
| 一万メートルの高空を飛ぶ P38 は、花嫁の裳裾と呼ばれる長い飛行機雲を曳き . . . . |
「星の王子さま」の愛読者にはロマンチストが多いのです。上記の言葉を頻見するのは『花嫁の裳裾』という言葉のせいでしょう。これを書く殆どのブロガーは、「飛行機雲」については無知なまま、他人の文章を剽窃したと考えられます。
たしかに、地上から仰ぎ見る高空の飛行機雲は美しいものですが、しかし、その雲を曳いている軍用機にとっては、生死に関わる大問題でした。派手な飛行機雲を曳いていたのでは、隠密行動は叶いません。爆撃隊であれ偵察機であれ、進路上空に邀撃機を配置されたのでは、大被害を免れないのです。当然、多大の軍事研究費を投じて、その生因や対策が練られ、軍事機密のヴェールの奥で、知識の蓄積は急速に進みました。
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冒頭の画像は、機体が白く明瞭ですが、これは機体が太陽光を反射して光っているからです。このときばかりは飛行機雲がなくとも非常に目立ち、いやでも発見されてしまいますが、短い時間だけの現象で、この前後では機体を肉眼で確認するのは困難(ただし双眼鏡や望遠レンズを通しての撮影では判別可能)です。 それに対して下の画像では、太陽を背にしているため機体が青空に溶け込んで、双眼鏡を使っても確認困難でした。機体は見えなくとも、飛行機雲によってその存在はきわめて明瞭です。
![]() 太陽を背にした機体 |
船舶が水上を進むと、水面を泡立てて白い「航跡」wake を作ります。上空の偵察機から、そのウェーキが船体の何倍の長さであるかを観察して、船のスピードを推測しました。エネルギーロスの源としてだけでなく、軍事的な要請からもウェーキは厄介ものだったのです。
当然のことながら、航空機も(蛇足ながら、水中を進む潜水艦も)「航跡」を残します。厄介ものであることは、全く同列でした。冒頭の「飛行機雲」はその一つです。でもそれは、ある条件が整った場合の特殊例に過ぎません。
航空機の場合、wake turbulence 航跡乱気流/後方乱気流と呼ばれる「航跡」を作り出します。大きく分けて二つの生因があります。エンジンが吐き出す熱的・化学的痕跡と、空気中を物体が高速で移動するために起きる物質存在様式の乱れ(二次的に、エンジン音以外の音や超音波を発生します)とです。特殊な条件が整うと、この「航跡」が水滴や氷晶を作り、飛行機雲を生むのです。
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「飛行機雲」が観察されるのは、「飛行機」が発明されてからのことになるのは当然ですが、エンジン出力がひ弱で、スピードが遅く、高空を飛ぶこともできない時代には、出現しないものでした。日本本土の一般人がそれを観ることになったのは、太平洋戦争末期のアメリカ軍機に依るものだったのです。B29 のガソリン消費量はすさまじいもので、当時は「ジョウロで撒きながら飛ぶ」と形容されたものです(その後に登場したジェット機は更にエネルギー消費量が上がり、「ケロシン(灯油)をバケツで撒きながら」と称されるほどの消費量になりました)。亜成層圏を飛ぶ B29 の編隊や、写真偵察機型の F13 は、鮮やかな飛行機雲を従えていました。多くの日本人にはその光景が目に焼き付き、飛行機雲は高々度の飛行が引き起こすものという強い印象を受けたのです。
![]() 双発ジェット機が作り出すコントレール。機体と飛行機雲の間の透明部分(まだ充分冷えていない)が明瞭。
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![]() 高度が同じでも、コントレールを曳くとは限らない。
![]() 十数秒前まで上画像の機体が曳いていたコントレールの名残(画面後半の細い飛行機雲)
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亜成層圏でなくとも飛行機雲はできます。南方に進出した零戦制空隊は、敵基地への進撃中、予期せぬ時に出現して自らの存在を暴露してしまう飛行機雲に悩まされました。いろいろ実験した結果、ある高度以下なら飛行機雲はできないとの結論に達し、隠密裏の襲撃行に際しては低空進路を選んだと言います。【低高度では肉眼で敵味方識別されてしまうし、爆音察知もされるが、被発見域は狭い。高空で飛行機雲を曳くと被発見域が非常に広くなって、敵性住民や監視員に発見・通報されてしまう。】
![]() 内南洋の海と空、そして、雲・雲・雲(トラック諸島―ポナペ島間。 1974.08.21) 水蒸気(H2O ; 分子量18)は空気(近似的に N2 と O2 4 : 1 の混合気;仮想分子量 32.8)より軽いから、上昇気流を作って上空に水分を供給します【更に上昇すれば、断熱膨張による冷却の結果、ついには水滴を作ります。南洋に特徴的な積乱雲の点在光景と、それによるスコールの生成です】。高温になった海面や地表から盛んに水蒸気を生産する南洋では、低空でも湿度過飽和になりやすいのです。そうした空域では、肉眼的には晴天でも水蒸気過飽和状態にあり、飛行機の通過に伴って飛行機雲が発生します。 |
サンテックスが乗った F4 や F5 も、目標への行き帰りには高度一万メートルを飛んだと伝えられますから、地中海やヨーロッパの上空では『花嫁の裳裾』を曳いていたことでしょう。でも、非気密系のコックピットに長時間閉じ込められて、ヒーター線入りの飛行服と酸素マスクを頼りに高々度を飛ぶのは、操縦士にとっては地獄だったろうと思われます。若くなくては務まりません。いろいろな意味で、サンテックスには無理でした。【サンテックスは軍律違反の常習者、身勝手な行動は枚挙にいとまがありません。事故の後遺症のため、高々度の低圧環境で耐え難い苦痛に苛まれたというサンテックスが、規定通りの高々度を飛び続けたとは考えにくいのです。(たとえば、飛行機雲を理由に)指示を無視して低い高度を飛ぶこともあったのではないかと、想像しています。】