爵位の私称

de Saint-Exupéry は 元(または一時)伯爵家

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 「没落貴族」の項で説明したとおり、世界にはまだ貴族が生き残っており、帝政・王制を廃止して貴族がなくなった筈の国でも、爵位を僭称する元貴族が存在しています。フランスは、一般社会でも「元」貴族が別扱いされている国の一つなのです。まして、現役貴族や元貴族の仲間内では、「平民」が知らない「常識・慣習」が、ビックリするほど目白押しです。
 とはいえここでは、その泥沼には立ち入りません。話をサン・テグジュペリ家に限り、その爵位問題に終止符を打ちたいと思います。

 そもそもことのはじまりは、サンテグジュペリ家が 伯爵(comte)家か 子爵(vicomte)家かという問題でした。

 多くの伝記作家はサンテグジュペリ家を「伯爵」家としていますが、本当は「子爵」なのかも知れません。雑誌 ICARE No. 69(サンテックス特集1号)にサンテックスの出生届の内容が掲載されており、「子爵 Jean de Saint-Exupéry(無職)とAndrée Boyer de Fonscolombe(25歳)の息子」(リヨン第2区区役所、出生届第1703番)とあります【母親の名前は Marie ですから、誤記または欠落があるようです。年齢は 25 歳で正しく記載されています。】。ICARE は編集も印刷もフランスでなされていますから、「comte」が「vicomte」に誤記・誤植される可能性は低いと思われます。受理された出生届は公文書ですから、権威のあるものですし、出生届は家族もしくは近親者が記入し、父親のサインもあるはずですから、届け出書類の記入に誤りがあろう筈はありません。誤記がないのであれば、資料価値は高いものです。(没落貴族 より抜粋)

 辿り着いた到達点はくだらない結果となりましたが、結論に到るまでには、いろいろな調査と長い時間が必要でした。その時間順に話題を並べたのでは、読者の皆さんを引きずり回すことになり兼ねませんから、原因となる事態の説明を先に ― 可及的簡潔に ― 述べることにしましょう。一言で言えば:

「元貴族」とその取り巻き達が、勝手な用語を僭称・乱用したことが、誤解を生んだ

と言うべきでしょう。

あらかじめ知っておくべきこと

 フランスは共和国であり、もはや貴族・爵位は存在しない。
  共和国に王や貴族は存在しません。当然、爵位も消失します。しかし過去には、王政復古に伴って称号が復活したり、新たな爵位授与が行われたりしました。その王朝が滅亡して再度共和政が敷かれると、また爵位は消滅します。1875年、第三共和国憲法が貴族・爵位を廃して以来、現在に到るまでフランスでは、爵位は廃されたままです。今後復活することもないでしょう。すなわち、「元伯爵家」はあっても、「伯爵家」はもはや存在しないのです。
  言うまでもなく、サンテックスは、伯爵でもなければ、伯爵家の生まれでもありません(3代も前に伯爵家ではなくなっているのが実情と思われます)。「(元)伯爵家の家系に属する」というのは嘘ではありませんが、実態は既に貴族としての体面を完全に失った没落状態で、落魄の惨めさを体現するだけの存在でした。
 爵位には序列がある
  「爵位に上下関係はない」という意見があります。男爵から子爵、子爵から伯爵といったステップアップができないという意味では、その通りです。しかし、そうした流動性がないことが、爵位に上下関係がないことの証左にはなりません。相撲界で、有力な大関を横綱大関と呼んだものが、横綱という独立した階級に分離したのと同じように、伯爵の中の有力な者が公爵・侯爵を名乗るようになったという歴史的事実は、公爵・侯爵・伯爵に序列を構成します。また、子爵 vicomte の「vi」が「副官」「添え物」という原義であることからも判るとおり、伯爵 comte と 子爵 vicomte の間には、歴然とした格差があります。男爵は爵位の最下位に位し、これより下【 knight は一代限りの称号で、士族】は貴族と見なされません。
 爵位継承予定者の慣用僭称
  Prince の説明(爵位と勲位)で「王位継承権保持者をも Prince と呼ぶようになった」と述べたように、爵位継承権者を序列一段下の爵位を冠して呼ぶ風習が醸し出されました。特に、comte の長男を vicomte と呼ぶ「私称」が横行したようです(上述したように、vi の原義がそれを醸成したのでしょう)。つまり、伯爵の弟・長男・男系の筆頭孫等を、(子爵の爵位を持たないにも拘わらず)vicomte と称することがありました。
 一旦爵位を得ると、その祖先も末裔も「爵位家」を呼称(=私称)しようとする
  家系図のうち一部分でも爵位を得たことがあると、その祖先に遡って「伯爵家」であったかのような言い方をしたり、何らかの理由で爵位を剥奪されても、その末裔が「伯爵家」に属しているような嘘がまかり通っているように見受けられます。



サンテックスから遡った彼の祖先

 「サンテックスは11世紀にまで遡る名門貴族の家系に . . . 」と言われることが多いのですが、あまり正確ではないのかも知れません。【以下の18代分の系譜中、結婚相手の名前や子供の性別・名前・その他、煩雑になる記述は省略してあります。】(資料に不整合な矛盾点が錯綜し、この系譜は未完成かつ不正確な部分を含んでいます。当分、追加や訂正が続く予定です。)

Raymond de Saint-Exupéry, ? - ?, (1234に結婚) , Seigneur de Saint Germain (Marié vers 1234 avec Marie de Carbonnières. Il décède aprés 1278)
【これ以前の系譜は残っていないと思われる。“de Saint-Exupéry”と称しているが、「領主」となっている土地は(Saint-Exupéry ではなく)“Saint Germain”。「伯爵」の称号はまだ得ていない(士族であったという説がある)。尚、Saint-Exupéry-les-Roches (Limousin 地方。Saint-Exupéry から 1919 年に改名) は、現在でも人口500人程度の小村。また、Limousin 地方の "Saint Germain les Vergnes" は、現在人口千人に満たない。】
Robert de Saint-Exupéry, ? - ?, (1255に結婚) , Seigneur de Saint Germain
Hélie I de Saint-Exupéry, ? - ?, Seigneur de Saint Germain, Coseigneur de Miremont
Hélie II de Saint-Exupéry, ? - ?, (1330に結婚) , Seigneur de Saint Germain, Coseigneur de Miremont
Ebles de Saint-Exupéry, ? - ?, 【4男1女の3男。兄である長男 1332 - 1380 には5男3女が誕生】, Seigneur du Vart
Géraud de Saint-Exupéry, ? - ?, (1400に結婚) Seigneur du Vart
Philippe de Saint-Exupéry, ? - ?, (1452に結婚)
Jean Ier de Saint-Exupéry, ? - ?, (1511.01.29 に結婚) 【8男2女の6男。兄である長男 Antoine de Saint-Expéry (1501 死亡)には1男3女が誕生・成長】,
Jean II de Saint-Exupéry , ? - ?, (1545.07.07 に結婚) Coseigneur de Miremont
Jean III de Saint-Exupéry, ? - ?, (1589に結婚)
Jean Pierre Henri de Saint-Exupéry, ? - ?, (1630に結婚) Seigneur de Saint Amans , Coseigneur de Miremont , Seigneur de Pignols
Jean Antoine de Saint-Exupéry , ? - ?, (1666に結婚)
Jean Louis de Saint-Exupéry, ? - ?, (1704に結婚) Seigneur de Saint Amans
Jean Gratien de Saint-Exupéry, ? - 1778,(1736 に結婚) Comte de Saint Amans 【以降2(または3)代は「サン・タマン伯爵」。尚、Saint Amans du Pech は、Tarn-et-Garonne 県にある小さな村(人口100人前後)で、伯爵領となるほどの経済価値がある土地ではない(軍事的にもあまり重要とは思われない)ので、実際に領有するか否かに関係のない「伯爵名」であろうと思われる。】
Georges Alexandre Césarée de Saint-Exupéry, 1757 - 1825,(1790 に結婚) Comte de Saint Amans(33 ans), Chevallier de Saint-Exuéry
Jean-Baptiste de Saint-Exupéry 1791 - 1843(Né le 27 janvier 1791 - Décédé le 29 juin 1843 - à l'âge de 52 ans [Marié avec Antoinette Lehoult , née le 6 février 1804 - Bordeaux (Gironde, 33), décédée le 26 décembre 1873 - Barsac (Gironde, 33) à l'âge de 69 ans])
【この花嫁の持参金によって、ボルドーのマルゴー地区にあるワイン畑 Ch. Malescot と醸造所が de Saint-Exupéry 家のものになった(ワイン賛歌)。二人兄弟の長男なので爵位を継ぐ権利があるのだが、なぜか(第一共和政のため?)爵位を失ったようだ。(Comte de Saint Amans を継いだと言う説もある)】
Jean Louis Fernand de Saint-Exupéry 1833-1919, Comte de Saint-Exupéry,【第二帝政(1852.12.02 - 1870.09.04, ナポレオン三世)の下で Florac 郡の副知事を務めた。 "Comte de Saint-Exupéry" はこの時期に授けられたものかもしれない(さもなくば、 Saint-Exupéry 村に本拠を持っている伯爵の意か)。ナポレオンはコルシカ島(イタリア領からフランス領となった)郷士の出で、軍事能力を駆使した成り上がり者に過ぎず、貴族でないばかりか、その出自は本来の意味でのフランス人ですらない。ルイ・アントワーヌ王を処刑する,戴冠式で教皇を無視して自ら王冠をかぶる,各国王制やスペインブルボン王朝へ介入する,スペイン人民を大量虐殺する,等々、上流階級からの評価・感情は芳しくなかった。ボナパルト朝が授けた新規爵位を認めない立場もあり、そのようなリストでは Fernand は無位。(共和政に反抗。ボルドーからリムーザン地方の Saint-Exupéry 村に居を移す。経済的理由のためワイン畑をオークションに掛け手放した)

 別の資料によれば、Comte de Saint-Exupéry には2系列(または2人)あって、そのうちの1人は、1735 年頃に誕生した Jean Balthzar de Saint-Exupéry。父親 1715-1788 は侯爵(Marquis de Fleurac),彼の長男(1778-1856 )も侯爵(Marquis de Saint-Exupéry)。したがって、Jean Balthzar の「伯爵位」は私称(「侯爵の子」を表す呼称であって、「伯爵」という爵位ではない)に過ぎない。【すなわち、この系列は de Saint-Exupéry 侯爵家である。サンテックスはこの家系には属さない】
 いま1人は、サンテックスの祖父 Jean Louis Fernand de Saint-Exupéry であるという。しかし、彼の「 伯爵位 」は(仮に本当に授与されていたとしても)帝政の終わりと共に失効してしまう。

Jean Marc Martin de Saint-Exupéry 1863-1904 Né le 2 janvier 1863 - Décédé le 14 mars 1904, à l'âge de 41 ans, Agent d'Assurances, [Marié en 1895 avec Marie de Fonscolombe , née le 9 août 1875, décédée le 2 février 1972 - Cabris (05) à l'âge de 96 ans](Vicomte de Saint-Exupéry私称;「子爵」ではなく、「伯爵の子」を表す。この「伯爵」は既に失効している。)
Antoine de Saint-ExupéryComte de Saint-Exupéry私称

 家系図を上流側からたどったのでは、サンテックスにたどり着けません(それどころか、まったく異なる de Saint-Exupéry 家も少なからず存在します。サンテックスが属するのは、どちらかと言えばパッとしない、うらぶれた家系で、まさに「没落貴族」と言うにふさわしい内容。そして、その家系が消滅するのが、サンテックスとその姉妹の世代です)。長男ではない傍系譜に属しているからです。(途中で、同名異人の Antoine de Saint-Exupéry 何人かに行き会います)
 家督継承者である長男が死亡して、次男が家督を継ぐのは納得できる話です。しかし、そればかりではなく、死亡した長男に男子の子があるにも拘わらず、叔父である次男が家督を継いでいる例が見受けられます。多分、相続争いがあったのでしょう。いずれにせよ、「伯爵」の称号が絡んでいるわけではないらしいので、彼が勝手に伯爵を名乗る事の当否に影響はないでしょう。
 記録落ちがあるかも知れず(逆に、総ての人物を「伯爵」とする、信用できない資料もあります)、最終的な結論とは言いかねるのですが、サンテグジュペリ家が爵位を得たのは18世紀の終わり頃の Comte de Saint Amans からで、それ以前は士族に過ぎません(支配地があちこち変わっているのは、代官として派遣されたためでしょう)。そして、「Comte de Saint-Exupéry」なる称号が存在したか否かも怪しいのです。【明らかに爵位を得ていない時期から、de Saint-Exupéry という姓を名乗っています。すなわち、「"de" Saint-Exupéry」は単なる姓であって爵位の有無に関係がなく、「Comte」と「de Saint-Exupéry」は分離して考えるべきものであろうと言うことです。(シャルル・ド・ゴールの“de”も、姓の一部であって、貴族の称号とは無関係です)】

  上記年表中、関係がある期間とその後の政体一覧
   987 - 1328:カペー朝
  1328 - 1589:ヴァロワ朝
  1589 - 1792:ブルボン朝
  1792 - 1804:第一共和政
  1804 - 1814:第一帝政(ボナパルト朝)
    1814:復古ブルボン朝
    1815:百日天下(ナポレオン・ボナパルト)
    1815 - 1830:復古ブルボン朝
  1830 - 1848:オルレアン朝
  1848 - 1852:第二共和政
  1852 - 1870:第二帝政(ボナパルト朝, ナポレオン三世)
  1870 - 1871:パリ・コミューン
    1870 - 1940:第三共和政【1875 年、憲法で貴族や爵位を廃止。現在に到る】
  1940 - 1944:ヴィシー政権
  1945 - 1946:共和国臨時政府
  1946 - 1958:第四共和政
  1958 -     :第五共和政


サンテックスの父母の結婚通知状

 通知状発送者名が “Le Comte et La Comtesse de Saint-Exupéry”(サンテックスの祖父母 Fernand de Saint-Exupéry と Elizabeth Alix Blouquier のこと)、サンテックスの父(Jean Martin Saint-Exupéry)が “Vicomte de Saint-Exupéry” となっています。 1875年に王制・貴族制は廃止されていますから、爵位は正式のものではありません。しかし、王政復古を経験したこともある国のこと。この時期、貴族達は爵位廃止をまだ認めては居ませんでしたから、爵位は堂々と主張されました。

 重要なのは、“comte” と “vicomte” が文中に同居していることです。父親が伯爵ならば、その子は vicomte と言うわけです(上記)。サンテックスの生誕届けに、彼の父親である Jean Martin de Saint-Exupéry が vicomte と名乗っているのは、この時期 Fernand de Saint-Exupéry がまだ存命中で、Jean Martin は「伯爵位」を継承しておらず vicomte( comte の爵位後継者)のままであり、「子爵」ではなかったわけです。


 こちらは、花嫁マリー側の家族が出した通知状。発送者名は、祖父夫妻である“Le Marquis et La Marquise de Romanet de Lestrange”と、両親である“Le Baron et La Baronne de Fonscolumbe-la-Mole”。
 サンテックスの父(Jean Martin Saint-Exupéry)が “Vicomte de Saint-Exupéry” となっていることは同じです。


サンテックスとコンスエロの結婚通知状

 左がサンテグジュペリ伯夫人、右がスンシン・ドゥ・サンドバル(コンスエロ本人?)名による通知状。左半分の発送者名が “Comtesse de Saint-Exupéry”(母マリーのこと)、結婚するサンテックスが “Comte de Saint-Exupéry” となっている。サンテックスの父親は既に死亡しており、世が世ならば彼は伯爵位を継承していたはずだからだ。

 母マリーを Comtesse と称するのが間違いであることは、上欄で述べたとおりである。しかし、この種の僭称は、一般的に認められていた私称である。招待客の多くは「元貴族」であろうから、内々の了解事項であると共に、見栄を張り通す種族でもある。


マリー・ドゥ・サンテグジュペリ


カブリ村のマリー・ドゥ・サンテグジュペリ(サンテックスの母)旧住居にたつ説明看板

 「Comtesse(伯夫人:伯位をもつ女性)マリー・ドゥ・サンテグジュペリ」とある。ふたつ上欄の結婚挨拶状で無称であった Marie が、一つ上と並んで、ここでも Comtesse と呼ばれている。二つの意味で間違っている。まず第一に、彼女が伯位を持つわけはない。その可能性があったのは彼女の夫である。もし彼女の夫が伯爵であったならば、彼女は「madame de Saint-Exupéry」と呼ばれることになる。(ただし「伯爵夫人」を "Comtesse" と自称・他称することは、フランスでは珍しいことではない。)
 第二に、彼女の夫は、伯爵になることなく世を去った。したがって、彼女には「伯爵夫人」と呼ばれる資格がない。にもかかわらず、「伯爵家」系統の夫人であったことから、Comtesse の称号が用いられている。

 


葬 儀 案 内 状

 最上部にある “M” は、相手が男性ならポワン(.)を、女性ならば “elle” または “me” をそれぞれ書き入れて、宛先の姓名を続けます。このサンプルではそれが未記入ですから、使用されなかった予備の印刷分である事を示しています。
 葬儀関係者の身分・姓名が延々と続き、下から6行目からがやっと本文となります。主催者(群)が発送した、Madam Antoinette Anaïs Lehoult ; veuve de Monsieurle le Conte César de Saint-Exupéry (1867年5月4日、享年63)葬儀への出席要請/案内状(黒枠)または会葬礼状でしょう。

 被埋葬者 “César de Saint-Exupéry” 夫人【1873.12.26, 享年69 の筈:http://gw1.geneanet.org/index.php3?b=hbourj&lang=fr;pz=henri;nz=bourjade;ocz=0;p=jean+baptiste;n=de+saint+exupery 他】の死亡年月日や年齢が "1867年5月4日、享年63" とは合いません。
 【列席者の顔ぶれから見て、この "César de Saint-Exupéry" は、サンテックスの祖先で、例のボルドーはマルゴー地区のシャトー・マレスコを手に入れた Jean-Baptist de Saint-Exupéry のことではないか思われます。(彼が "César de Saint-Exupéry" を名告り、周囲からもそう呼ばれていた事は解っています。)】

 “le Comte de Saint-Exupéry” となっていることに注目して下さい。別人であったとしても、1860年代に César de Saint-Exupéry 家が伯爵家(を名告った)ことの証明ではあります。【前述のように、"la Vicomtesse" "le Viconte et la Vicontesse" de St. Exupéry は「子爵」ではなく、「伯爵の子・親族」を表しているのだと考えられます。】


 コンスエロ主催のサンテックス追悼ミサ(1945.11.25、ニューヨーク市23番街にある Saint Vincent de Paul 教会で行われた)の案内状が某オークションに現れたのですが、情報内容に見合わない高騰が起きそうなので降板しました。(2011.03.20 終了。落札価格 $63.77)【画像自体は M-H. Carbonel & M. F. Martinez 著, Consuelo de Saint Exupéry, 2010, Éditions du Rocher の写真図判の中にあります。】
 その中で彼女は自らを “Contesse Antoine de Saint-Exupéry”と称しています。【何度も指摘しますが、彼女は “Contesse:伯婦人”(すなわち、彼女自身が伯爵位を所持)ではありません。また、サンテックスが伯爵でない以上、伯爵夫人でもないのです(この案内状では “Contesse Antoine de Saint-Exupéry”と称しているので、この “Contesse” はサンテックス「夫人」Madame de Antoine de Saint-Exupéry の誤用)。しかしこの種の誤用・曲称は横行していますから、それを根拠に「サンテグジュペリ家は伯爵家」と主張するような誤りは、もはや正されなければならない時期にあると思います。】


結 論

(1)フランスは共和国であり、爵位は既に廃されていたのだから、サンテックスが伯爵であるはずがない。
(2)Jean Louis Fernand de Saint-Exupéry(サンテックスの祖父)が「伯爵」(殊に、Comte de Saint-Exupéry すなわち、サン=テグジュペリ伯爵)であったか否か、怪しい。(単に「元伯爵家のドゥ・サンテグジュペリ氏」の意であった可能性が高い。つまり、"de Saint-Exupéry" は姓、"Comte" は元伯爵の身分を表すのであって、「サン=テグジュペリ伯爵」という爵位はなかったと思われる)
(3)サン=テグジュペリ家が11世紀に伯爵家であったわけではない。伯爵位を得て居たのは、18世紀末から19世紀初めの一時期だけのことである。
(4)したがって、サンテックスの出自は「一時は伯爵にまで上り詰めたこともある、元伯爵家の家系に産まれたが、彼の家庭は、もはや経済的に豊かではない没落貴族であった」というのが正しい。


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