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サン・モーリス館の所属に関する裁判所裁定が2007年夏に下り、控訴の結果(裁定か棄却かは判りませんが)2008年5月に確定しました。Alfa3A への売却は取り消され、所有権はリヨン市に戻されたのです【当初の購入代金2百50万フラン(ユーロに換算して € 426,857.-) および この間の維持管理費として € 110,390.- が、Alfa3A に支払われます】。 もちろん、リヨン市はこの館を所持し続ける意志はありませんから、再度売却することになります。結果がどうなるかは、村と Alfa3A の態度如何にかかっているわけですが、2008.05.18 の未決着の新聞報道以後、新しい情報が入りません。リヨン・サンテグジュペリ・センターとも、連絡が取れなくなったままなのです。 もう一度 Alfa3A が買い取る可能性がないわけではありませんから、結果がどうなったか知りたいところですが、多分、まだ最終決着が着いていないのでしょう。結論が出たら、この欄でお知らせしたいと思います。
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競売は中止され(もしくは成立せず)、指名交渉になったようです。不動産専門家の鑑定で、サン・モーリス館と敷地(5.5 ha)は 110 万ユーロの価値があるとされていました。オークションに掛ければ、当然それ以上の落札価格が期待されていたのです(上記ラヴェンダー色欄)。しかし最終的な結果は、リヨン市からサン・モーリス・ド・レマンス村/町(ville)に売り渡され、2009年7月7日に売り渡し確約書の調印式が行われました。売却価格は 95 万ユーロでした。評価額より 15 万ユーロ低い額になります。 前述のように、Alfa3A に 53 万 7 千ユーロが返却されていますから、差し引き 41 万 3 千ユーロがリヨン市の収入になりました。 村はサンテックスミュージアムを建設する予定/約束です。建物は多額の修理・改築費を注ぎ込まなければ、役に立ちません。エン県は補助/援助元を探していますが、その見通しには非常な困難が予測されます。サンテグジュペリ遺産相続会の協力は約束済みなのでしょうが、十分な額の支出は期待できないでしょう。世界的な経済不況の最中にありますから、予断を許しません。 村やサンテグジュペリ遺産相続会は、サンテックスの「聖地」【生誕地と言っていますが、もちろん間違い。彼はリヨン市の生まれです】として大々的に宣伝を行い、世界中から訪問者を集めたいとしています。そのモデルとしているのが箱根にある「ミュージアム」(設立発表:1998年9月。発表された開園予定:1999年4月28日。実際の開園は1999年6月29日)であることは明らかで、遺産相続会はそれを見越して、箱根ミュージアムに過大な肩入れをしてきました。経営のノウハウ獲得と、収支が成り立つかどうかの見極めを行っていたのだと思われます。【箱根ミュージアムへの貸し出し品中「本物」(軍服等)はフランスへ引きあげられるでしょう。「ミュージアム」ならば目玉商品の消失となりますが、箱根の「テーマパーク」にとっては、痛手にならないだろうと思われます。】 この売却に好意的な人々は、ミュージアムが稼働すれば多くの収入が期待されると主張していますが、果たしてその通りになるかどうか(少なくとも、「ミュージアム」ではなく「テーマパーク」でなくては経営は立ちゆかない、という教訓は得ているはずです)。不便な立地ですし、ディズニーランドのように世界中から遊園者を集めることは期待薄で、改修費・購入費の回収だけでもかなりの負担になると覚悟しなければなりません。それを承知の上で投資に応ずる企業や自治体が現れるかどうか、見守るしかない現状と言って良いでしょう。
ミュージアム構想が持ち上がって以来15年ぶりの決着だそうですが、いつ開園できるかについてはまったく明言されておりません。(確約書に開設までの年限は明記されている筈です。改修だけでも一年以上必要だろうと私は思います。)
【1990年 Frédéric d'Agay 氏が "Espace Saint-Exupéry" 構想を公表し、1995年になって、サン・モーリス・ド・レマンス村の議会でも議題として取り上げられ検討されるようになりました。2000年、フランス全土を挙げてのサンテックス生誕100年祭に際しては、サン・モーリス村も乗用車10台分程度の駐車場と公衆便所を整備し、予想を上回る観光客を受け入れたのです(この経験が、2匹目のドジョウを狙う落とし穴になったのだろうと私は思います。「捕らぬ狸」ではなく「捕れぬ狸」の皮算用に過ぎないと思うのです)。さすがに Ain 県は「星の王子さまで人は呼べない」ことを理解できているようで、観光スポットである Pérouges や Ambronay と組み合わせ、連携観光地域として資金の工面をしたいようです。】 (2009.08.13) |
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サンテックスが少年時代の夏を過ごしたサンモーリス城(とその周辺の農地)は、母の親戚であるトリコー伯爵夫人の持ち物でした。トリコー夫人が亡くなると、遺言によって母マリーの財産となりました。(1920年4月)
うまく経営すれば親子が生活するのに困らない財産でしたが、ついに維持できなくなります。館と家具は売りに出され、田畑はそれぞれの小作人に安く払い下げられました(1932年7月)。破産の最大の原因は、サンテックスであったと思われます。経済観念が破滅的に欠如しており、母親に常識はずれの無心をするばかり。ブエノスアイレスに支配人として赴任し、使い切れないくらいの収入を得たときにも、くだらない散財を繰り返して、母親への仕送りをした形跡はないのです。
館を買い取ったのはリヨン市でした。リヨン市は林間学校として活用し、それを担当したのが Croix des écoles de la ville de Lyon でした。時代が移り、林間学校の内容・必要性も変わりました。財政上の理由もあって、リヨン市はサンモーリス城を手放すことにしました。1997年、青少年育成事業に実績がある団体 ALFA 3A(アルファ・トロワザー,Association pour le Logement, la Formation, l'Animation - Accueilier, Associer, Accompagner)に払い下げられたのです。
ALFA 3A 以外にも、払い下げを希望した団体がありました。サン・モーリス・ド・レマンス村とダゲー家です。サンモーリス村には、館や敷地を買い取る財源はありません。村が所属するエン県が財政支出をしてくれることを期待しましたが、無理でした。ダゲー家はサンテックスの遺産相続者(の片方)であることをたてに、ただ同然の価格で譲り受けることを期待しました。リヨン市には、それに応えるべき理由も経済的余地もありません。ALFA 3A は、青少年育成用の季節学校として使用を開始しました。
ダゲー家は諦めませんでした。村人に働きかけて、譲渡無効の訴えを起こしました。実は、リヨン市に手続き上のミスがあったのです。リヨン市の所有物でしたから、これを民間に払い下げるためには、「公共施設登記抹消」の事務手続きが必要でした。それをしないまま売却してしまったのです。エン県が仲介役となり、話し合いが行われました。2002年になって和解が成立し、サンモーリス城は ALFA 3A が所有し続けることで正式に決着しました。ところが最近になって、和解に加わった村長が村長選挙で落選し、新しく女性村長が選出されました。新村長はエン県が財政支援して、サンモーリス城を村の施設として活用するよう希望し、和解破棄を宣言しました。前村長が正式に承認・決定したことを、後任村長が破棄できるものかどうか問題がありますが、とにかく話がこじれてしまいました。
現在の所有者はもちろん ALFA 3A です。ダゲー家は村を抱き込む形で、お得意の訴訟に踏み切る模様です。「公共施設登記抹消」が出来ていなければ払い下げを受けられないのはダゲー家も同じですから、「訴えの利益」が無く、単独では門前払いを喰わされてしまいます。村長選も含め、村人への働きかけは欠かせません。一方エン県は裕福な経済的基盤を待っているわけではありません。サン・モーリス村支援の予算案を計上しましたが、そのため大幅な赤字予算になったと地方紙に報道される始末。展示内容等、独力でミュージアムを構築する力量は、元々ありはしないのです。ふたつは、互いにタグマッチを組む必要に迫られています。ALFA 3A にも経済的な困難があります。加えて、ダゲー家が著作権や商標権を楯に図版の展示を拒んだり、現在サン・モーリスやリヨンに置いてある模型その他を撤収したりすれば、ミュージアム構想は頓挫しかねません。今後どうなるのか、裁判所の判断次第の状態です。

ALFA 3A は、ボランティア活動をするメンバーで成り立っていますから、集められる会費や寄付は限られています。活動の経済基盤は、各県からの教育援助資金が最大のものですが、ミュージアム設立や、そのための建物改修費に流用することは許されません。城を、観光遊園地ではなく、作家・開拓者としてのサンテックスの偉業を理解させ、教育に役立つようなミュージアムにしたいというのがリヨン・サンテグジュペリセンターの希望です。しかし、おそらく日本円にして億を超すであろうサンテックス城の改修費をどのように工面するか、目途が立たないのです。もし、サンテックス城を失うようなことになれば、ALFA 3A は中心的な活動拠点を失うこととなり、とりわけローヌ・アルプス地方の活動に支障を来します。
日本には、ダゲー家の代弁、もしくは、ダゲー家側から提供された情報を鵜呑みにしていろいろなことを書き散らす人々がいますが、もう一人の遺産相続者であるマルチネス・フルクトオーソ氏やサンモーリス城の所有者であるリヨン・サンテグジュペリセンターの意見や状況を伝える人は皆無です。
私は、昨年リヨン・サンテグジュペリセンターを訪れた際にミュージアム構想を聞き、ミュージアムが出来るのならば、レイナルヒチコック社の限定署名英・仏初版やガリマール社の1945年初版等を寄付することを申し出て大いに感謝されました。その後の進展を知るためと、「10年来裁判をしている」という情報の真偽を確かめるために、今回のグラース市訪問の途中、リヨンサンテグジュペリセンターを再訪しました。その結果、昨年とは状況が一変したことを知った次第です。
私自身は、ALFA 3A の所有権が確定し、多くのスポンサーを得て健全なミュージアムが建設されることを望んでいます。落ち着いた佇まいのこの静かな村に、利潤追求型のテーマパークを作って欲しくはありません。
(2005.11.05)