
過ぐる大戦で、日本の主要都市は焼け野原になりました。「超空の要塞」と呼ばれた爆撃機、B29 の弾倉から雨のように降り注ぐ焼夷弾に逃げ惑いながら、多くの日本人が「帝国には聯合艦隊がある。秘密基地に潜んで敵が近づくのを待ち構えているのだ。ときが来れば艦隊決戦を挑み、一挙にこの情勢を逆転してくれる。」と本気で信じていたといいます。

【私は、このように過去の栄光にすがって現実を見誤る、または直視しようとしない現象を『連合艦隊幻想』と呼んでいます。最近では、“バブル経済”がその良い例です。実態のないインフレ好景気が長続きする筈はないのに、日本民族の勤勉性と優秀さを唱えて「日本だけは別だ」と馬鹿げた夢に酔いしれました。日本人は特別勤勉でもなければ、優秀なわけでもありません。それは、近年頻発するコンクリート剥落事故や、大学生の学力低下の現実を見れば明らかでしょう。】
聯合艦隊の『聯合』(以下『連合』)とはなんでしょう? 多国籍艦隊ならば話は判りやすいのですが、連合艦隊は「帝国海軍」の代名詞。日本だけの物でした。『連合艦隊』とは、複数の『艦隊』が統一運用された軍事機構のことなのです。話は日露戦争まで遡ります。
当時日本は「常備艦隊」〔外国と戦闘できる能力を持った主力艦および補助艦艇で構成〕と「予備艦隊」(この他に、沿岸警備専門の舟艇部隊があります)を保有していました。常備艦隊は第一艦隊と第二艦隊に分かれ、それぞれに司令官がいました。このままで戦争に突入すると、戦闘指揮上不便ですから、ふたつの艦隊をあわせて「連合艦隊」を編成したのです〔1903年12月28日〕。第一艦隊と第二艦隊を解消したわけではなく、ふたつの艦隊名はそのまま存続します。言い換えれば、第一艦隊と第二艦隊の上部機構として、連合艦隊司令部が創設されたのです。司令長官は、後に世界中に名が知れわたることになる東郷平八郎*でした。1904年3月4日には、戦闘能力が格下の第三艦隊(予備艦隊から昇格)も連合艦隊に編入されています。世界中を驚嘆させた対馬沖海戦〔主戦場が対馬東水道であったためこう呼ばれます。日本では日本海海戦といいますが、国際的には通用しません〕の一方的な勝利**によって日露戦争が終結しました。1905年10月20日、連合艦隊は解散***し、常備艦隊に戻ります。本来、連合艦隊は戦時の臨時編成だったわけです。
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* 中将。3代目の司令長官。初めて連合艦隊が創設されたのは日清戦争のときで、1894.07.19、常備艦隊と西海艦隊を統括。初代司令長官は伊東祐亨中将でした。 連合艦隊司令長官は原則として中将(または大将)。海軍大臣(大将)よりは下位で、各艦隊司令長官(少将または中将)よりは上位ですから、必然的に中将が適任となるわけです。
** 38隻の太平洋艦隊中、故国に帰り着いたのはわずか7隻。対して、49隻(+ 水雷艇39隻) の聯合艦隊は、水雷艇3隻喪失のみという信じられない結果でした。 *** 10月21日、旗艦「朝日」(旗艦であった「三笠」は 1905.09.11 未明、火薬庫失火により佐世保港内で爆沈)艦上で行われた解散の式典では、世界一の有名人となった東郷平八郎が「連合艦隊解散の辞」(秋山真之執筆。正確には「東郷大将連合艦隊解散の訓示」)を読み上げている。〔平時における軍人の心得を説き、「 . . . . 古人日く、勝って兜の緒を締めよ、と。」で終わるこの訓示は、アメリカ大統領ルーズベルトを感激させ、(それほどの長文ではないこともあり)翻訳全文を米国陸海軍に配布するほどであった。〕 |
海軍が大きくなり、世界情勢も緊迫の度を高めてくると、戦時編制であった連合艦隊は常設の機構【基地航空隊のように、フネを持たない「艦隊」も出現する】となり、作戦・下令を行う軍令部の下部組織でありながら、(戦術レベルにとどまらず)戦略に属する作戦の立案まで行い、実際に戦争に突入すると、軍令部が連合艦隊を必死に説得するという場面が起きたりしました。
【たとえば、パール・ハーバー攻撃は連合艦隊の発案で、はじめのうち、軍令部は賛成しませんでした。ミッドウェー作戦でも同じことが繰り返され、今度は立ち直れないほどの大敗北を喫しました。捷一号作戦のレイテ決戦に際しては、軍令部および連合艦隊司令部と第二艦隊司令部との間に意思疎通を欠いて(あるいは、敵前逃亡の口実を与えて)、栗田艦隊「謎の反転」を引き起こしています。すなわち、海軍省 - 軍令部 - 連合艦隊 - 麾下部隊 という上意下達の序列に乱れが生じ、国の存亡が懸かる時点で大きな失態を招いています。
逆に、現場の実情や戦争の大勢を上層部が理解できなかった例としては、沖縄戦の菊水一号作戦で、予定になかった第二艦隊の投入が急遽起案され(天一号作戦に追加)、「犬死」を拒否する連合艦隊と第二艦隊に対し、軍令部から何度も説得が行われた結果、艦隊側が戦艦大和以下9隻の水上特攻作戦を受け入れています。】
よくも悪くも連合艦隊は、近代日本の命運を左右する存在だったのです。