草 稿
「星の王子さま」論考
/Le Petit Prince 考究


 これは標題にあるとおり“草稿”です。少しづつ書き足して行きます。訂正したり、削除したり、 アイデアやメモを書き込んだり。原稿が作られ・推敲されて行く過程をネットの上で公開してしまおうというのです。おそらくインターネット始まって以来初めての試みでしょう。
 素人の手すさびですから、内容は大したものではありません。時間があるときに書き足すのですから、 完成まで何年掛かるか見当がつきません。惨めな失敗に終わってしまう可能性も大きいのです。でも、 挑戦してみる価値はあろうと思います。
 ご返事できないかも知れませんが、いろいろなご意見をお寄せ戴ければ、執筆の参考にさせていただきます。


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第 三 の 章
人 物 論

 「作品を深く掘り下げて評論する研究は少なく、『悪く言えば三面記事的な掘り返し』に過ぎない伝記が多く出ている」と言う意見がある。事実はその通りであろう。しかし、この考え方に私は賛成しない。人生は所詮三面記事。聖人伝説ならいざ知らず、生身の人間から三面記事的側面を抜き取ったら無味乾燥な抜け殻になってしまう。伝記は三面記事的であらねばならぬ、と私は思う。少なくとも、それを避けてはならない。

 ニューヨーク亡命中のサンテックスは、幾派にも別れて諍いを続けるフランス人達に、ラジオや新聞を通じて公開状を発表し、団結して国難にあたろうと呼びかける。フランス人は全員戦場へ赴くべきだと主張して、自分が2/33部隊に所属して戦ったこと、再びその部隊へ復帰するつもりであることを述べ、最後にこう結ぶ。
 「フランス人よ、和解しようではないか。爆撃機に搭乗し、5・6機のメッサーシュミットと交戦するとき、われわれの古い論争は微笑を誘うものとなるに違いない。1940年、砲弾で穴だらけになった機を操って作戦から戻ってくると、私は中隊のバーで、すばらしいペルノを一杯、喜色満面で飲み干したものだ。そのペルノは、. . . . . 」【「まずフランス人なのだ」,みすず書房(2001年3月),ある人質への手紙 p.87,より】
 いうまでもなく、「アラスへの飛行」はベストセラーとなっており、彼はその戦功を振りかざして、議論ばかりで戦おうとしないフランス人達にお説教を垂れているのである。
 このあと実際に戦線へ戻り、ついには死亡することを知っている現在の我々には、崇高で格調高い文章に読める。しかし、それにはふたつの重大な誤りを含むことになる。まず第一に、宣言通り北アフリカに復帰した彼は、着陸事故を起こして除隊処分になったあと、政治的な手練手管を使って、再度の戦線復帰を果たす。操縦技能の未熟さと制限を超過した年齢を勘案して、爆撃機の副操縦士として発令されたにもかかわらず、彼は勝手に古巣の偵察大隊に潜り込んでしまう。単座機操縦士として勝手なまねが出来る2/33部隊の方が居心地がよいからである。そこには、利己的な身勝手だけが大手を振り、祖国のために命を捧げる崇高さは認められない。
 そして、過去に授与された感状の中身も、「爆撃機に搭乗し、5・6機のメッサーシュミットと交戦」するのとはほど遠い実体であったし、満身創痍の「偵察機」を何とか操って、よたよたとオルリー空港へ辿り着いたあと、パリ市内のビストロで愛人を交えての会食 (1940.5.22)が事実であったと知ったならば、サンテックスに対する評価も変わろうというものである。週刊誌的な「三面記事」は、事実を知るために必要な情報の一つなのだ。それなしには、歪められ、意図的に作り上げられた「行動する作家」像が捏造されることになってしまう。

 基本的には「作品は作品、作者は作者」、作品論に作者の人物像を混入させてはならない。作者生前の行状を作品の解釈に反映させるのは邪道であって、結論を誤る因になる。しかし、「星の王子さま」に関しては、そうも言ってはいられない。明らかに私小説的だからである。作品中に埋め込まれたさまざまなメタファーは、作者と彼を取り巻く人々の存在抜きには理解できないと断じてよい。
 この章では、従来目をそむけられてきたサンテックスの精神的および肉体的な否定的側面をあえて見据えることによって、新たな観点からの解釈を試みる。


Antoine de Saint-Exupéry

わがまま一杯に育てられた少年時代
 欠陥人格の誕生。

器質性疾患? 魂魄遊離癖
 サンテックスは自我の世界に入り込み、周囲と隔絶した自失状態になることが多かったと、彼を知る人々が証言している。子供の頃から最後の兵役時まで続いていた。周りの人からは、普通ではない(すなわち、病的もしくはそれに近い)と認識されていたようである。事故がやたら多いことと考え合わせると、個性的性格で片付けられない疾患であった可能性がある。
 たとえば、ある種のテンカン(欠神発作)持ちであったのかも知れない。

失意の学園生活
 

放蕩のパリ遊学生活
 上等なチョコレートと夜の姫君。城を食い潰した放蕩息子。

女性憧憬症のはじまり
 思いがけない婚約獲得とあっと言う間の失恋。

海軍士官学校落第
 貴族の体面復活は成就しなかった。【海軍士官学校はグランゼコールの一つであった。】

裏口飛行士
 どうせ招集されるものならと、逆手をとって飛行隊を志願。特権生活。貴族のコネを使いまくる悪辣極まる違法の数々と操縦士資格の取得。

無能なセールスマン
 事務員としても失格、何をやらせても駄目。修理・組立工としての隠れた才能発揮。

郵便機の僥倖
 ディディエ・ドーラとの邂逅。鈍牛が耕した空。他人に束縛されない雲の上の小さな城。

空飛ぶ雲助:郵便機操縦士達
 サンテックスは、文筆家であると同時に定期便操縦士でもあったことが、大きな特色とされがちである。空を飛んでいたことが彼の世界に大きな影響を及ぼし、他にはない哲学を育てたのだと信じたがっている人々がいる。しかし、サンテックスが生きた時代の飛行機乗り達を、現在の感覚でとらえてはならない。彼等は、毎日が死と隣り合わせ。街の常識は通用しない、命知らずの荒くれ男達だったのである。気取った紳士たちではない。
 コンスエロの言葉を借りるならば、彼等の生活はこうだ。「パイロットは雇われたとたんに、翌日の夜どこで寝ることになるのかわからなくなる。.........」 飛行先の1泊がどこになるのか定まらないというだけではない。妻であるコンスエロの生活場所も、遊牧民さながらに各地を転々と移住することになったのだ。

 北アフリカ乾燥地帯の遊牧民・半遊牧生活民は、それぞれに独特の社会習慣を持っていた。「花嫁市場」もそのひとつである。年頃(13〜15歳)になると、父親に連れられて、娘が町の「市場」に立つことは例外的な出来事ではなかった。結婚相手を探すために、である。娘の器量や体つきを見定めて提示される「結納」(ラクダ・ヒツジ・布生地・.......)と引き換えに、娘は売られる。すべての権限は父親が握っている。売り渡される相手が優しい男であってくれるよう、娘は幸運を祈るしかない。航空会社もこうした生娘たちを買い集め、あるいは、その種の淫売屋と契約して、夜な夜な操縦士たちにあてがった。操縦士はその都度、一夜の妻に4フランを払う。
 ある夕刻、一杯引っかけて宿に帰りつくと、入り口の前に14歳くらいの娘がひとり待っていた。部屋に引き入れ、言葉が判らないための多少のぎこちなさはあったものの*、この娘と同衾して朝を迎える。実はこの娘、一夜妻ではなく、洗濯物を受け取りに来ただけの使い走りだった。サンテックスはメルモーズの仕業だといい、メルモーズは、サンテックスが自分の所業を脚色してメルモーズになすりつけていると主張した。コンスエロが語るさまざまな思い出話のひとつである。

*  娘に抵抗されて次々に金品を与えるという、落し話への伏線が張られている。話を面白くするための脚色である可能性が高い。
 メルモーズは、なびかぬ女とてない美丈夫であった。おまけに「空を飛ぶ白い人」は、別世界の住人である。もし主人公がメルモーズであったならば、トゥアレグ族であれベルベル族であれ、この娘は成り行きに身を任せたであろう。朝になっても大した騒ぎにはならなかったはずだ。
 もしサンテックスが相手だったら、娘は死にもの狂いで抵抗した可能性が高い。サンテックスは大きな体と腕力にものを言わせて、暴力的にこの娘を犯したことになる。サンテックスがそうしなかったと主張できる理由はひとつもない。

 これは、笑い事として語られる「単なる」エピソードのひとつに過ぎない。郵便機操縦士時代のサンテックスの生活は、これが「エピソード」に過ぎない類のものだった。街での彼の生活の無軌道ぶりもさることながら、「未開の地」で発揮した人種差別・非人間的な感性の数々を、見落とすことがあってはならない。彼がどのような美文を書き連ねようと、彼の賛美者達がどのように彼の美談を語りつごうと、それとは異なる一面を彼が持っていたことは、しっかリ見据えておく必要がある。サンテックスの作品は「説教臭い」と嫌われる。とりわけ彼を知る人々から、「お前に言われる筋合いはない!」とそっぽを向かれるだけの理由があるのだ。

キャップ・ジュビー
 砂の修道院。人間的な深みの育成。

 サンテックスはキャップジュビーでフェネックを飼ったと信じられているようである。妹のガブリエルに宛てた手紙がその根拠となっている。私は、「フェネックを手に入れて飼おうとしたけれど失敗した」と考えている。
 作家というものは、虚構の世界に翼を広げて作品を作る種族である。サンテックスの場合、親しい人への手紙にも、誇張や嘘が含まれることが珍しくなかった。野生のフェネックは簡単に人に馴れる動物ではない。その後、手記や手紙に現れないことから考えても、飼うのに失敗したと考えられる。死なせてしまったか、逃げられたか、二つに一つ。与えた餌を拒絶され、餓死させてしまった可能性は極めて高い。放し飼いは不可能であるから、檻に入れたか、鎖でつないだか、いずれかであろう。もし鎖を使って死なせてしまったのなら、物語の中で王子が示す「羊をつなぐ」ことへの反発は、実体験に根ざしているとみることができる。

ブエノスアイレスへ
 新航路の開拓。若い娘を次から次へと、スケコマトニオ フル回転。コンスエロとの邂逅。

曲芸操縦士
 アンデスで墜落し奇跡的な生還を果たしたギヨメが、遭難・下山行動中に、山襞を縫うように飛ぶ捜索機を目撃し、「あれはサンテックスに相違ない」と直感している。彼以外には考えられない、二重遭難すれすれの無謀な操縦ぶりだったからだ。彼の操縦は勇敢なのではなく、無謀だった。何度も繰り返す墜落事故は、操縦士としての彼の能力の低さと資質の欠陥が原因である。(危険に対する鈍感さ故に、他の操縦士ではない得ないような新航路の開拓に成功している。)

ドジな戦列パイロット − 感状は「結果」に与えられたものに過ぎない −
 ヒトラー自慢の機甲師団が雪崩を打って侵入した。逃げ惑う難民の悲惨と恐怖は想像を絶する。数百輛規模の戦車群が激突する大戦車戦は、サハラ以北,ウラル以西でしか戦われたことがない。その凄まじさ・恐ろしさについて、我々日本人にピンと来ないものがあるのは致し方なかろう。【日本軍の戦車はブリキの玩具並み。ノモンハンでもマレー半島やインパールでも、戦車戦と呼べるほどの戦闘にはならなかった。】

 1940.5.20 - 23:アラスの戦い
 アルデンヌの森を抜け、弱小の歩兵守備隊を蹴散らしたドイツ A 軍集団(機甲部隊)は戦場を席巻した。連合軍は、なす術もなく英仏海峡へと敗走する。ド・ゴール Charles André Joseph Marie de Gaulle はあらん限りの戦車をかき集め、パリへ向けて離脱を図った。延びきった戦線の軽量戦車群を突かれたドイツ軍は苦戦に陥ったが、急遽呼び集めた主力戦車(IV 号戦車)を差し向け、第7装甲師団のロンメル Erwin Johannes Eugen Ronmmel は、88mm 高射砲の水平射撃(ゼロ距離発射)で応戦するという激戦の末、23日になってなんとかド・ゴール軍を撃破する。イギリスの歩兵戦車が強力だったためこの善戦となったが、歩兵支援という戦略しか持たなかったフランス戦車群は、ドイツ機甲師団の敵ではなかった。

 そのフランスの戦いで、サンテックスは勇名をはせる。しかし、彼が優秀な軍人であったとは思われない。
 偵察機も爆撃機も、命令されたとおりのコースを飛ぶ。捨て駒に過ぎなくとも、死地に赴くしかない。それが軍人の使命である。死地に赴くご褒美として、生還の可能性が低い作戦で手柄を立てれば、生死に関わりなく勲章や感状が授与される。本人の技量や勇気に対して与えられるわけではない。しかもサンテックスは、後述の通り、操縦士の判断で回避すべき危険を避け損なっている。それでも感状は出される。他の部隊への督戦効果があるからだ。

 1940.5.23 アラス偵察飛行。サンテックスは I/33 部隊へ護衛を要請したが一旦は断られた。だが、「あのサンテグジュペリが飛ぶ」と知って、9機もの護衛戦闘機が(勝手に?)飛び立つ。うち2機が高射砲および敵戦闘機の餌食となった。(操縦士は生存)
 そもそもこの作戦には大きな疑問符がつく。偵察結果がどうであれ、既に崩壊状態にあったフランス軍に反撃作戦は立つ筈もない。とすれば、敵情把握のための偵察に過ぎないのだから、高々度からの低解像度撮影で充分なはず。危険を冒しての低空強行偵察(命令された高度は 300 m)の必要がどこにあるのか。I/33 部隊は護衛戦闘機の提供を断った*(出撃命令が出ていれば行かざるを得ないが、I/33 部隊には命令書は来ていない)。無意味な作戦で可愛い部下を犬死にさせるのではたまらない。しかし相手が悪かった。死なせるわけにはゆかない有名人だ。全滅覚悟の馬鹿な作戦に、飛び立つ部下を黙認するしかなかった。未帰還2機で済んだのは幸運だったと言うべきだろう。ドイツ軍も忙しくて手が回りかねたのだ。
 虎の子の機甲師団を、みすみす爆撃機や攻撃機の餌食に供するはずがない。各戦車には高射機関銃が具えられているし、防空戦車(sky sweeper)だって混じっているかも知れない。集結地周辺には、防空陣地が築かれているのは常識である。それなのにサンテックスは、蝟集する数百輛の戦車群を発見していながら回避コースを取らず、その直上を低空航過するという信じられないミスを冒し、オイルタンク(一説には燃料タンク)他に被弾して危うく撃墜されるところであった。

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超低空強襲偵察(ICARE 57号より)
 II/33 部隊は、高度 50〜300 m での偵察を強行することがしばしばであったという。歩兵の自動小銃でも届く高度になってしまうが、突如出現すればこの絵のような状況となり、銃を構える暇さえない。地上の撮影は不可能で、視認偵察のみとなる。
 サンテックスのアラス偵察は高度 700 m でなされたことになっている(命令は 300 m)。高射砲・高射機関砲にとっては狙いごろの高度である。

 あまりに低空を航過されたために、ドイツ軍は照準を合わせることができず、弾幕を張るのが精いっぱいだったと思われる。このような超低空航過では、地上にある車両の種類・台数・配置等は把握できない。サンテックスが任務に忠実ならば、高度を上げて機甲師団の全容を撮影すべきであった。ただし、そうすればちょうど狙い頃の標的となり、撃墜されたであろうことは疑いない。戦車群を迂回して、適切な位置と高度から偵察する。それが本来の任務であった。サンテックスは不注意からそれに失敗し、命懸けでその挽回をはかることもせず、地を這うように砲火を避けて脱出する道を選んだものと考えられる。つまり、ドジを踏んだ上、命を惜しんで任務を放棄したということである。それでも、この偵察飛行に対して感状が出されている。報告しない限り、司令部にはそのような事情は判らないからだ。

 サンテックスが乗ったブロック174型機(Bloch MB-174)は、3月末に配備されたばかりの新鋭偵察機で、高々度では追いつく戦闘機はないと信じられていた。それがベルギー上空で撃墜され、搭乗員3名のうち2名は戦死、残る1名は重傷・入院となった。4月20日、あろうことかパリソワール紙の記者を装って、サンテックスはヌフシャトーの病院に現れる。茶番にも等しいスパイ作戦の結果、メッサーシュミット新型戦闘機が出現したことを聴き出して部隊へ帰ったのである。【この発想法は、サンテックスのものとは思われない。必要な根回しその他、B夫人の影を強く感じさせる。】
 高々度にあってさえ、ブロック174型機が安全ではないことをサンテックスは知っていた。まして今回は、超低空の強行偵察。敵戦闘機と防空砲火の真っ只中に身を曝すことになる。生きて還れる望みはまずない。それでも行かねばならぬのが軍人である。ここでサンテックスは卑劣な悪足掻きをした。
 勝手に護衛戦闘機の出動を要請したのである。いかに当時のフランス軍が混乱状態にあったとは言え、軍律違反であることは明らかである*。それ以上に、以下に述べるように、彼の人間としてのモラルが問われなければならない。

* まず第一に部隊が異なる。一介の大尉に過ぎないサンテックスが、命令系統を飛び越えて他所の部隊の部隊長に直談判に及ぶのは越権行為も甚だしい。(一説には、隊長のアリアス少佐が談判したが断られた。)
 更に、お門違いの要請であったと思われる。I/33 部隊は、戦闘機と爆撃機を擁する実戦部隊である。戦闘機は、フランス軍最新鋭機が配備されている。その陣容から推して、戦爆連合の強襲攻撃部隊として運用されていた筈で、偵察機の護衛が任務に含まれていたとは思われない。I/33,II/33 共に司令部直属であったというから、I/33 部隊は戦略爆撃隊であったと考えられる。とすれば、ますますもって他隊の護衛任務は考えられない。また、II/33 部隊は司令部偵察隊ということになり、独立運用されているわけだから、命令なしに勝手に他隊と協同作戦を組むことなどもってのほかであろう。

 実際問題として、この作戦にフランス軍戦闘機は役に立たない。ドイツ軍戦闘機とは性能が違い過ぎるのである。(5月中旬までに、フランス軍は保有戦闘機の3/4を失っている。大半は、地上でなすすべもなく破壊された。離陸した戦闘機も、多くが未帰還となる。操縦士の戦闘技量の差もあったろうが、それ以上に機体性能の差が大きかったことは疑いがない)。それゆえにこそ、単機偵察行が下令されたのであろう。高射砲に戦闘機が意味を持たないことは言うまでもない。
 そんなことは百も承知のサンテックスが戦闘機を率き連れようとした狙いは何か。己が身を助けるための身代わりである。護衛戦闘機が立ち向かってくれば、ドイツ軍戦闘機としては、まずその戦闘機を片づけねばならない。その間に、逃れる可能性は少しでも高まる。敵戦闘機を追い払う力はなくとも、人身御供としての役割は果たしてくれるであろう。これ以外の役割はあり得ないし、それが判らないサンテックスではない。彼の後を追う9機のドゥヴォティーヌ520戦闘機の操縦士たちには、それが判っていたのかどうか。
 悪運強く生き延びたサンテックスは、この偵察行を「アラスへの飛行」(「戦うパイロット」)として上梓し、自らを勇敢・沈着な操縦士に描いている。しかし、それが実態とはかけ離れたものであったことは、同乗した偵察員の手記からも明らかである。
 サンテックスの言い訳は予想できる。索敵・哨戒飛行ならば、多くの場合、任務を果たしたときが死ぬときである。少なくともその覚悟が要る。反対に、写真偵察は無事帰還しなければ任務を果たせない。どのような方策を講じてでも、生きて帰らねばならぬのだと。しかし後年のサンテックスの行動は、この言い訳を虚しいものにしてしまう。【そもそもこのアラス偵察飛行にしてからが、被弾し、やっとの事でオルリー飛行場にたどり着いたその夜、ドイツ軍到着は時間の問題となったパリで、愛人B夫人を交えて食事を楽しんでいる。最前線にある軍人としての自覚が全くない。】

 私はこの後も幾度か、サンテックスの人間失格の行為を指摘することになる。そのためにもここで、「作品」から形作られた「作家」の「幻像と実体の乖離」について、戦争という舞台の上で演じられた、あるエピソードを述べておきたいと思う。

 アーネスト・ヘミングウエイは「行動する作家」として有名である。サンテックスと同じ時期、スペイン市民戦争に国際義勇軍側の従軍記者として活躍し、作家としても「誰がために鐘は鳴る」他の作品を世に送り出して人気がある。
 他の殆どの義勇軍側記者とまったく同様に、ヘミングウエイもまた、記者失格であった。義勇軍内部で行われた凄惨な「内ゲバ」を知っていながら、記事を送らなかったのである。無実の疑惑による粛清や政治信条が異なる集団を虐殺した事件の数々については、義勇軍側の利益に反するという「大義」の前に、事実をありのままに報道する使命を放棄してしまった。
 ヘミングウエイの罪状は、それだけにとどまらない。直接手を下したに等しいやり方で、味方を死に追いやっている。
 スペイン戦争は両陣営にとって新兵器の実験場となり、有名なゲルニカ無差別爆撃をはじめとして、「第2次大戦の予行演習」といわれる様相を呈した。地上の前線では、点々と機関銃陣地を築いての塹壕戦が展開される。その機関銃陣地のひとつに、ヘミングウエイはやって来た。守備に就いていたのは、アメリカから到着して間もない国際旅団の義勇兵達である。睨み合うだけの前線を「敵愾心がない」として、銃手を押しのけて銃座に着くや、弾帯が尽きるほど「雨のように」敵陣に向けて撃ちまくった。「戦闘というものはこういう風にやるもんだ」と、意気揚々と引き上げるヘミングウエイ。彼が街で陽気にウイスキーをあおる頃、悲劇は幕を開ける。
 膠着状態の前線で、突如起こった乱射に射すくめられたフランコ・ドイツ軍側には、はじめは何が起きたか判らない。総攻撃の開始かと肝を冷やしたが、数分間で射撃はやみ、その後はもとの静けさに戻ってしまった。訳は判らないものの、あの機関銃座を放っておくわけにはゆかない。直ちに迫撃砲隊が呼び寄せられる。
 一方の義勇軍側も、その後の運命は充分予想できた。拮抗状態の最前線で、静けさを破れば何が起きるか。判っていても、陣地を捨てて逃げるわけにはゆかない(敵前逃亡の不名誉と銃殺刑が待っている)。銃座員たちは、顔を見合わせて死神の到来を待つしかないのだ。ヘミングウエイを呪ったろう。近隣の銃座だってとばっちりを喰うかもしれない。事情が判らないまま恐慌状態に陥り、「気でも狂ったか!」と、無意味な乱射をした友軍銃座を罵倒したはずだ。

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迫撃砲
 砲弾は垂直に近い角度で落下し、塹壕の中や障害物の陰に潜む歩兵を殺傷する。

 迫撃砲の射撃が始まった。たった一発の命中弾は、狭い機銃陣地内の兵士全員の肉体を一瞬のうちに挽き肉と化して空中に吹き上げる。命中を確認して射撃は止み、前線はもとの静けさを取り戻した。その瞬間にも兵士たちの故郷では、肉親や恋人たちが彼等の身を案じていたであろうものを。

 これが「行動する作家」E.ヘミングウエイの実体である。ヘミングウエイと並び称される「行動する作家」の双璧、サンテックスの実体も(目に見える実害は少なかったものの)本質的にはこれと大して変らないことが、後に明らかになる。
 スペインの前線でサンテックスは、ヘミングウエイほどの悪辣なエピソードは残していない。とはいえ、注意散漫な彼のこと、味方を巻き込みかねないドジなエピソードなしでは済まされなかった。暗闇の中でタバコに火を点けようとして、側にいた兵士に叩き落されたのである。対峙状態の前線で闇夜に灯をともせば、狙撃されるのは常識だ。そんなことも知らない「行動する作家」達がスペインには大量に送り込まれ、美文をちりばめた独り善がりの記事を書き送った。サンテックスもその一人である。

 

サイゴンレース
 サンテックスとコンスエロは、(厳密にではないにせよ)基本的には独立会計の生計を営んでいたようだ。両者共に経済観念が全くない。二人とも傍目には派手な生活を送っていたが、実情は火の車だった。別居生活に入ってからは完全に別会計である。サンテックスは借金まみれで生活費にも事欠く有様だった。それにもかかわらず、自堕落な浪費癖は影を潜めはしない。あろう事か新型の高性能小型機が欲しくてたまらない。飛行機を購入して、生活はますます苦しくなった。かさんだ借金を一気に返済しようと、山師根性を発揮する。パリ−サイゴン間長距離飛行ナである。その年の12月31日までにサイゴンに到着した最速記録者に賞金15万フランが支払われる。
 サイゴンへは飛んだ経験がある。最新型のシムーン機なら記録更新は間違いない。サンテックスは借金魔で、不可能と思われるような借金をする名人だった。持ち前の才能を発揮して、賞金を抵当に必要な機材を買い込む。残された時間はほとんどない。サンテックスには、慎重な計画を立てる性格が欠けていた。まるで隣の庭に出かけるような調子でものを買い集める彼を見て、周囲の人々は計画の失敗を確信した。とりわけコンスエロは大反対だった。様々な機会を捉えて計画を阻止しようとしたことが知られている。
 1935年12月29日、パリ−サイゴン間長距離飛行に出発。12月30日午前2時45分リビア砂漠(カイロから200kmの地点)で遭難、着の身着のままで炎熱中をさまよった。1月1日ラクダで移動中のベドウイン族男性に救われ奇跡の生還 。
 リビア砂漠での航法ミスによる遭難事故。雲(実は地上間近の霧)の中で現在位置を確かめようと高度を下げて、砂丘に接触したのだ。過ぎてしまった今となってはほろ苦い思い出。いや、それどころか、借金を返せるほどの飯の種になった。とはいえ、命があったのは全くの幸運。即死にせよ渇きによる野垂れ死ににせよ、あのとき死んでいて何の不思議もない事故だった。
 機体重量を少しでも軽くするために、無線機までも取り外すという非常識なことをした。飛び交う電波を傍聴していれば、その発信源と電波の強弱から、現在位置は容易に推定できたはずだ。近くの空港と交信だってできる。
 時間から推して、追い風に乗っていれば紅海あたり、最悪でもカイロ近辺のナイル盆地上空と、希望的な推測をした。カイロ近辺であれば高度を下げるのは危険だから、海上に出るために北上した。それにもかかわらず、実際はカイロの西120マイルの地点だった。何より、高度の推測を誤ったのが致命的だった(海上だったら接水大破。多分死んでいただろう)。無線機で気象情報を把握していれば、高度計の補正が出来たはず。起こさずに済んだ事故だったのだ。

*  


理科系人間サンテックス
 たわいもない夢想家である反面、幾つかの特許を申請し、受理されている。

 

ニューヨーク
 性交不能者の女漁り:いつの頃から始まったのかは明確でないが、サンテックスは ED(勃起障害)に悩まされており、ニューヨーク亡命時代にはほぼ完全に性交不能であった*ことが知られている。それにも拘わらず(もしくは、それ故にこそ)彼の女癖の悪さは衰えていない。それは Le Petit Prince 執筆(コンスエロと一緒に生活)中も変らなかった。とはいえ、アルゼンチン時代のように、若い娘を手当たり次第にというわけではなかったようだ(全くしなかったかどうかは不明)。ニューヨーク時代のサンテックスの「好み」を評して、「長身・金髪・肩書き」と喝破した人がいる。B夫人をはじめ、彼と浮き名を流した多くの女性はこの条件を満たしている。

*  ただし、女優ナタリー・パレとの数箇月間は、一時的にせよ ED からの回復の兆しを見せた可能性がある。このような経験があれば、女あさりはやめられない。


 作家としての絶頂期。

 Le Petit Prince の執筆。<未完>

前線へ
 精神状態の不安定さから来る死亡願望か、ド・ゴール派との確執の行きがかり上、追いつめられての「戦う操縦士」プレイかは判然としないが、「祖国を救う」前線への志願を病的に募らせた。どのようなルートでかぎつけたものか、極秘作戦である
ドゥリトルの「東京空襲」義勇参加を申し出たとされている。

 思い上がった独り善がり。利敵行為に等しい現役復帰。北アフリカ戦線へ。【常識では考えられない兵役復帰。B夫人を通じての大統領側近や軍部高官へに対する裏工作の結果であることはほぼ確実。フリーメーソンを介しての、秘密交渉の可能性が極めて大きいと私は考えている。】

ピーターパンシンドローム
 「大人になりたくない。いつまでも子どものままでいたい。」無責任で身勝手な精神的発育不全の状態をピーターパンシンドロームという。幻想の世界“ネヴァーランド”に浮遊し、母親役であり姉妹役であり恋人役でもあるティンカベルに頼りきって生き続ける。
 一見、サンテックスは責任ある行動を取っているように見受けられる。サンテックスファンは、彼が「責任」を重要視し、自ら死を賭して祖国のために軍務に就いたと強調する。しかしそれは、あまりにも一面的すぎる。いや、むしろ騙しに近いと言ってよい。たしかに彼は望んで、それどころか無理をごり押しして、戦線へ復帰した。しかし彼には、戦闘というものが見えていない。戦争は所詮人殺しである。戦闘に参加するということは、積極的に人を殺し、あるいはそれに手を貸すということに他ならない。「軍務」ということは、忠実に人殺しに邁進するということである。
 歩兵部隊にも分業がある。進駐・守備を主な任務とする部隊と、敵前上陸・攻城を主任務とする攻略部隊と、である。後者に属する海兵隊・特殊部隊・精鋭連隊には、やくざまがいのゴロツキが多い。銃剣突撃で最終的なケリをつけるのが本領である彼等は、血腥い無残な死と直面せざるを得ないのだ。人の死と真正面から向き合わざるを得ない結果、人間性の根源について悩み苦しむことを避けられなくなる。多かれ少なかれ、心的後遺症に悩まされる運命である。
 最前線の戦闘部隊であっても、遠方から砲弾を送り込む砲兵には、殺戮の自覚が稀薄である。航空兵やミサイル部隊の兵は、さらに「人殺し」意識が薄くなる。軍務に就いたとは言いながら、サンテックスは航空士官、それも偵察機搭乗員であった。より多くの敵を殺すことが祖国を救う道であるという信念が、どれほど彼にあっただろう。彼の「命を捧げての祖国愛」は上滑りなものであった可能性がある。

 サンテックスには、「まともな大人」としての常識が欠けていた。少なくとも、立場・年齢にそぐわない行動が多すぎた。子どもの頃から
未完

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終章へ続く

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