童謡:花嫁人形

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詩画集「花嫁人形」表紙
【復刻版。原本は1935年】

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 よく知られた「童謡」のひとつに、『花嫁人形』がある。人気挿絵画家であり詩人でもあった蕗谷虹児、1923年12月の作*である。後に曲がつけられて、愛唱されるようになった。

* 雑誌「令女界」1924年2月号に掲載。予定していた原稿が間に合わなくなって、急遽作詞したと伝えられる。間に合わなかった原稿は、西条八十の詩であるとも、与謝野晶子の短歌十首であるともいわれている。

 著作権が生きているので、ここにその全容を掲載するわけには行かない。ネット検索その他で歌詞を読むことは容易なので、興味がおありの方は各自で探して戴きたい。
 歌詞は、8音・7音・8音・7音のリズムを持つ4行1連で5番まである。金襴緞子の帯を締め、文金高島田に髪を結い上げた、一生に一度の晴れ姿なのに「花嫁御寮」が泣いている;一体どうしたというのだろう、というのが1番と2番。3番と5番の主語は、赤い鹿の子の千代紙衣装を着た「花嫁人形」である。4番だけが、泣いているのが「人形」なのか、あねさんごっこの演者なのか、明示的な主語がない。そして、鹿の子の赤い紅が「にじむ」のが、涙が落ちて濡れたせいなのか、涙で視野がぼやけたせいなのかも判然としない。婚礼には禁句の、たもとが「切れる**」という語まで現れる。
 不思議な詩である***。歌詞の内容から見て、3・5番 は本当の人形をうたっており、生身の花嫁の譬喩ではないと思われる。それでは前半は、あねさんごっこの人形のことかといえば、そうではなくて、若い女性のことと解するのが妥当であろう。それでなくては、「花嫁御寮」と「花嫁人形」のふたつを使い分ける意味がない。歌の題名は『花嫁人形』。であるからには、この「花嫁御寮」も己の意志を棄てた「人形」なのだ。そして、この「童謡」の要である4番の主語は、「花嫁御寮」と「花嫁人形」の二重写しなのだろう。さればこそ結論部分の最終連、「泣くに泣かれぬ」「花嫁人形」には、二重三重の意味が込められることになる。

 このような内容が子供に判ろう筈はなく、当然、子ども向きの「童謡」ではあり得ないし、これを「子どものための歌」と主張する人はいない。

** 虹児本人が「あれは(「濡れる」ではなく)『切れる』でなければならない」と語ったという。

*** これについては様々な人が考察を加えており、虹児12歳のときに若くして(28歳)他界した母への思いを抜きにすることは出来ないという点で、意見が一致します。この母は15歳で虹児の父(20歳)と樺太へ駆け落ちし、虹児(本名一男)を産んだのです。その虹児もまた、長じて19歳のとき、人妻との恋のため樺太の父の許へと逃れています。
 22歳で人気画家となり、絶頂期とも言える25歳のときにこの詩を作りました。1925年、27歳のときに父を喪い、フランスへ旅立ちます。 

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