互いに見つめ合うことではなく

ふたりで同じ方向を

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 Le Petit Prince/「星の王子さま」とは関係がないのですが、サンテックスの作品中に現れる言葉で、随分多くの人が興味を持っているようですので、上の言葉の出典とその意味を説明しておきます。

日本語訳
 ぼくら以外のところにあって、しかもぼくらのあいだに共通のある目的によって、兄弟たちと結ばれるとき、ぼくらははじめて楽に息がつける。また経験はぼくらに教えてくれる、愛するということは、お互いに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだと。ひと束の薪束の中に、いっしょに結ばれないかぎり、僚友はなく、同じ峰を目ざして至り着かないかぎり、僚友はないわけだ。.....
堀口 大學 訳:人間の土地 8章 人間,3

フランス語原文
Liés à nos frè res par un but commun et qui se situe en dehors de nous, alors seulment nous respirons et l'expérience nous montre qu'aimer ce n'est point nous regarder l'un l'autre mais regarder ensemble dans la même direction.
Terre des Hommes : VIII Les hommes, 3

英語版原文
No man can draw a free breath who does not share with other men a common and disinterested ideal. Life has tought us that love does not consist in gazing at each other but in looking outward together in the same direction.
Wind, Sand and Stars : IX Barcelona and Madrid (1936), VI

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Wind, Sand and Stars
英語版(初版本)の扉。

 日本語訳は Gallimard 社のフランス語版からの翻訳です。日本語としてはたどたどしいので私が訳し直してもよかったのですが、初訳者に敬意を表して、堀口大学さんの訳文を掲げておきます。(「愛」の解釈に誤解を招かないため、「ひと束の...」の文章を続けてありますが、フランス語と英語は省きました)。英語版には、フランス語版にはない章があります。また、内容も少し違っています。

 問題の文は、フランス語版では第8章“Les hommes”(全部で4項)第3項の出だしの部分です。
 英語版ではこの章は第9章にあたり、フランス語版よりも長くて全部で6項からなります。しかも、フランス語版の最後の項(第4項)は独立して第10章 Conclusion にまわされています。問題の文は第9章最後の項の出だしです。
 一般にこのふたつは、英語訳の方が格段に優れていると評価されており、私もそう思います。サンテックス特有の情緒的な表現が抑えられ、説教臭さが削ぎ落とされているからです。全体がはっきりとした指向性をもって構成されています。その英語版の章名“Barcelona and Madrid (1936)”をご覧になれば、この章がどのような内容を持っているかはお判りでしょう。
 日本語訳はこの章の名前を「人間」と訳していますが、それは最後の項に赤ん坊の話がでてくるために、そうせざるを得ないのです。もしこの項が(英語版のように)別の章に移ったならば、その内容は極めて引き締まったものになり、章名“Les hommes”は「男達」と訳すのがぴったりです。スペインの戦場やアンデスの上空で敢然と困難に立ち向かい、従容として死地に赴いた男達の回想録だからです。もちろんこの場合の「愛」( Amour )とは、男同士・戦友同士の友情・連帯感のことです。(初期の作品を除いて、サンテックスは男女間の恋愛を扱いません。)

 「あの日本語、何を言っているのかよく判らない」という声が届きました。無理もないと思いますので、別の日本語訳を追加します。

 われわれの外部に存在する共通の目的によって同胞(きょうだい)に繋がるときにのみ我々は息がつける。経験に照らしてみても、愛するとは互(かたみ)に見交すことではなく、諸共に同一方向を見ることである。一本のザイルに身を結び合ってともに踏みしめるべき同じ頂を目指すときにしか仲間はない。でなければ、かくも恵まれた現代にあって、われわれが砂漠の中で最後の食糧を分かち合うことにあれほど大きな喜びを味わう理由がないではないか。.....
前田総助 訳:人間の地,青山社

 他にも和訳はありますが、これで充分でしょう。同じ原文から、(誤訳も含めて)随分異なった訳文が紡ぎ出されることにお気付きでしょうか。
 「星の王子さま」も同じ問題を抱えています。遠くない将来、皆さんが「Le Petit Prince ってこんな物語だったんだ!」と、あらためてあの挿絵を眺める日が、必ずやって来ます。

 このページは「星の王子さま」と関係がありません。私にとって、このようなページに残り少ない割り当て容量を割くのは、不本意なことです。しかし、最近インターネット上を飛び交っているお喋りを眺めていると、このまま放って置いたのでは、“愛し合うふたりにとって本当に大事なことは、互いに見つめあうことではなく........”などと、とんでもない「サンテックスの言葉」が作り出され兼ねません。(実際にそう書いている書物を見つけてしまいました。)
 私は「星の王子さま」愛読者の大部分を“文脈上の意味を確かめもせず、片言隻句を弄ぶ性癖が強い”と酷評しています(論考/考究;
読者層のレベル)。もちろん、そうあって欲しくはありません。歯止めが掛けられるものはその努力をしないと、この傾向がますますひどくなってしまいます。余計な老婆心とは思うのですが、せめて私のホームページを訪れてくださる方々には、この程度のことは知っておいていただきたいと願ってこのページを開きました。

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蛇足


 英語やフランス語では、「愛」と「恋」とを区別して表す単語はありません(すくなくとも、一般的に使用されてはいません)。日本語では、「愛」と「恋」というふたつの単語が、ごく当たり前に使われます。ふたつの単語が表す意味は同じではありませんから、使い方を間違えるとおかしなことになってしまいます。「愛」といえば、即「恋愛」を思い浮かべる人が多いようです。「恋」は「愛」の一部ですが、「愛=恋」ではありません。
 些か乱暴な言い方になりますが、ふたつの違いを際だたせるために思い切って表現すれば、「恋」というのは男女(場合によっては同性同士)が、性的・肉体的な交わりを望み、またはそれを指向して、特定の対象を想うことです。発情期の猫の様子を表す「猫の恋」といった言葉は、それを明確に表しています。(『Platonic love というものもあるではないか。「恋」が肉体的であるとは限らない』と主張する人がいるかも知れませんが、普通には無い、はみ出しものの「恋」のタイプだからこそ、わざわざ「Platonic」とことわりが入るのです。本来の「恋」が肉体的であることの何よりの証拠です。)
 「愛」には「恋」も含まれます。「ベッドの上で愛し合う」のはまさにそれです。しかしこれは、「愛」の原義ではありません。「愛しい」「可愛い」「愛でる」と並べてみればはっきりするでしょう。自分よりも小さく弱い存在に対して、それを慈しむ感情が「愛」なのです。「母の愛」「神の愛」がそれです。これには、肉体的・性的な欲望は含まれません。(性的な「愛」を区別するために特に「性愛」と言うことがあります。混同を許されない特殊な「愛」だからです。)
 仏教では、仏が人間や畜生に対して示すいつくしみを「慈悲」と言います。キリスト教が日本に入ってきたとき、神が人間に対して示す愛情(Love)を「慈悲」と訳していてくれたら、面倒な混乱は起きなかったことでしょう。対立する宗教の用語を採用するのをよしとしなっかったとみえて、無理して「愛」という言葉を探し出しました。これによって、西洋思想が包含する「愛」、たとえば、「兄弟愛」「友愛」といったものまでが、日本語の「愛」に組み込まれることになったのです。その結果、上記のサンテックスの言葉を、愛し合う男女の間柄に当てはめてしまう誤解が生じることになります。

蛇足の蛇足
 フランスの三色旗は、Liberté, Egalité, Fraternité(「自由」「平等」「博愛」)を象徴するものとされます。この「博愛」が誤訳なのです。Fraternité は通常「友愛」と訳しますが、「兄弟愛」「同士愛」のことで、強烈な排他性を内に秘めています。サンテックスをはじめ多くのフランス人が示す、偏狭と言ってよいナショナリズムは、この Fraternité の発露なのです。三色旗が象徴するものは「自由」「平等」「愛国心」というべきでしょう。

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