| この記事を執筆するに当たって参照した天気図の閲覧とそのコピーを日本へ持ち帰るについては、フランス気象庁パリ資料室の方々から、一方ならぬご協力を賜りました。まるで自分のことのように走り回って下さった係員のご厚情がなければ、このページはあり得なかったことを読者の皆さんにお伝えすると共に、この欄を借りて、資料室各位に改めて感謝の意を表し、お礼を申し述べたいと存じます。本当にありがとうございました。サンテックスの「砂漠の真ん中で」を、当日の天気図と照らし合わせて検証するという、いままでなされなかった試みを、資料室の皆様方に捧げたいと存じます。 |
同じく製本・保管してあるものに、3000メートル上空の天気図(英国・米国共同作成)があります。時刻はグリニッジ13時でフランス版と半日分のずれがあります。また、3日分の前線の移動が同一天気図に記入してあることが多く、その移動速度の違いや変化を知るのに極めて便利でした。 天気図をコピーするに際しては、著作権の問題がつきまといます。フランス版に関しては、パリ資料室でのコピー可です。英語版はフランス当局に許可権限がないので、少々厄介でした。資料室係員が上司といろいろ相談・折衝し、特別に複写の許可が下りました。研究目的で特段に許可された事情を考慮して、この記事中に英語版画像を掲載することはしません。
天気図の等圧線は、海面の高さに補正した気圧を表します。基準天気図だけからでは、上空の風向や風力は判りません。地表で受けている風向きと、上空の雲の流れがまったく異なっているのを見た経験は誰でも持っていることでしょう。また、気圧配置が基本的に同じでも、地形の影響を受ける観測地点の風向・風力から上空の風を予測することは、困難を伴うのです。高空気圧配置図のありがたさを解っていただけることと思います。 記載値が正しいとは限りません。現に、参照した期間中に、グリーンランド遙か南方にある船舶からの報告として、気圧1058ミリバール,風力9という、近辺の気圧配置(995ミリバールの小低気圧の真ん中)からはあり得ない値が記載されています。もし事実ならば、この船は凄まじいマイクロバーストの直下にあって、局地的嵐のために沈没寸前の状況に見舞われていることになります。
予報官が使用する天気図(つまり、この記事で参照している保管図)も、皆さんが思うほど客観的なものではありません。観測点はそんなに沢山あるわけではありませんから、等圧線には作成者の個性が出るのです。人によっては、随分異なった等圧線が引かれることもあります。【人工衛星による雲の観測が当たり前となった現代では的中率が高くなりましたが、昔は天気予報は外れるのが当たり前。気象学上の知識の集積が不充分だったことはもちろんですが、現代でも、当時の天気図だけで予報をたてれば、的中率は惨めなものに終わると考えられます。それくらい、当時の天気図は不正確だったのです。】 |
まずは、彼の作品:「砂漠の真ん中で」/「人間の土地」や新聞に寄稿した遭難記から、サイゴンレースのタイムコースと天候を拾い上げておきましょう。1935年12月29日の朝、パリ北部のブールジェ空港を飛び立つところからです。【時刻はグリニッジ標準時間】
| 12.29 7:07 | ブールジェ離陸。天候:マルセイユまで雨。 |
| ? | ガソリン漏れのため洋上からマリニャンへ引き返し、修理。約1時間後離陸。 |
| ? | 海岸線を離れた後、地中海上は雨雲中を飛行。約1時間半後に雲から脱出。以後晴れ。 |
| (19:30?) | チュニス離陸。晴れ。予報風向:西。トリポリ上空まで2時間。その後日没を迎える。【晴れ。逆風に流された兆候はない。】 |
| 22:20 | ベンガジ離陸。晴れ。予報風向:西。実際は東の風(逆風)に押し流されていたと主張。【高度を 2000m に上げる】 |
| 12.30 2:25 | 墜落直前から雲中飛行。リビア砂漠に墜落。 |
| 終日砂漠を彷徨。晴れ。風向:北東,湿気あり。動物を捕らえるための罠を仕掛ける。夜、救難信号として火を焚く。 | |
| 12.31 | 機体に付いた朝露を集める(= 湿気あり)。フェネック(?)の足跡を観察。晴れ。風向:北東。終日彷徨。様々な幻覚を経験。 |
| 1936.1.1 | 落下傘の布を使って2リッターもの朝露を集める(= 湿気あり)。晴れ。 夕方に風向変化。風向:南,乾燥風となる,気温低下。彷徨。記憶不確実。 |
| 1.2 | 晴れ。風向:西,乾燥風,気温低。彷徨。ベドゥイン人に救出される。 |
「人間の土地」の記述を元に日付を割り振ると上のようなことになります。トリポリ上空でまだ陽があったというサンテックスの記述通りなら、チュニス離陸はもっと早いはず。(「トリポリまで2時間」という飛行時間から推定逆算。実記録を検索中。)
ベンガジ離陸後に消息を絶っていますから、墜落は12月29日深夜〜30日未明。ベドゥインの男に拾われたのは1月2日なので、実際に砂漠をさ迷っていた日数は3日半です。

12月29日グリニッジ時刻1時の天気図。(部分)
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北極を中心とした北半球図の一部を拡大表示したものです。右端の等高線は数字が切れていますが、1020ミリバールで、一続き。ペルシャ湾上に気圧の谷があります。また、イギリス西方の低気圧からサハラ中央部に延びる気圧の谷が、地中海東半分を覆う形で枝を出しています。この等圧線に添ってトルコ南方の低気圧の浅いボトムに吹き込む風を想定して、リビア砂漠に「西の風」の予報が出されたのでしょう。あまり強い風ではないはず。 ブールジェ出発はこの6時間後ですが、基本的には同じ気圧配置と思って良いでしょう。黒丸が連なったのは寒冷前線。デンマーク・スエーデン・大西洋上にある、線でつながれた黒丸は停滞前線です。(本筋を外れるので天気図の読み方に関して詳しい説明は省きます。) パリからマルセイユまで雨。地中海でも雨雲に遭ったという記述は頷けます。 |
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3000 m 気圧配置図(13時)も、“ベンガジまでの天候”については、サンテックスの記述と(前線の存在も含めて)矛盾は認められません。 それ以後の、問題の「墜落」につながる中緯度および地中海近辺の気圧配置に関しては、上図とはまったく異なります。すなわち、インドからトリポリあたりまで、等圧線が緯線とほぼ並行し、ギリシャ ― トルコあたりで少し北に膨らんで(翌日に現れる)小さな高気圧の瘤または峰が出来かけていることを示唆しています。等圧線の間隔は緩やかで、ベンガジより東の飛行中は、風向は東ながら(極めて平坦な気圧の尾根を横切る形の移動なので)事実上無風状態だったはず。 |
サンテックスがリビア砂漠に「不時着」したと書く非常識な人があとを絶ちません。他人の文章を検証抜きで書き写す恥知らずな行為が横行しているせいでしょう。
12月30日グリニッジ時刻1時の天気図。ほぼ1時間後、カイロ西方 約200 km 地点に墜落。
12月31日グリニッジ時刻1時の天気図。
数十メートル手前でカメラマンを待たせてシムーン機に駆け寄り、機体に書きなぐってあった文(遺言?)を大急ぎで消してからカメラマンや記者達を機の近くに呼び寄せて撮影したことが判っています。
サンテックスは、自分が冒したヘマを、捏造した悪天候のせいにしているのではないかと、私は疑っています。(何よりも、左にあるべき紅灯の影が右に出現するというあり得ない現象が作り話であった【雲などなかった = 天候は晴れ。だとすれば、墜落原因は居眠り以外に考えられない】とすれば、翼端灯の左右の色を間違えることなど茶飯事に過ぎないサンテックスのやりそうなドジではあります。彼が嘘をついたと目くじら立てるには及びません。「人間の土地」は文学作品;虚構の上に建つ「物語」なのですから。検証する気なぞありはしませんが、行く手に待ち受ける墜落を臭わせる不吉な伏線としてのチュニス飛行場での人身事故も、事実かどうか怪しいものです。)
「不時着(不時着陸/着水)」とは、予定していなかった*地点に「着陸/着水」することです。操縦者が、明確に「地表に降りる意志」を持って航空機を操り、降着することをいいます。その地点が飛行場であれ、海上であれ、前記の条件が満たされれば「不時着」です。旨く接地できなくて大破・炎上し全員死亡したとしても、意志を持って着陸操作を行っていたのなら、「不時着失敗」による墜落です。【サン・ラファエルの時のように、「予定通り」の水面に着水しようとして水没すれば「不時着」ではなく、「着水失敗」による「事故・墜落」です。】
* 管制官・ハイジャック犯・迎撃戦闘機等からの指示に従って、予定外の飛行場に降りる場合は「着陸」です。飛行場でなければ「不時着」でしょう。操縦者の錯誤によって隣の滑走路や別の飛行場に降りてしまった場合も、「誤着陸」であって、不時着ではありません。着陸操作を行っていても、航空機側の不都合によって着陸を余儀なくされるのであれば、飛行場であっても「不時着」です。
意志なく接地/接水したのであれば、機体の破損や乗員の被害がなくとも「墜落」です。リビア砂漠における F-ANRY は、押しも押されもせぬ紛う方なき「墜落」であって、これを「不時着」と言いつのるのは、呆れるばかりの無知か、さもなくば(事実をねじ曲げてでも彼を粉飾しようとする)厚顔の極みというべきものです。

墜落時の気圧配置。カスピ海北部に中心を持つ優勢な冷たい高気圧が地中海東部にまで張り出し、一方、イギリス西に中心を持つ低気圧からの弱い気圧の谷がフランスを斜めに横切り、地中海からチュニジア・リビア西部へと延びています。
この天気図が正しければ、ベンガジから墜落地点までは高気圧の圏内を、ほぼ等圧線に添って飛ぶことになります。紅海からロドス島あたりまで、極めて弱い気圧の谷が延び、ふたつの谷にはさまれた気圧の尾根を横切る形です。風向は複雑ですが、西側の気圧の谷に向かう東風が優勢となるでしょう。ただし、等圧線は緩やかなので、強風とはならないはずです。
この時刻、アレキサンドリアの西 約100km にいる船舶から、北の風・風力2、視界良好、気温15℃ との報告があり、6時間後のグリニッジ7時にポートサイド北方 約200km 沖合(ポートサイド ― キプロス島のほぼ中間)の船舶情報で、南西の風・風力5,視界良好、気温20℃ とあります。後者の報告は、上の気圧配置からは考えにくい風向です。
12時間ずれますが、3000 m 気圧配置図は、これとはまったく異なるのです。前線を伴う気圧の谷はフランスから南へ地中海を横切り、アルジェリアとチュニジアの国境あたりへ延びます。それに対抗する形で、インド洋の高気圧が南から大きく回り込んで、気圧の峰をカスピ海方面にまで伸ばします。リビア砂漠はその気圧の峰にすっぽりと包み込まれています。 ナイルデルタは(南から突き出した気圧の峰の等圧線に添った) 北の風 。上記船舶情報は、一応説明がつく気圧配置です。(ただし、前者の気温が低すぎるのと、後者の風力が強すぎるのではないかと思われます。)
【英語版の欠点は、ソ連と中国の気象情報がまったく欠けていることです。フランス語版も中国・インドとシベリア東半分の情報は空白ですが、ウラル山脈の東方かなりの部分までをカバーしています。】
上空を吹くジェット気流の存在はまだ知られていなかった時代なので、3000 m 気圧配置図にその位置を窺い知るような情報は入っておりません。カイロは北緯30°。皆さんが思っていらっしゃるであろうよりは北に位置します(九州最南端の佐多岬が北緯31°)ので、冬にジェット気流が大蛇行してこの付近まで南下すれば、その影響を被る可能性があります。ただし、小型機では太刀打ちできないほど強力な西風ですから、「東風」というサンテックスの記述とは相容れません。

墜落後砂漠を彷徨する時の風向・湿度に関する情報の検討です。南西の方向と紅海に気圧の谷があるので、墜落地点の風向は概ね北寄り(または東寄り)。地中海を渡ってくる風なので湿度は高いが、厳冬のユーラシア大陸内部にある高気圧から吹き出してくる冷風で、気温は低いはず。風力は緩やか。サンテックスの遭難前半の天候記述と矛盾しません。(後半の風向き逆転と乾燥はあり得ません。)
ナイルデルタ沖合の船舶から18時に発せられた情報では、北西の風・風力4,視界良好、気温15℃。(この天気図からすると、風力が少々強すぎるような気がします。)
3000 m 気圧配置図(13時)は、トリポリ西に低気圧、クレタ島上空に高気圧があり、リビア砂漠は高気圧圏にすっぽり包まれています。等圧線は緩やかで、無風に近いでしょう(ナイルデルタには弱い北風が記入されています)。サンテックスの記述とは(遭難前半も後半も)風向・気温・湿度が矛盾します。
3000 m 気圧配置 上記船舶情報とは相容れません。
理由を失念してしまいましたが(多分、現物が見つからなかった)、1月1日のフランス語版天気図と 3000 m 気圧配置図はコピーがなく、参照できるのは英語版の天気図(海面準位の気圧配置)だけです。
13時の天気図では、カスピ海北からモンゴルにかけて帯状高気圧が、大西洋東岸カナリー諸島上空に西へ向かって尾を引く卵形の高気圧があり、イギリス上空の低気圧から延びる気圧の谷が、フランスから地中海を斜めに横切ってベンガジ南方まで張り出しています。その谷に添う形で前線があり、東ヨーロッパ ― 地中海 ― サハラと大きく S 字状にうねります。ハンガリー ― オーストリア ― イタリア北部、そしてイタリア西岸を南東方向に南下してアフリカ北岸に至り、ベンガジ近辺で南西方向へカーブしてサハラ中部へ向かいます。ベンガジまでは停滞前線、ベンガジから南西へは寒冷前線です。地上観測点の記録は、リビア砂漠は快晴無風。ナイルデルタも晴れで無風。
サンテックスの記述と大きな矛盾はありませんが、気温は上昇したはず。

2006年パリ造幣局で撮影。
リビア砂漠での遭難から救出されて数週間後、カメラ陣の前でポーズをとるサンテックス。(彼が書いたほどひどく壊れているわけではない*ことが判りますね? 剥がして信号用の炬火に使ったという「ジュラルミン板」がどの部分だったのか . . . 。それらしい箇所が見つかりません。あまり大きな外板ではなかったのでしょうか。)
極めて平らな地面で、背景の地平もフラットであることに注目して下さい。画面外右手奥にサンテックス機が接触・滑落した砂丘があるはずですが、そのような地形とは信じがたい情景です。
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後年グァテマラのアウローラ空港で起こした離陸失敗事故 でも同様。(彼は「残った部分で一番大きなものは私自身だった」と述べているが、そんなことはない。リンク先の最後尾の報道写真で明らかなように、機体はその概観を残しており、標識記号“F-ANXK”も明瞭に読み取れる。)
サンテックスは、経験談を大げさに粉飾・膨張させ(ときには嘘さえ交え)てドラマチックな筋立てにする傾向が強い。その方が大向こう受けし、金銭や名声を得るのに好都合であることを知っていたからであろう。(おそらくは、女性を次々に口説き落とした際に学習・習得した習性の延長と思われる。)
フランス語版天気図と英語版上空気圧配置図は必ずしも一致した帰結をもたらしませんが、両者に共通する一番大きな結論として、サンテックス機を押し戻した「東からの強風」は、存在しなかっただろうということです。当日は、(東風だけでなく)カイロ西方に前線性の雲も期待できません。「厚い雲」がもし事実であったとすれば、熱対流による局地的な雲ですが、昼間ならともかく(この気圧配置で、冬の)真夜中に起きるとは考え難いのです。
前述のように、ジェット気流の影響に関しては判断材料がありません。もし気流が蛇行しており、 3000m 気圧配置図にそのヒントが隠されているならば、リビア砂漠は南からせり出した優勢な高気圧の勢力下にありますから、ジェット気流は北方に曲がっていると考えるのが妥当でしょう。やはりこの位置に強風をもたらすことはないと思われますし、なにより気流の風向は「西」です。![]()