外 伝

星の王子さま

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星の王子さま外伝

著作権法改訂・再改訂・再々改訂
  ミッキーマウス延命法:保護期間の延長
 1998年10月、ソニイ・ボノ法が米国連邦議会を通過し、著作権保護期間がそれ以前より20年間延長されることが決まった。翌1999年、違憲訴訟が起こされ、原告応援団の規模とその構成の幅広さがアメリカの法曹界・経済界・著作業界・IT業界等を巻き込んだ大論争に発展した。2003年2月、連邦最高裁が結審し、同法は合憲と結論が下った。
 具体的な延長幅については少々複雑【個人著作権は死後70年、組織著作権は公開後95年】なので詳細は別項に譲り、起こった出来事の概略を述べれば、古典的なハリウッド映画の大部分がその恩恵に浴することとなったのである。その象徴としてあげられるのが、ウォルト・ディズニー社のミッキー・マウスだった。ミッキー・マウスは1928年に初公開され、1984年までの56年間が保護期間だった。その8年ほど前に著作権法が改定され、保護期間終了は2003年に延びた。それが今回の再度の法改定によって、終了直前だった保護期間は2023年まで更に延長されたのである。そのため、この法案には「ミッキーマウス延命法」とあだ名が付いた。(ウォルト・ディズニー社は自社の権利防衛には極めて熱心で、家庭で幼児が描いた絵にまで監視の目を光らせて干渉するという。)
  ロビイスト政治屋:企業の手先
 連邦議会の議事堂内には、議員やその秘書ではない人間が少なからず出入りする。ロビーで議員を捕まえては立ち話や別室での密談を行うので、ロビイストと呼ばれる。彼らの目的は情報収集や議員への圧力とその行動の監視である。もちろん、多額の政治献金と、選挙に際しての様々な支援がその背景にある。アメリカの立法活動は、これらロビイストに支配されているといってよい。自然保護・動物愛護・在郷軍人会等の市民団体のロビイストがいないわけではないが、ほとんどは大企業がその経済力にものをいわせる重要な手法となっている。
 いうまでもなくソニイ・ボノ法も、映画会社やレコード会社のあこぎなロビー活動の成果である。2020年になって、新たな延長法が提案されないという保証は全くない。
  日本も同調して70年へ?:国益とは何か
 映画等に関する保護期間を公開後70年に延長する法律は既に施行されている。その他の著作物に関しても、「国際的な標準に合わせて」70年間に延長しようと言う案を、所轄官庁である文化庁が、2006年国会上程を目指して検討中である。もちろん、反対運動も始まっている。利権がらみで延長を推し進めようとする勢力と、それに反対する動きとが激突するというのは、各国で繰り返されたおきまりのパターンといって良い。
 国ごとに保護期間は異なるが、それによって起こる損得バランスは「相互主義」によって保たれている。日本の著作権保護期間が死後50年、アメリカのそれが70年であっても、日米間の保護期間はどちらの国でも、短い方の50年となる【米国の作家の作品(個人著作権)は、自国内では死後70年、日本における保護期間は死後50年、一方、日本の作家の保護期間は、米国でも日本でも死後50年】。日本の映画、とりわけアニメーションが国外で売れるようになったので、保護期間は長い方がよいと願う人々が現れた。官僚や政党人の中に、それに同調する人がいて、さしあたって映画等に関しては特別扱いで保護期間が70年に延長された。社団法人日本音楽著作権協会 JASRAC を中心とした21団体が、著作権全般の保護期間を70年にするよう政府に対する働きかけた。書籍に関しては一方的に文化輸入国でありつづけているので、経済的には却って不利であるが、横並びで70年にしようというのが文化庁の態度である。
 多くの作家・作曲家等は、延長には反対している。「文化」の振興に思いを巡らす「文化人」も絶対反対である。理由は、あまりにも強力な著作権(とりわけ隣接著作権)が、新しい芽を圧殺してしまうからだ。一小節の旋律も、一文の類似も、訴訟されれば違反とされかねない現状では、新たな試みはことごとく萎縮して、保護期間が過ぎた著作物の複製や模倣だけが幅をきかすことになる。現実に、(著作権訴訟が盛んな国では)そうなりつつあることは明らかである。
  そもそも、「死後」に著作権を保護する意味があるのか?  「ある」としても、 50年ですら長すぎるのではないか? そして、「死」が事実上あり得ない(下記のマイナーチェンジを永久に続けられる) 企業・組織が持つ著作権をどのように考え、どのように規制して行くべきなのか? これらの問題に回答することなしに、著作権を延長することには、私は賛成できない。少なくとも、個人著作権と組織著作権は別の取り扱いをすべきであるし、個人著作権の保護期間はもっと短縮すべきであると考える。とりわけ翻訳権は、著者の死と同時に保護を消滅させるか、せめて10年程度の期間に限定すべきである。(現在の法律では、原作者の死後50年間、排他的な翻訳権を得てしまう。質の低い翻訳本がこの権利を得た場合、読者は著作権切れまで、原作本来の姿に接することが出来ない。その間に寿命が尽きる読者の数は決して少なくない。)
 組織著作権は、その内容をもっと限定的なものに制限する必要があり、ウォルト・ディズニー社が行っているような同工異曲のマイナーチェンジに新たな著作権を発生させることは、やめなければならない 。さもないと、挿絵類は永久に著作権が継続することになってしまう。
 保護期間延長を望むのは(そしてそれによって利益を得るのは)、独占権によって甘い汁を吸うことが出来る企業だけである。読者や聴取者にとっては百害無益の改悪であり、むしろ保護期間短縮こそが望ましい 。国民をないがしろにして企業に都合のよい法整備ばかりをする政府では、国民の活力が衰弱し、国力は減退する一方となるだろう。国家は、百年先を見据えて方向を定めなければならない。目先の利潤を挙げるためならば法に背き国民を騙して恥じない国内企業の言いなりになったり、自国の都合ために炭酸ガスを排出し続け、他国を侵略し、いまや世界一のならず者となった国に追従したりすることが、国益を護るものでないことは極めて明らかである。
  稀代の悪法:「星の王子さま」復活法案
 20年間の延長だけでもとんでもない悪法であるのに、さらに驚くべき特別条項が提議されているという。何と、既に保護期間を過ぎたものまで、この70年間に取り入れるというのである。およそ法律というものは、遡及適用しないのが大原則である。さもなければ、権力者の恣意によって新法が制定され、法の範囲内での行動であったものが、国家反逆罪として裁かれ死刑になるという事態も起きかねない。いったん終了した保護期間が、また復活・延長するなどということは、あってはならない非常識な「蛮行」である。
 米国での延長法案が「ミッキーマウス延命法」と呼ばれた例に習えば、日本での延長法案は「星の王子さま復活法案」と呼ぶべきものである。岩波書店が闇の世界で宴会政治に関わっているとは思わないが、この遡及適用が持つ意味を最も象徴的に表すのは、他ならぬ「星の王子さま」であることは、誰の目にも明らかであろう。待ち焦がれた保護期間が終了し、さまざまな翻訳が妍を競おうというこの時期に、また20年間の暗黒時代が再来するのでは、世も末というべき無法の事態。絶対に許してはならない暴挙である。
宿り木商法と絞め殺しの木企業
  「ヤドリギ」から「シメコロシノキ」へ
 冬になって落葉樹が裸になると、鳥の巣のように丸い影が遠くからでも目立つようになる。「宿り木」である。中部ヨーロッパやカナダのような寒冷地では、クリスマスの飾り物になるような花や実は貴重な存在。丸い樹形と半透明の白い実は、格好のリースとして珍重され、花屋の店先に並べられる。

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サンモーリス城庭園で見つけた若いヤドリギ。(2005.10.6 撮影)

 そのヤドリギは、寄生植物である。鳥に実をついばませて遠くへ運んで貰い、その糞に混じって(場合によっては単独の排泄物として)、高木の枝や窪みに粘着し発根する。寄生した木の樹皮にヒゲ根を食い込ませ、水分も養分も宿主(しゅくしゅ)から頂戴する。寄生植物の常として、宿主とは一蓮托生の間柄である。木が枯死すれば、お供を余儀なくされる。
 更に進化した寄生植物が出現した。宿主をしゃぶり尽くした後は、その遺産を頂戴して自立を図り、堂々たる大木に成長するのである。アコウ・ガジュマル・ベンジャミン等がその好例。誤って「絞め殺しの木」と総称されている。
 熱帯雨林では光が最も貴重な糧である。光を求めて上へ上へと競争し、大木が密生して「暗いジャングル」を作る。一般的に、下草は発達せず見通しは良い(水分不足その他の条件次第では、「明るいジャングル」が出来る。丈の低いブッシュとなり、全く見通しはきかない)。光量不足のために、地面で種が発芽しても生育できない。このようなところでは、ラン科植物や地衣類、そして地面ではラフレシアのように宿主の根を狙った寄生植物が、大木を頼って生育する。
 「シメコロシノキ」もはじめはヤドリギと同じである。違いは、宿主から収奪するヒゲ根の他に、気根も伸ばすことである。気根はやがて地面に届き、自前で水分・養分を取り込めるようになる。それと並行して、ツルを宿主の幹に這わせて葉を茂らせながら上へ上へと這い上がり、宿主の寿命が尽きる頃には、立派な大木に成長する。宿主が枯死すれば遠慮無く養分として利用し、その姿が消えた後には篭型の円筒形をした網目の大木が聳え立つことになる。宿主を弱らせその寿命を縮めはするけれど、その程度は強くはなく(早く死なれては共倒れになってしまう)、もちろん絞め殺すわけではない。

  商標登録という金脈
 名画・彫刻の複製品や、「キャラクターグッズ」と呼ばれる商品群が、金のなる木として芽を出し始めた。その商品化の許認可権を独占的に確保できるのが「商標登録」である。著作権は所定の期限が過ぎれば、経済的な権限は失効してしまうけれど、登録商標は更新が可能、すなわち、永久に権限を保持することだって可能なわけだ。金の卵・銀の卵を産み続ける鶏を手に入れる道が開かれた。泥の卵しか産まないと判れば、その段階で更新をやめればよいのだから、とにかく登録したものの勝ちである。他人の作品であっても、登録の障害にはならないから、勝手に登録する「登録屋」も出現する。

  「二十四の瞳」騒動:「題名には著作権は及ばない」から、他人が登録することは可能である。公示された際に発見して異議申し立てをするか、無効審判を請求するかしなければ、「商標」として登録されてしまう。「二十四の瞳」は奈良県内の男性が商標登録していたが、更新手続きをしなかったため、「小豆島ヘルシーランド」社が化粧品・食品・玩具など8分野,200品目近くについて出願し認可された。「島民の共有財産」と思い込んでいた小豆島の住民は無効審判を請求した。

 「星の王子さま」も遺産継承財団が日本での商標登録をして、様々な品目について権限を独占している。そもそも、一律に「題名に著作権は及ばない」という説には根拠がない。創造性があればフランスでは認められる。日本でそういう判例がないだけの話だろう。たとえば、全く内容が異なる小説を別人が書いて「限りなく透明に近いブルー」などという題名で発表したら、「題名に著作権は及ばない」といっていられる事態ではなくなるだろう。「二十四の瞳」は創造性の点で無理だろうけれど、「星の王子さま」などという珍妙な名詞はそれまで存在しなかったのだから、内藤 濯氏の翻案は著作権で保護される資格があると私は信じている。
  ミュシャ財団の悪名
 アール・ヌボーの旗手として一世を風靡した商業デザイナー、アルフォンス・ミュシャ(1860年チェコ南モラヴィア地方の生まれ)は1939年に死亡した。当然その作品群には著作権があり、各国が決めた法律に従って、それぞれの期間権利が保護される。期間が過ぎればパブリックドメインの作品として、自由使用可能な人類共通の財産となるはずだった。1992年、プラハでミュシャ財団(Mucha Trust, 理事長:ジョン・ミュシャ。ジョンはアルフォンスの孫)が設立され、ミュシャ作品群の商標登録を開始した。その後拠点はロンドンに移り、散在する作品を世界中から蒐集・修復するようになる。1998年にはプラハにミュシャ美術館が開館した。財団が果たした役割は評価に値する。
 しかし、負の面も無視できないほど大きい。商品化の許認可権を楯に、決して少なくはないロイヤリティを徴収し、自らも「リ・クリエーション(再創造版画)」を高値で販売する等、ミュシャを「喰いもの」にする姿勢が極めてあらわになった。財団が承認する複製品は、ポスターやポストカードコレクションにとどまらない。彼はあらゆるもののデザインを手がけたので、マグカップ・ナイフ・フォーク・スプーンの類まで、実に多岐にわたり、挙げ句の果てには、(日本で)ガムのおまけに付くプラスチックフィギュア(アルフォンス・ミュシャ・フィギュアミュージアムシリーズ。これと別にダイヤを埋め込んだ高価な象牙製品もあるという噂)にまで及んだ。(正真正銘、財団のお墨付き製品である。もちろん、ミュシャがこのようなものをデザインした事実があろう筈はない。)
 更に、日本での展覧会では、係員(の一部)がめぼしい入場者に近寄って展示品の説明を行い、時代背景・作品にまつわる裏話や「ミュシャ財団のマークがないものはニセモノである」といった話題を披露した後で、再創造版画の購入を持ちかけるといった営業活動までが展開される仕儀となった(連係プレイを行っているフシがある複数の「係員」と財団との関係は不詳)。「購入を断ったとたんに彼女の態度が一変し、不愉快な思いをさせられた」入場者の例が少なからずある。
 粗悪な乱造品の氾濫を防ぐために財団がしゃしゃり出るのは、余計なお世話というものであろう。それは購入者の責任においてなされるべきものであって、パブリックドメインで自由競争をさせ、高品質で廉価なものを生き残らせるのが一番良い方法である。しかも財団は、プラスチックフィギュアの例に見るように、責任ある許認可権の行使を行っているとは言い難い。財団の実体は、ミュシャ作品の商標権を喰いものにする「絞め殺しの木企業」であると断罪されても仕方がない、と私は思う。
  ハイエナ男爵様
 サンテグジュペリ遺産継承財団が設立され、商標権を申請したのは1986年(母親からの遺産相続者であるガブリエル死去の年)であるというから、ミュシャ財団より古い。ミュシャ財団のまねをしたどころか、そのお手本になった可能性さえある。いうまでもなく1986年は、サンテックスの著作権が世界中のベルヌ条約加盟国で有効だった時期に当たる。商標登録をしようがしまいが、誰も手出しが出来ない(もちろん余人が商標登録することも出来ない)状況の中で、悠々と登録手続きを済ませたということである。そうして得た商標権を、「商品化権」という商品に変えて莫大な利益を得ているはずである。(商標登録は「著作権」と無関係である。「商品化権」はダゲイ家の一手販売であって、もう一方の遺産相続者であるフルクトゥーソ氏はこの余禄に与ることはできない。) <未完>
  小判鮫会社 セラム
 セラムは、日本において業務を代行し、せっせと顧客開発を行い、ときには恫喝まがいの警告を発して財団の利益を脅かす者たちを追い払っている。一方的な片利共生のヤドリギというわけではない。例えていうなら小判鮫であろう。宿主の体の掃除をしたりして、ほんのちょっぴりお返しをする(実は、ちょっぴりどころではない上納金を送り続ける)。代わりに、宿主の食べ残しのおこぼれにあずかる。宿主とは共存共栄、宿主が好調ならば小判鮫も潤う。もっと安全で実入りの良さそうな大物を見つけたときに、元の宿主を見限ってそちらに移行することだって自由である。宿主が死ねば、餌として襲われるか野垂れ死にするかの危険にさらされるが、運がよければ他の宿主を見つけて生き延びられる。
  コケにされた岩波書店と内藤家
 「星の王子さま」という日本語を、ダゲイ家およびその後継者である財団に(日本で)商標として登録されてしまった。過去にカレンダーや手帳を発売したことがあったが、いってみれば「お目こぼし」で問題にならなかっただけで、本来ならば、財団(代理人である株式会社セラム)の許諾を得て、ロイヤリティを支払わねばならない立場である。もちろん、「星の王子さま」という名の商品がどんなに巷にあふれようと、一切口出しは出来ない。登録抹消の訴えを起こして勝訴しない限り、永久にこの状態が続くことになる。何度も強調しているように、「星の王子さま」は内藤 濯氏の「造語」である。それを日本で商標登録してしまう。何とも人を虚仮にした話ではあるまいか。巨額の財源「商品」を横取りされている現状は、岩波書店や内藤家にとって心穏やかならざるものがあるに違いない。経済人としてドジでマヌケであった代償とはいいながら、シマラナイ話である。強力な著作権に護られているという安心感と、商標権に対する無知・鈍感さが招いた悲喜劇と言うべきであろう。

無法・卑劣な岩波書店
  日本での保護期間終了が確実となり、少なくとも5社以上、おそらくは10社前後の出版社から新訳が上梓される見込みとなった。岩波書店は、「星の王子さま」という書名は内藤 濯氏の創案であるから勝手に使用しないよう要望を出し、それが聞き入れられそうにないと見るや、せめて、その題名が氏の翻案であることを明記するよう要求した。これは戴けない。【私は、「星の王子さま」という題名が内藤氏の造語であるということには賛成であり、新訳は他の書名を検討するべきであると思っている。しかし、岩波書店がそれを要求したり、他出版社に強要したりするのは論外である。】
 岩波書店にそのような要求をする根拠はない。前述のように、「星の王子さま」という日本語での呼称は、サンテグジュペリ遺産継承財団によって(日本国内で)商標登録されている。同財団が「勝手に使うな」というのなら合法であるが、岩波書店にはそのような権利はないのだ。岩波書店がまず第一になすべきことは、商標登録取消処分の申し立てである(内藤 濯氏の日本語訳はまだ保護期間中である。内藤氏の創案であることを主張するのであれば、商標登録を看過することがあってはならない)。商標を放置するのであれば、岩波書店には書名について言及する法的権利はなく、無法な要求というべきであろう。
 正当性を主張したいのであれば、まずは商標問題を解決しなくてはならない。法律という根本的な問題に正面から取り組むことは回避しながら、他の出版社、とりわけ基盤の薄い弱小出版社を恫喝するのは、強者には卑屈となり、弱者には居丈高に振る舞う、まったく卑劣な行為である。商標登録に異議を申し立てないのであれば、その翻案についてとやかく言う資格はない。まずは襟を正して、自社が何をなすべきかを考えることから始めて貰いたい。

  お気楽人間:星の王子さまファン
 星の王子さまファンには、ノンビリ・オットリの善人が多い(ばかりとは限らない。内藤 濯ファンの中にはネット右翼まがいの人も少なからずいる)。何しろ、「子供は天使」と信じている人ばかりなのだ。その人々は諍いを好まない。権利保持者に異議を申し立てるなどは、とんでもないことなのだ。そして、「星の王子さま」と一体化して、権利保護の陣営に加わる。勝手に商品化できない方が、「星の王子さま」の品位を保つことができると信じて止まない。粗悪な「正規品」の存在や、ソープランド「星の王子さま」を阻止する法的権限がないことなど、目を向けたくない世界のできごとなのだ。<未完>

2005年 星の王子さま戦争
  新訳ラッシュ
 <未完>
  作家の意気込みと欲得出版社
 <未完>
  愛すればこそ:星の王子さま賛歌
 <未完>

R & H 社版の挿絵は使えるのか?
サンテックスが描いた水彩画は、他に代え難い独特の雰囲気を持っている。残念なことに、日本の読者は本物の挿絵を見たことがない。ガリマール社が1999年になってやっと、自社の挿絵(と本文の若干部分)がサンテックスの原作とは異なったものであることを認め、今後は「オリジナル」な原画に「忠実」な挿絵を使用することを宣言した。しかし、これで問題が解決したわけではない。
  ガリマール社の挿絵は使用に耐えない
 1999年以前のガリマール社の挿絵は(例外を除いて)全く話にならない別物である。2000年以降の挿絵についても、私は不満を持っている。色相が全く異なり、サンテックスの水彩画の雰囲気を伝えていないからである。加えて、あろう事か、レイナル・ヒチコック版にはない 「ゴミ」が出現した挿絵すらある。「オリジナルに忠実」とはいえない代物なのだ。
  日本での著作権は切れた
 日本の著作権法は(現在のところ)著者の死後50年間を権利保護期間と定めている。第二次世界大戦の戦時加算をも含めて、2005年1月(または2004年1月もしくは2003年12月)に保護期間が終了した。したがって、日本国内に於いては、サンテックスの原作は、挿絵も含めて、経済的な対価なしで使用することが出来るようになった。
  フランスではまだ著作権が生きている
 サンテックスの作品の著作権は、フランスの財団(以下サンテックス財団と略称)とマルチネス氏(コンスエロの遺産相続者)が所有・管理している。現時点でフランスにおける著作権保護期間は死後70年間であり、かつ、サンテックスは「国家のために死んだ」ために30年間の保護期間延長がある。フランス国内では2045年まで(2065年までと言う説がある。「国家のために死んだ」場合の延長分が50年であれば計120年の保護期間)、著作権が保護されている。
  アメリカでも出版権が生きている
 Le Petit Prince/The Little Prince の初版はニューヨークのレイナル・ヒチコック社が発行した(1943年)。周辺著作権に関しては、フランス解放を受けて、遺族とガリマール社に移管したので、アメリカに著作権は残っていない。ただし、Katherine Woods 女史が翻訳した英語版に関しては、複製権(出版権)は残っている。レイナル・ヒチコック社は消滅し、その出版権はハーコート・ブレイス社に譲渡された。  
  原画は存在しない 。⇒ 2006年になって存在が確認されました。
 Le Petit Prince/The Little Prince に使用された挿絵の「原画」は、2006年4月末になって、コンスエロの遺産相続人であるホセ・マルチネス・フルクトゥーソ氏が保管していることが報道された。(上記リンク参照。2006.06.28 追加。)
 

参 考

「原画」発見に伴う改訂以前の記事
 
  原画は存在しない
 Le Petit Prince/The Little Prince に使用された挿絵の「原画」は行方不明である。少なくとも、ガリマール社やハーコート・ブレイス社は所有していない。今後どこかから発見される可能性は、極めて少ない。

原画再発見か?

「バラの誕生を見つめる王子」

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 ニューヨークにある高級古書店 BaumanRareBooks さんのカタログ(2005年5月号)に、上のスケッチが掲載されています。もちろん売り物で、$38,000.- です。The Little Prince/Le Petit Prince に使われたものと同じ構図ですが、細部が異なりますから、挿絵の原図そのものではない可能性があります(あるいは、挿絵の方は、印刷原版作成の際に版下作成者の手によって少し違ったものになってしまったのかも知れません)。もし本物の挿絵原図だとしたら、行方不明の原画が初めて再発見されたことになり、他の挿絵原画も同じ所に秘蔵されていると期待されます。
 使われている紙はサンテックスが愛用したものと同じ質のものです。紙の大きさ8×6インチ。サインや日付はありません(ないのが普通です)。インク描きで、赤とセピア色の水彩が施してあるそうです。(挿絵はモノクロ画像ですが、すべての挿絵原図はカラーだったと思われますから、この点での不審はありません。)
 サンテックスも人気が出てきたので、ニセモノの心配はついて回ります。真贋の鑑定は、科学的な時代測定以外には難しいでしょうね。本物ならば、今まで見つかったことがないもので、安い価格だと思います。この本屋さんは信用のおけるお店ですから、意識的に贋作を売り出したり、怪しげなものを売りに出したりすることはありません。

  「原画」の大部分はフルクトゥオーソ氏が握っている
 「原画」の出現によって、話は簡単になった(下欄参照)。残念なことに、3枚(狩人,砂漠の花,積み重なるゾウ)は手放されてしまったが、残りはフルクトオーソ氏個人の所有物である。著作権保護期間が終了するのを待って氏と交渉し、提供される画像を使用させて貰えばよい。その際、いくらかの「使用料」を支払うことになる。出版物に使われた原画であるから、使用を不許可にすることは難しい。「使用料」も相場からかけ離れたものにはならないであろう。
 すでに人手に渡った「狩人」「砂漠の花」の所有者は現在のところ明らかにされていないが、もし判明すれば同じ手続きで使用許諾を取ることになる。早晩(あるいはすでに)買い取られるであろう「積み重なるゾウ」( リンク切れ)についても、同じである。
 新所有者は名乗り出るべきであると思う。もし不明のままであれば、著作権保護期間終了の故を持って、無断使用すればよい。【所有者が判明した時点で事後承諾となる。手を尽くした上で、所有者が判明しないのであれば、無断使用を咎めることはできないであろう。遡って使用を禁止することも不可能であると思われる。妥当な額の「使用料」を供託しておけば万全である。】(2006.06.28 改訂。)  フルクトオーソ氏所有の「原画」と、印刷・発売された初版本の挿絵との間には、色・輪郭線・その他に異なる点があることが明らかとなった。困ったことに、原画より挿絵の方が優れている。新訳に使用する挿絵は、レイナル・ヒチコック版から採録すべきであると考える。(2006.10.28 追加。)
  挿絵使用の鍵はハーコート・ブレイス社が握っている
 「原画」が印刷された挿絵と同一ではなく、ガリマール社が提供する「原画」が使用に耐えない代物である以上、レイナル・ヒチコック社の出版物にある挿絵を「原画」として、その複製を使用する以外にない。(ガリマール社の「原画」もそうして作られた複製に手を加えて作成されたものであることは、論を待たない。)
 最も素直な考え方は、日本に於いてサンテックスの著作権保護期間は挿絵も含めて終了しており、同様に、レイナル・ヒチコック版の複製権も期限切れである、というものである。原画は存在しないのであるから、事実上の「原画」であるレイナル・ヒチコック版の挿絵をコピーして使用させて貰う。ハーコート・ブレイス社には許諾を求め、相応の対価を支払えば良い。
 問題が一つある。レイナル・ヒチコック社の出版権を買い取ったハーコート・ブレイス社は、現在に至るまで、さまざまな言語の翻訳本を出版し続けている。しかも、1990年代の初期に、挿絵をガリマール社のものに一旦変更している。2000年以降は、またレイナル・ヒチコック社の挿絵に戻した。これが、たくまずしてウオルト・ディズニー社が行っている「新しいデザイン」の新たな著作権発生と同じ効果を発揮してしまう可能性がある。すなわち、レイナル・ヒチコック版の複製権は生きているということである。ハーコート・ブレイス社は、「出版権」の侵害を許さないだろう。
  結局ロイヤリティを払うしかない?
 ガリマール社が挿絵を変更したのは2000年、つまり、日本における著作権が終了する以前のことになる。また、ハーコート・ブレイス社の挿絵デザイン変更も、同様である。微妙な問題をはらんでいるのだが、レイナル・ヒチコック版の自由使用は難しく、(謝礼ではなく)ロイヤリティを払ってレイナル・ヒチコック版挿絵の複製を作らせて貰うしかないのではないかと思われる。
 ガリマール社が提供する「原画」は質が悪すぎるので使用しない場合、ロイヤリティの支払先は、ガリマール社なのかサンテックス財団なのか、あるいはまた、ハーコート・ブレイス社なのかという問題も発生する。

 
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