第22章
22-4 運がいい?
第22章は極めて短く、しかも(続く23章と並んで)、物語の本流とは異質な形で挿入されている。作者はここで、省くことができない重要な内容を述べていると思わなくてはならない。多くの人は、この章にも「大人批判」を読み取ろうとする。間違いではないのだけれど、「省くことができない」ことはそれではない。
作者が是非とも述べたいことは最後の部分にある。“Ils ont de la chance”;転轍夫が子供たちを羨んでいう言葉である。子ども時代への抜きがたいコンプレックスを残していた作者の思いが込められているのだ。その思いのたけと、子ども時代の住人に対する羨望とが読者に伝わるような翻訳をしなければならない。
私の翻案は、「子供はいいな」/「子供ってのは、幸福王国の住人なんだもの」、というものであった。前者は原文に忠実に、後者は読者を紛う方なく誘導するために原文に囚われない意訳である。「なろうことなら子ども時代に戻りたい」作者の叶おう筈のない願望と、子供への羨望を込めた翻案のつもりである。
| 余談ながら、「子供」は複数形である。「子達」がその尊称、単数形は「子」。京都を中心として、関西地方では現在でも生きて使われている。 |
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新訳が続々と姿を現したのに、この部分に満足できる翻案がない。「原作を読めていない!」とイライラを募らせていたが、10人目にしてやっと「正解」訳が現れた。稲垣 直樹氏はこの部分を「子どもはいいなあ」と訳してみせる。
手前味噌になるが、「いいな」と「いいなあ」では、前者の方が優れていると自負している。「いいな」には、もはや取り戻すことは叶わない現状に対する深い慨嘆が込められているのに対して、「いいなあ」は羨望への指向が強すぎるからである。
| 稲垣 直樹 | 子どもはいいなあ |
| 川上・廿樂 | 子供は幸福だな ( . . . ぽつりと言った。) |
| 内藤 濯 | 子供たちは幸福だな |
| 倉橋 由美子 | 子供は幸せだな |
| 山崎 庸一郎 | 子どもたちはしあわせだな |
| 三野 博司 | 子どもたちは幸せだよ |
| 小島 俊明 | 子供たちは、幸福だよ |
| 河野 万里子 | 幸せ者だな、子どもたちは |
| 辛酸 なめ子 | 子どもは幸せですね |
| 藤田 尊潮 | 子どもたちは運がいいな |
| 池澤 夏樹 | 子供は運がいい |
「運がいい」は論外である。論理的な意味をなさないし、言葉の裏には「大人は運が悪い」という、わけの判らない対比が埋め込まれてしまう。
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フランス語の辞書をひもとけば: avoir de la chance 運がいい,ついている pas de chance ついてない,運が悪い と出てくる。二つは慣用句であるが、ここでこの翻案を使うのは、第22章をまったく読めていないことの証左となろう。 |