挿 絵 原 画

原画の行方

hair line

4. 原画の行方
  A. 初版本の印刷
 
  a. 編 集    
 挿絵原画は、当然のことながら、まずは編集者の手に渡ります。上に述べたように編集者は、どの絵を彩色画にし、どの絵を単色画にするかを考慮しながら、挿絵案の採否と本文中への配置を決めてゆきます。各原画には、挿絵として版下に組み込むべき範囲や縮小率と、配置するページ番号・おおよその位置(上・中・下・左・右)等を鉛筆で指示書きします。必要ならば「左右反転」等の指示もします。

反 転 印 刷
 原画が公表された結果、挿絵の中には、意図的に左右反転されたものがあることが判明しました。確定している原画5つのうち、「狩人」がそれに当たります。下に、初版本第68ページを示します。「狩人」は右を向いていますね。


68ページ 狩人の挿絵 と 69ページ キツネとほらあな挿絵

 原画は左向きに描かれているのです(後ほどお目にかけます)。彩色画は好きなページに配置するというわけには行かないことを思い出して下さい。この「狩人」はこのページに配置せざるを得ませんでした。偶数ページですから、本を開いた左側。ページの左端で左を向いていたのでは、視線がページの外へ行ってしまいます。ページの右端に配置すればそれは避けられますが、右側ページにはキツネがいるのですから、そっぽを向かせたのでは具合が悪いでしょう。両者の視線を交わらせ、対峙させる方が優れていることは言うまでもありません。【私が以前から主張していた「登場人物の向きには意味がある」という指摘は、原画が公表されたことによって、はっきりと証明されることになりました。言うまでもないことですが、ストーリーが右から左へと進行する右開きの製本は論外です。】
 編集者は挿絵原画上隅に「色刷り」「左右逆転」「p.68」と指示を書き込んだのです。【Anotoine de Saint-Exupery: DESSINS, Edditions Gallimard, 2006. 邦訳;サン=テグジュペリ デッサン集成, みすず書房, 2007, p.317】

  b. 版下作成    
 英語版の奥付に依れば、ジャージー市の Jersey City Printing Company で印刷されました。現在では、オフセット用の原版は印刷所が作製することが多いのですが、その当時のレイナル・ヒチコック社がどうしていたかは判りません。そして、重要なのは(既に指摘したように)サンテックスの「原画」がそのまま版下用に使用されたわけではないことです。
 サンテックスが描いた「原画」を基に、模写職人版下用原画を作製しました。印刷所が模写職人を常雇いしていたか、必要に応じて外注していたのか、資料がありませんから、それがどこで行われたかは不明です。いずれにせよ通常ならば、版下用原画を作製し終わった段階でサンテックスの「原画」は不要になりますから、レイナル・ヒチコック社の編集部に返されたはずです。何かの手違いで、模写職人の手許に暫く留めおかれた可能性もあります。
  c. 版下原画はどこに?    
 サンテックスの「原画」とは別に、模写職人の手になる「版下原画」が存在したことになります。写真製版用にフルカラー(フィルターを用いて3色に分解。輪郭は墨刷り)の一枚だけなのか、4色用に4枚ずつあるのか、判然としません。保存されたとしたら、製版所または印刷所(どちらもハーコート・ブレイス社の傘下に入り、ハーコート・ブレイス版の版下作成に使われたと思われる)の筈です。同社版は途中からガリマール版と同じ「粗雑な挿絵」に切り替えられました。版下専用の原画は消耗品扱いなので、大切に保存された可能性は大きくはありません。
  B. イギリスとフランスでの出版
 英国版初版は、1944年 William Heinemann Ltd.(London)が The Little Prince を、フランスでは Gallimard 社(Paris)が1945年11月30日付で Le Petit Prince を、それぞれ出版しました。両者共に「原画」や「版下原画」を手に入れることなく(レイナル・ヒチコック社版を基にして)新たに挿絵原版を起こしたものと推察されます。両方ともレイナル・ヒチコック版の挿絵とは異なった点が現れました。とりわけ、レイナル・ヒチコック社に無断で出版を強行したガリマール社の挿絵は酷いものでした。なぜこんなにお粗末な挿絵になってしまったのか、現在でも謎のままです。

米・英・仏 3国初版の比較
レイナル・ヒチコック社版
1943年

ウイリアム・ハイネマン*社版
1944年

ガリマール社版
1945年

  有名なガウンの色の違い。判りにくいと思いますが、英国版の首が裸になっていること、ガリマール版の顔が少し細面に変わり、 胸飾りの襞が殆どなくなっていること、等にも注意して下さい。(いずれも、版下原画を手に入れていれば起こりえない現象です。)
 (上の画像はそれぞれの初版です。レイナル・ヒチコック社を吸収したハーコート・ブレイス社版やガリマール社版のその後の変遷は、煩雑になるのでこの欄では省略。)
【お使いのモニタ・ブラウザ・OS によって色調は異なったものになります。相互の色の違いを確認するためのサンプル画像とご了解下さい。】

 【* Heinemann はドイツ系の名前なのでドイツ語読みにしましたが、英国での呼び方がどのようなものか不確かです。】

  C. レイナル・ヒチコック社の吸収合併
 アメリカの「星の王子さま」出版史で述べたように、レイナル・ヒチコック社はガリマール社との訴訟に(多分)敗れ、Curtice Hitchcock の死去を機に、ハーコート・ブレイス社に売却されました。
 サンテックスの「原画」はその所在が明らかでない状態になったのです。
  D. コンスエロ「原画」を入手
  サンテックスの「原画」が何時、どのようにしてコンスエロの手に渡ったかは、現在のところ詳らかではありません。

 第一の可能性は、「版下原版」作成後すぐに、サンテックスに返されたというものです。そうであれば、「原画」を納めた紙枠の幾つかに彼のサインがあることの説明がつきます(その代わり、何点かは他人に贈呈されてしまった可能性が出てきます)。そして彼の死後、(いろいろあったようですが、最終的に)すべての所持品はコンスエロの許に送られました。
 しかし、北アフリカで彼が「原画」を持っていたとは考えにくいのです。「原画」を見た人は一人もいません。彼はその時期、何人もの人に The Little Prince(Le Petit Prince?)を見せています。もし「原画」を所持していれば(特に、飛行禁止処分を喰らっていた時期には)それを引っ張り出さなかったとは考えられません。何よりも、もしその時期に彼が原画を所持していたら、贈呈を受けていたであろう女性が原画を所持していないのはほぼ確からしいのです。「原画」はサンテックスの手には渡らなかったのではないかと、私は考えています。
 【返却された原画を、サンテックスはニューヨークに置き放しで、アフリカには持って行かなかった可能性もあります。その場合、コンスエロがフランスに帰国する際に、サンテックスの遺品類すべてを船積みした中に入っていたと考えられます。】

 第二の可能性は、コンスエロがアメリカを発ってフランスに帰国するとき(1946年)、または、レイナル・ヒチコック社が吸収合併される際(1948年)に、ユージンレイナルが原画をコンスエロに返した可能性です。これが一番ありそうなケースなのですが、もしそうだとすると、「原画」は初めから枠に入れて編集部に渡されたと言うことになってしまいます。それでなくては、「原画」の枠にサンテックスのサインがあることの説明がつきません。さもなくば、あのサインは「ニセモノ」だと言うことになります。【しかし、47枚もの「原画」が枠付き(しかも一部の枠にはサイン入り)で著者から編集部に渡されるのは、通常はないことだと思われます。】

 第三の可能性はその他の場合、すなわち、印刷会社やハーコート・ブレイス社の何処かにに紛れ込んでいたものが発見され、コンスエロに返却されたというものです。このような「発見」はかなりのニュース性があり、秘密にする必要もありませんから、当然何らかの形で公になったはずです。(紙枠やそのサインについては、「第二の可能性」の場合と同じです。) 第三の可能性は否定してよいと思います。

 どのような経路を辿ったのか、未だ不明ですが、とにかくコンスエロの手に渡っていたたことは、もはや疑いを容れません。コンスエロは、サンテックスの想い出の品々を、旅行用の大型トランクに封入しました。

 コンスエロは遺産相続者として秘書兼運転手であったホセ・マルチネス・フルクトゥオーソ氏を指名し、彼女の死後、すべての遺産は彼に引き継がれました。フルクトゥオーソ氏は秘密の多い人です。「原画」のことも公表しませんでした。

  E. 原 画 売 却
 パリの古書稀覯本専門店主 Rodolphe Chamonal 氏が、1994年にニューヨークの古書店で「狩人」と「砂漠の花」原画を発見・購入しました。ヨーロッパに持ち帰り、それぞれ2万ユーロと1万5千ユーロで売り渡されたのです(買い手名は未公表)。
 3点目の「積み重なるゾウ」も、またもや Rodolphe Chamonal 氏が手に入れ、2006年に、2万5千ユーロでカタログ(インタネット含む)記載したため、関心を持つ人々の間を噂が駆け抜けました( 当時の拙ページ )。流出元をレクスプレス誌が探り当て、インタビューの結果、上記3点を売り払ったことをフルクトゥオーソ氏が認めたのです(Jérôme Dupuis, L'Express Livres; On a retrouvé les dessins du Petit Prince!)。【ただし、47点すべてが揃っていたのか、それとも、既に何点かが欠けていたのかは、明らかにされていません。】

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