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「没落貴族」の項で説明したとおり、世界にはまだ貴族が生き残っており、帝政・王制を廃止して貴族がなくなった筈の国でも、爵位を僭称する元貴族が存在しています。フランスは、一般社会でも「元」貴族が別扱いされている国の一つなのです。まして、現役貴族や元貴族の仲間内では、「平民」が知らない「常識・慣習」が、ビックリするほど目白押しです。 とはいえここでは、その泥沼には立ち入りません。話をサン・テグジュペリ家に限り、その爵位問題に終止符を打ちたいと思います。 |
| 多くの伝記作家はサンテグジュペリ家を「伯爵」家としていますが、本当は「子爵」なのかも知れません。雑誌 ICARE No. 69(サンテックス特集1号)にサンテックスの出生届の内容が掲載されており、「子爵 Jean de Saint-Exupéry(無職)とAndrée Boyer de Fonscolombe(25歳)の息子」(リヨン第2区区役所、出生届第1703番)とあります【母親の名前は Marie ですから、誤記または欠落があるようです。年齢は 25 歳で正しく記載されています。】。ICARE は編集も印刷もフランスでなされていますから、「comte」が「vicomte」に誤記・誤植される可能性は低いと思われます。受理された出生届は公文書ですから、権威のあるものですし、出生届は家族もしくは近親者が記入し、父親のサインもあるはずですから、届け出書類の記入に誤りがあろう筈はありません。誤記がないのであれば、資料価値は高いものです。(没落貴族 より抜粋) |
| 「元貴族」とその取り巻き達が、勝手な用語を僭称・乱用したことが、誤解を生んだ |
と言うべきでしょう。
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サンテックスから遡った彼の祖先
Raymond de Saint-Exupéry, ? - ?, (1234に結婚) , Seigneur de Saint Germain (Marié vers 1234 avec Marie de Carbonnières. Il décède aprés 1278)
Jean Marc Martin de Saint-Exupéry 1863-1904 Né le 2 janvier 1863 - Décédé le 14 mars 1904, à l'âge de 41 ans, Agent d'Assurances, [Marié en 1895 avec Marie de Fonscolombe , née le 9 août 1875, décédée le 2 février 1972 - Cabris (05) à l'âge de 96 ans](Vicomte de Saint-Exupéry を私称;「子爵」ではなく、「伯爵の子」を表す。この「伯爵」は既に失効している。) Antoine de Saint-Exupéry (Comte de Saint-Exupéry を私称)
家系図を上流側からたどったのでは、サンテックスにたどり着けません(それどころか、まったく異なる de Saint-Exupéry 家も少なからず存在します。サンテックスが属するのは、どちらかと言えばパッとしない、うらぶれた家系で、まさに「没落貴族」と言うにふさわしい内容。そして、その家系が消滅するのが、サンテックスとその姉妹の世代です)。長男ではない傍系譜に属しているからです。(途中で、同名異人の Antoine de Saint-Exupéry 何人かに行き会います)
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サンテックスの父母の結婚通知状
![]() 通知状発送者名が “Le Comte et La Comtesse de Saint-Exupéry”(サンテックスの祖父母 Fernand de Saint-Exupéry と Elizabeth Alix Blouquier のこと)、サンテックスの父(Jean Martin Saint-Exupéry)が “Vicomte de Saint-Exupéry” となっています。 1875年に王制・貴族制は廃止されていますから、爵位は正式のものではありません。しかし、王政復古を経験したこともある国のこと。この時期、貴族達は爵位廃止をまだ認めては居ませんでしたから、爵位は堂々と主張されました。 重要なのは、“comte” と “vicomte” が文中に同居していることです。父親が伯爵ならば、その子は vicomte と言うわけです(上記)。サンテックスの生誕届けに、彼の父親である Jean Martin de Saint-Exupéry が vicomte と名乗っているのは、この時期 Fernand de Saint-Exupéry がまだ存命中で、Jean Martin は「伯爵位」を継承しておらず vicomte( comte の爵位後継者)のままであり、「子爵」ではなかったわけです。
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こちらは、花嫁マリー側の家族が出した通知状。発送者名は、祖父夫妻である“Le Marquis et La Marquise de Romanet de Lestrange”と、両親である“Le Baron et La Baronne de Fonscolumbe-la-Mole”。 |
サンテックスとコンスエロの結婚通知状
![]() 左がサンテグジュペリ伯夫人、右がスンシン・ドゥ・サンドバル(コンスエロ本人?)名による通知状。左半分の発送者名が “Comtesse de Saint-Exupéry”(母マリーのこと)、結婚するサンテックスが “Comte de Saint-Exupéry” となっている。サンテックスの父親は既に死亡しており、世が世ならば彼は伯爵位を継承していたはずだからだ。 母マリーを Comtesse と称するのが間違いであることは、上欄で述べたとおりである。しかし、この種の僭称は、一般的に認められていた私称である。招待客の多くは「元貴族」であろうから、内々の了解事項であると共に、見栄を張り通す種族でもある。 |
マリー・ドゥ・サンテグジュペリ
![]() カブリ村のマリー・ドゥ・サンテグジュペリ(サンテックスの母)旧住居にたつ説明看板
「Comtesse(伯夫人:伯位をもつ女性)マリー・ドゥ・サンテグジュペリ」とある。ふたつ上欄の結婚挨拶状で無称であった Marie が、一つ上と並んで、ここでも Comtesse と呼ばれている。二つの意味で間違っている。まず第一に、彼女が伯位を持つわけはない。その可能性があったのは彼女の夫である。もし彼女の夫が伯爵であったならば、彼女は「madame de Saint-Exupéry」と呼ばれることになる。(ただし「伯爵夫人」を "Comtesse" と自称・他称することは、フランスでは珍しいことではない。) |
葬 儀 案 内 状
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最上部にある “M” は、相手が男性ならポワン(.)を、女性ならば “elle” または “me” をそれぞれ書き入れて、宛先の姓名を続けます。このサンプルではそれが未記入ですから、使用されなかった予備の印刷分である事を示しています。
被埋葬者 “César de Saint-Exupéry” 夫人【1873.12.26, 享年69 の筈:http://gw1.geneanet.org/index.php3?b=hbourj&lang=fr;pz=henri;nz=bourjade;ocz=0;p=jean+baptiste;n=de+saint+exupery 他】の死亡年月日や年齢が "1867年5月4日、享年63" とは合いません。 “le Comte de Saint-Exupéry” となっていることに注目して下さい。別人であったとしても、1860年代に César de Saint-Exupéry 家が伯爵家(を名告った)ことの証明ではあります。【前述のように、"la Vicomtesse" "le Viconte et la Vicontesse" de St. Exupéry は「子爵」ではなく、「伯爵の子・親族」を表しているのだと考えられます。】 |
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コンスエロ主催のサンテックス追悼ミサ(1945.11.25、ニューヨーク市23番街にある Saint Vincent de Paul 教会で行われた)の案内状が某オークションに現れたのですが、情報内容に見合わない高騰が起きそうなので降板しました。(2011.03.20 終了。落札価格 $63.77)【画像自体は M-H. Carbonel & M. F. Martinez 著, Consuelo de Saint Exupéry, 2010, Éditions du Rocher の写真図判の中にあります。】 その中で彼女は自らを “Contesse Antoine de Saint-Exupéry”と称しています。【何度も指摘しますが、彼女は “Contesse:伯婦人”(すなわち、彼女自身が伯爵位を所持)ではありません。また、サンテックスが伯爵でない以上、伯爵夫人でもないのです(この案内状では “Contesse Antoine de Saint-Exupéry”と称しているので、この “Contesse” はサンテックス「夫人」Madame de Antoine de Saint-Exupéry の誤用)。しかしこの種の誤用・曲称は横行していますから、それを根拠に「サンテグジュペリ家は伯爵家」と主張するような誤りは、もはや正されなければならない時期にあると思います。】 |
結 論
(1)フランスは共和国であり、爵位は既に廃されていたのだから、サンテックスが伯爵であるはずがない。 |