問題をはらんでいますが、アメリカのように「損得だけでものを考える」のが品格ある態度でないことはいうまでもありません。創作者である以上、自分の作品を多くの人に知って貰いたいのが一番の「インセンティブ」であるはずです。そのためには、独占を排し、多くの出版社やウエブサイトから、できる限りの低価格で世間に供給して貰うのが最良の方法でしょう。
 作品を愛し、すこしでも多くの人に読んで貰うことを願って、印税なしで本を出版をした人だっているのです。遺族の生活はおろか、生きている間の収入にもなりはしません。自費出版物や、研究費を得ての成果発表は、印税を取ってはいません。孫の代までの収入を「権利」と主張する創作者団体協議会にとって、これらの出版物は「そば・うどん」と同じく、「一緒にして貰っては困る」レベルのものですか?
 作品への愛情と作者への敬愛を混同するな!
 読者・視聴者が抱くのは作品への愛着と、「作品を通しての」作者への敬慕です。「作者」が敬愛されることと、作者である「実在の人物」が敬愛されることとは別の問題であることを忘れてはなりません(松本零士氏は、それが判っていない典型だと思われます)。「作者」への敬慕は、多くの読者・視聴者の胸を打つことで、「実在の人物」への報酬は印税としての収入という形で、報われるのです。それ以上のものではあり得ません。作者死後、その遺産相続者へ金を貢ぐことで作者への敬愛を表そうなどと考えている読者・視聴者は一人もいないでしょう。作者が死ねば、後に残るのは作品だけ。「私の主人の著作権はあと数年で切れます」などと「涙ながらに訴える」ようなパラサイト遺族と、読者・視聴者が目にする作品との間に、一体どのような関係があり得るのでしょうか。読者・視聴者が遺族を養わねばならぬ理由なぞ、ひとつもありはしません。
 理のない特権
 作者死後の財産権(=収入)保護。<未完>
 発明と特許権
 発明に与えられる「特許」は、出願日から20年間、「実用新案」は出願日から10年間有効。出願者や発明者の生死に関わりない。
 ジェネリック医薬品:開発研究費・手間・時間 <未完>
 法の下の平等・平等な法:法律によって保護されるということ
 著作権法が企業の利益を護るためのものでないのは自明なので、企業利益の平等についてここでは議論しない。
 著作権、とりわけその財産権の保護を「権利」だとわめき散らす「クリエイター」がいる。「権利」とはどのようなものか。「著作物」が法律によって保護されると言うことの意味を、頭を冷やして、いま一度とらえ返すことが必要である。著作家が特権階級であって良いわけがない。
 著作権法に含まれている過剰な特権を見直すべき時期に来ている。<未完>
 そば屋・うどん屋暴言
 スポーツ選手であれ、サラリーマンであれ、はたまた商店主であれ、体が動かなくなればそれまでの収入の道は閉ざされます。核心を突かれてうろたえた松本零士氏は、さらけ出してはならない本心を口にしてしまいました。作家だけは別だという「そば屋・うどん屋暴言」は軽はずみな失言ではなく、延長論者の本質を表しているのです。<未完>
 「クリエイター」の二枚舌
 「古典の利用は構わないが、近・現代の作品に手を触れるべきではない」という、奇妙なダブルスタンダード持ち出す始末。彼らの基準では、サンテックスや宮沢賢治は「勝手に」利用して良い古典作家だが、三田誠広氏や松本零士氏は、触れてはならない神聖な現代作家らしいのです。<未完>
 私小説
 以前は、「保護期間が終了すると、私生活を暴露した作品で遺族が迷惑する例もあり」と主張していましたが、あちこちで「保護期間と無関係である」ことを指摘されたからでしょうか、少しは勉強したようで、言い方が変わりました。【暴露されてまずい私生活に忸怩たる思いがあるのならば、そんなものを飯の種にすること自体に問題がありますし、そこで隠された嘘を法で保護すべき価値があるものでもありません。(私小説は、いわば、プライバシーを売ったのです。それは自らする権利放棄に等しいと覚悟すべきではないでしょうか。)】
 所詮「三つ子の魂 . . . 」というものでしょう、「著作権 = 財産権」といった基本的な考えは変わっていません。「日本にはとくに私小説という伝統があり、作品の中に家族が描かれることも少なくないのですが、自分が登場する作品の著作権が切れて、財産権として機能しなくなるというのは、ご遺族にとっては大きな失望だと思われます。」と、理解不能な主張をします。確かに、いままで入ってきたお金が入ってこなくなれば失望はするでしょう。でもそれと、作品中に自分が登場していたことと何の関係があるのでしょう? 【三田氏は「(遺族を失望させないために)孫が死ぬまで(=70年)は財産権を保証すべきだ」と主張しています。】
 作品内容の尊厳
 人格権の中にも、それを保護期間終了後まで延長するのに無理を生ずるものがあります。作者が死んでしまった後、「作者が好まないであろうような改変や解釈」は誰が判断するのでしょう? 誰かの恣意的な判断に任せるのでは、新たな解釈が圧殺されて、時代と共に生きることが出来ず、作品が死んでしまうおそれもあるのです。
 また、「星の王子さま」に関しては、消し去ることのできない汚点があります。テレビ放映用のアニメ作品「星の王子さま プチ・プランス」(Wikipedia 星の王子さま最後尾の「関連作品」の項、または、拙サイトの幼児用絵本を参照してください)がその好例です。内容は原作とまったく関係がありません。50年、あるいは、100年に一度の名作と評される原作の香りをぶちこわす出来で、容認できる代物ではないのです。しかしこの「改作」は、著作権保持者から正規の許諾を与えられています。「金になりさえすれば何にでも」許可を乱発した結果です。ネット上のあるチャットサイトでは、「サンテグジュペリ原作の」と称して放映当時の思い出話の種とされ、少なからぬ投稿者が、性的な興味の対象として「王子」を語り、「1カットだけだが、プリンスのおチンンチンが見えた」といった類の話題が書き込まれる始末。サンテックス本人が生きていたら、直ちに許諾取り消しを行ったことでしょう。作品の品位維持に、相続者はどこまで責任を負えるのでしょうか。(「遺産相続者」は、商標登録も行って、「商品化権」を売りまくっています。その結果、巷にあふれる「グッズ」の多様さと質の悪さは目を覆うばかり。バターナイフにまで Le Petit Prince の名を冠したものがあり、「星の王子さま ミニバラの種」等と言うものまで、挿絵を流用して売りに出されているのです。)
【因みにこの『ミニバラの種』、缶入りで¥368,土や鉢が付いたセットで¥609 のものが、絵付きの箱に入って『星の王子さま ミニバラセット』に変身すると¥1,575(いずれの価格も税込)になります。キャラクターによる「付加価値」と「ライセンス料」がどんな物か、お判りいただけることでしょう。『バラ』はミニチュアサイズ、白やピンクの一重咲きで、作品中に出て来る八重咲きの大きな赤い花とはまったく異なります。】
 伝記はありのままの姿を暴く
 「伝記作家である以上、知っていることは書かねばならない」というのが、真摯な伝記作家の姿です。勝手な編集で主人公の姿を恣意的に作り上げるのは、小説ではあっても伝記ではありません。事実を非情なまでにあからさまにして、読者・視聴者に考える材料を提供するのが伝記です。
 棺を覆われた人の評価は . . . . 。死後の評価を怖れるならば、身を慎んで生きるべきである。著作物の改変(すなわち法による保護)とは別の地点。<未完>
 権利の乱用:多重利権
 著作権法の手厚い保護を享受した上で、保護期間終了後に「商標登録」によって更なる独占的収入源の確保を図る例が見られます。このような二重三重の「権利」行使は、法の基本理念に背くものであって、放置すべきものではありません。
 著作権は自動的に発生してしまうので、他の出願制の権利との共存に問題があります。著作権も出願制にしてしまえば、問題は単なる多重権利出願の禁止だけでかたがつきます。
 自動的な権利発生を残すならば、著作権を取るか、他の権利を取るかの選択を可能にする必要があります。たとえば、“作品発表後1年以内で、かつ、「財産権」を行使していないならば、著作権を放棄して他の権利を出願できる。出願権は本人に限る。1年を経過すれば、他の権利への出願権は自動消滅する。”
 「知的財産の保護・育成」を標榜するからには、著作権だけでなく、特許・商標等の各種権利も含めて議論し、その包括範囲や保護理論の整合性と保護期間の統一を図らなければなりません。
 飼い殺し防止策が必要だ
 著者から独占的出版権を買い取って出版してみたものの、売れ行きが悪いと見るや重版はせず、そのまま絶版状態にしてしまう「飼い殺し」「凍結」が後を絶ちません。著作権(いわゆる「版権」)のせいで、他の出版社が手を出すわけには行かないのです。このような形で著作物を「埋葬」されてしまったのでは、創作者はたまったものではありません。「印税はもういいから、独占を放棄してくれ」と叫びたくなります。
 「飼い殺し」を禁止する方策が必要です。在庫と流通の途絶を禁止しなければなりません。それができなければ、独占権を無効にする(またはかなりの額の「独占保留金(=罰金)」を納めさせる)条文が必要なのです。また、印税を、年間基本料と売り上げ比例料とに分割することを義務づけるのも、ひとつの方法であろうと思います。
 翻訳権にも問題がある
 翻訳もまた、独占権が設定できます。翻訳権(翻訳を公表・出版する権利です。翻案の著作権や複製権とは別物です)の保護期間は、他の周辺諸権利とは別扱いにして、短く設定する(または、独占的な翻訳権そのものを撤廃する)ことが絶対に必要です。複数の翻案が同時並行で内容を競えば、読者の利益に叶うことは言うまでもありません。原著者にとっても、良質の翻訳を得ることができると同時に、収入も増えることが期待されますから、一石二鳥の筈です。収益を独占したい出版社は苦い顔をすることでしょうが、それは著作権の本質に反するもくろみなのですから、考慮に値しません。「独占」に守られて質の低い翻案で収入を得ようとする翻訳者も同列です。
【内藤「星の王子さま」は名訳で、この作品が日本人の間で人気を博するのに大きな力を発揮しました。しかし、そのことと、内藤 濯 訳以外に日本語訳の公表が許されないこととは関係がありません。それどころか、岩波版の初訳発売日、それとは知らずに翻訳を進めて既に何章分もの原稿が完成しており、順次発表の手はずが整っていた堀口 大學 訳を闇へ葬ることになりました。堀口氏は翻訳続行を断念し、保護期間が終了した時点では既に亡くなっていましたから、堀口大學訳の Le Petit Prince 日本語版を私たちが読むことは、永久に望めなくなりました。翻訳著作権規定がなければ、もっと多くの日本語訳が巷にあふれ、原作のより正確な理解の助けとなって、愛読者数は更に増えたはずです。コンスエロや母マリーへの著作権収入も、もっと多くなったことでしょう。翻訳著作権は、岩波書店と内藤氏の独占的権益を保護し、それ以外の翻案を圧殺して、読者へもっと多くの情報を提供する手段を妨害する役割をしか果たさなかったのです。内藤訳は「名訳」の名に値するものでしたから、まだ救いがありました。もしこれが誤訳まみれの愚訳だったら、Le Petit Prince は著作権保護期間終了まで、陽の目を見ることなく埋もれざるを得ないのです。これでは原作者も読者も救われません。翻訳権は撤廃するべきです。それがなかったからといって、何の不都合も起きはしないのですから。】
 主要国とは?:70年が「世界標準」か?
 「著作権問題を考える創作者団体協議会 」が提示する資料「世界の主要国の著作権保護期間 」は、保護期間50年主義の日本を少数派に見せかけるための、ごまかしのレトリックだ。「主要国」という境界不明な限定を取り除けば、ベルヌ条約加盟国の中で70年への移行をした、もしくは70年に賛成する国の数は、せいぜい1/3程度である。【経済圏として一蓮托生の EC 諸国は合衆国の州と同じで、経済的な国際条約を議論する場合は EC を一国と数えるべきであるという指摘は既になされ、受け入れられている。EC 諸国をひとつに数えれば、70年主義国の数は激減し、1/3どころではなくなる。】<未完>
 世界標準とは何か
 「死後70年の保護期間」が多数派でないことは上記に述べたとおりです。つまり、「70年世界標準」は嘘なのです。
 「世界標準」や「主要国レベル」は、身を寄せるべき基準であることを保証しません。「どうあるべきか」こそを議論するべきなのです。<未完>
 日本でも「フェアユース」の生存権を!
 
<未完>

サンテグジュペリ遺産 相続の実態

 三田誠広氏や松本零士氏は作者死後70年までの著作権保護を掲げて、「作者が若死することもあるのだから、レアケースであっても、気の毒な遺族のためにせめて孫の生活までは経済的な保証をすべきである」とマジメに主張なさいます。通常の判断力を持った者にはおよそ信じられない論法ですが、対極の「レアケース(私は『レア』だとは思いませんが)」として、サンテグジュペリの遺産の実情を皆さんに知って戴きたいと思います。【言うまでもなく、両氏が著作権保護とその期間延長を語るに当たっては、それぞれ、サン・テグジュペリおよび宮沢賢治の作品と、自身の作品との関係について、明確な申し開きが無くてはならないと思います。私は知識不足で語ることができませんが、宮沢賢治も生涯独身で、通常の意味での遺産相続適任者(両氏が主張する「気の毒な遺族」)は居ませんでした。】

 サン・テグジュペリの作品は、“Courrier Sud”“Vol de Nuit”“Terre des Homme”の主要三部作が現在でも売れ続けています。その三部作も顔色無いほど凄まじい売り上げを“Le Petit Prince”は誇ります。それによる著作権収入たるや、莫大な金額にのぼるはずです。
 サンテックスは1944年7月31日、死亡しました。妻コンスエロとの間に子どもはありませんし、それ以外の女性との間にも子どもはいないとされています。彼の「遺産」は誰によって相続され、現在どのように管理されているのでしょう?

 遺産はふたつの系列に分割されました。妻コンスエロと母マリーとです。
 サンテックスには子がありませんから、特別な事情がない限り、その遺産は全額がコンスエロのものになる筈でした。しかし、サンテックス最期の出撃後、「遺産をコンスエロと母に贈る」(作品の管理はB夫人、すなわち、ネリー・ド・ボギュエに全権を任せる)という走り書きが見つかりました。つまり、「特別な事情」が生じたわけです。遺書と見なすべきものか否か(少なくとも平時であれば、遺書としての要件を満たさないものでした)問題でしたが、コンスエロと母マリーは仲が良かったので、悶着は起きなかったのでしょう。彼の遺産は半分ずつ相続されることになりました。【その時点では、まだ大した財産ではありませんでした。】

【戦争が終わったとき、コンスエロと母マリーの経済状態がどのようなものであったか、私は判断材料を持ちませんが、少なくとも(二人とも)裕福でなかったことは確かです。当面の経済的意味はさほどなかったにせよ、二人にとっては(特に精神的に)大きな支えになったことでしょう。〔だからといって、著作権の死後保護によってそれを行うべきだと主張しているわけではありません。著作権だけがそのような特権を有するのは不公平なことです。また、サンテックスは「祖国のために死んだ」のですから、その特別条項によって母やコンスエロに財産を残すことはできたわけで、一般的な著作権が死後も他に例を見ない特権を付与されていることの弁明例にはなりません。〕】

 1972年2月2日、母マリーは亡くなりました。遺産は、サンテグジュペリ家を継いだ次女シモーヌが受け継いだか、その時点で存命であった娘二人(サンテックスの姉シモーヌと、ダゲー家に嫁いでいた末妹ガブリエル)が二分して相続したかのどちらかでしょう(後者であろうと思われますが、確認していません)。いずれにせよ、1978年にシモーヌ(独身で子はありません)が死去してサンテグジュペリ家は断絶し、母マリーが相続した遺産はガブリエルひとりの物になります。1986年、そのガブリエルも死去しました。ガブリエルの遺産【 Le Petit Prince は売れに売れ、遺産は莫大な収入源でした】は、子どもたちによって相続されることになったわけですが、ダゲー家は「サンテグジュペリ遺産相続人会」(SOCIETE POUR L'OEUVRE ET LA MEMOIRE D'ANTOINE DE SAINT-EXUPERY "SUCCESSION DE SAINT-EXUPERY-D'AGAY". Saint-Raphael)を立ち上げて、遺産を(事実上)ダゲー家全体のものにしました。(子がない以上当然のことですが)現在の相続人は、サンテックスの孫でも曾孫でもありません。

【もし、遺産を「母にも分与する」という遺言がなかったら、母マリーには「遺産」は渡らなかったことでしょう。どんなに困窮した状態にあろうとも、親に法律的な権利はありません。当然、ダゲー家に遺産が渡る事態は起こり得なかったわけです。】

 一方コンスエロは、1979年5月28日に死去しました。子どもはありません。本来ならばその遺産は、エル・サルバドールにいる彼女の親や兄弟姉妹に分配されるはずでした。しかし、彼女は遺言を残します。秘書兼運転手として彼女に仕えたマルチネス・フルクトゥオーソ氏に全財産を贈ったのです。(国によって異なりますが)法律で遺産の取り分が保証されているのは、配偶者と子だけです。この2者は、たとえ誰かに全財産を贈与すると遺言されても、自分の法定取り分を要求できます。それに反して、親や兄弟には、相続順位はあっても、無条件の権利はありません。配偶者や子のように、自分より相続順位上位者がいれば、遺言で贈与されない限り、相続を主張できないのです。コンスエロの場合、配偶者・子はおらず、全財産をフルクトゥオーソ氏に贈与するとの遺言を残されてしまいましたので、親・姉妹には1フランの遺産さえ渡らないことになりました。
 【莫大な遺産ですから、赤の他人に贈与するというのは、いかに変わり者のコンスエロといえども度が過ぎています。私は、コンスエロとフルクトゥオーソ氏は事実上の夫婦だったのだろうと信じておりましたが、フルクトゥオーソ氏は「唯の秘書だった」と言います。当事者が否定する以上、プライバシーに踏み込んで議論することは憚られますので、遺言の事実だけを述べ伝えるにとどめたいと思います。】

 ダゲー家の人々は、サンテックスの親戚ではありますが、「遺族」ではないことを強調しておきたいと思います。もちろん、フルクトゥオーソ氏は赤の他人です。

 フランスでの保護期間*は死後70年、「祖国のために死んだ」延長分を加算すると合計120年間保護されて、終了するのは2064年です。この間、たとえば、サン・モーリス・ド・レマンスのサンテグジュペリ館(ダゲー家の横槍で所有権がもつれ、現在裁判中)は、仮に ALFA 3A が所有権を保持したとしても、ダゲー家(著作権と商標権を保有)やフルクトゥオーソ氏(著作権を保有。原画・その他を所持)のどちらかがが許可しなかったり、不当に高額なライセンス料を要求したりすれば、サンテックス作品群や彼の映像・画像等を展示することができず、サンテックス記念館として立ちゆかないという不都合に見舞われます。あまりにも強力な著作権・著作隣接権による保護は権利保持者を独裁者に仕立て上げ、文化活動の阻害要因として機能する例が珍しくありません。その一方で、上記「作品内容の尊厳 」に記したように、作品の品位を放り出して金銭収入に奔走するあさましい「相続者」も出現します。

* 【多くの国では死後50年、すなわち、1994年に保護期間が終了しました。日本では、岩波書店と株式会社フランス著作権事務所が消息不明期間を控除してサンテックスの法的な死亡は1945年であると主張、戦時加算も加えて2005年1月まで著作権保護期間としました。失踪期間中の保護延長説は他に例を見ません。】


あさましき延長論者達よ!

 延長賛成派の主張は、2点に集約できる。
   1)収入(特に、遺族の生活保障)確保、と
   2)創作意欲を鼓舞する
ことである。だが、ちょっと待って貰いたい。作者の「死後」50年を70年に延長することとこのふたつが、一体どのようにつながるというのか。

 孫までの生活保障は作家の「権利」であるという馬鹿げた主張は、絶対に受け入れられない。どこの世界にそんな「権利」の例があるというのか。「『創作物』はうどんやそばとは違うのだ。俺様の作品を読むからには、孫の代まで生活の面倒を見るのは当たり前だ」という思い上がりには、ただゝゞ驚愕するほか無い。遺族の生活保障は「年金」や「生活保護」制度の受け持ち範囲であって、著作権とはまったく関係がない。遺産を残したいのであれば、生前にその蓄えを作るのが世の常識というものだろう。「死後50年」こそ撤廃されるべきなのだ。  

<未完>

 公開シンポジウムで三田誠広氏が「未亡人は、晩年に夫の著作権が切れ(収入の道を失っ)た」と誤って紹介した太宰 治 の夫人(作品中のモデルでもある)が亡くなったのは保護期間中で、課税遺産額が約9億4千万円であった。【言うまでもなく、庶民の感覚からすれば、とうてい「生きてゆくのに困る」状態とは考えられない。(蛇足ながら、上記は公開されている情報であって、プライバシーを暴露しているわけではない。)】 売れっ子作家の場合、死後の遺族の心配をする必要はないことを示している。
 売れない作品の著作権は、死後どれほど保護しようと収入にはつながらず、パブリックドメインにあればいつか陽の目を見たかも知れない作品が、むなしく埋もれてゆくのに盛り土を追加することにしかならない。(クラシック音楽の世界では、保護期間中の新曲が避けられ、著作権が切れた古典がコンサートで演奏されることが多くなったという。)。
 持てる者をますます肥やし、持たざる者を地獄の二段底・三段底の下に閉じ込めようというのが、50年から70年への延長である。「死後の保護期間」そのものを撤廃すべきなのだ。

 世に存在価値を問うべく発表される作品の圧倒的多数は、哀れなことに「売れない」グループに属するのが現実だ。創作者としての「インセンティブ」の第一義は、作品が世に受け入れられることだろう。収入は(受け入れられなければ収入にはつながらない)その次の問題だ。収入にならなくとも末永く残って欲しいのが、せめてもの願いではないのか。だとしたら、自らの首を絞めるような馬鹿なまねはするべきではない。

<未完>

 自分の作品を愛しその内容に自信があるのならば、作品を慈しんでくれる人々と、死後もどのようにつながりを保ち続けるのかを考えるべきである。読者・視聴者あってこその作品なのに、賤しい我欲ばかりを募らせて、ことの本末を見ない者達に「創作」を標榜する資格などない。


 書きかけのままで放置状態ですが、拙稿
    星の王子さま外伝
   私見:商標登録/意匠登録の取り下げを要求します
   三田誠広氏批判
 もご参照ください。

 参考になりそうなウエブサイトリンク(の一部)
     反対意見
青空の行方/なにゆえの著作権保護期間70年延長か
投稿:著作権延長反対運動展開に向けて
[パブコメ提出運動] 著作権延長反対運動に向けて
著作権、著作隣接権の保護期間延長に反対
茶気抄
1人でも多くの意見提出を呼びかけるポータルサイト
     中立/混在/単なる記録
「著作権の保護期間は延長すべきか否か」調査結果
文部科学省意見募集結果 (PDFのダウンロードになります。)延長反対が圧倒的多数。むしろ短縮を求める声も多数。
Copy & Copyright 複写と著作権 著作権問題を考える上で非常に役に立つサイト
図書館と著作権の掲示板
Library & Copyright
"Copyright_Panel_in_Cultural_Council
ネットワーク時代の著作権のあり方を考える
クリエイティブ・コモンズと著作者の利益
     賛成意見
著作権トピックス (音楽図書館協議会)
学びネット(三田 誠広 氏)


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