Paris

白鳥達の散歩道

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 「世界の恋人パリ」とふたつ名前で呼ばれる街。行ったことのない人にとってはあこがれの都、一度でも訪れた経験を持ってしまえば、生涯忘れることができない想い出の地になること請け合いです。 観光案内になってしまいますが、サンテックスが歩いたであろう街角を、ほんのちょっぴりだけご紹介しようと思います。
 パリも年々歳々変化しています。ご紹介する写真には、もうすっかり姿を変えてしまった場所も含まれます。

 パリといえばまずセーヌ、でしょう。セーヌ川に浮かぶシテ島とノートルダムドパリ寺院は、行ったことがない人でも写真の情景を思い浮かべることができるくらい有名な場所です。でも、その中心部は後回しにして、パリ市内をセーヌ下流からご案内して行きましょう。なぜならば、パリはセーヌの水運を利用してその地歩を築いた港町でもあるからです。

 大西洋からセーヌ川を延々と遡ってパリに近づくと、川筋は蛇行しながらブーローニュの森に出会います。ブーローニュの森に添って南下し、対馬沖海戦のトーゴーターンもかくやと思うばかりの左大回頭。ブーローニュの森の南端を巻き、その西縁に添って北へ向かうことになるのです。パリ市内に入り、見え隠れしていたエッフェル塔が正面に見えるようになると、両岸の建物もパリの風情を溢れさせるものになってきます。そして、セーヌの流れを左右にまっぷたつに割って、人工の長い中州が現れます。“白鳥の散歩道”です。

白鳥の散歩道−1
 近くにオテル・ド・ニッコー(日本航空ホテル)や放送局がある、中心部からは少し外れた場所ですが、交通は便利です。
 セーヌは国際河川。世界中で船舶は右側通行ですから、船はこの中州を左に見て通ります。写っている橋はグルネル橋。
 中央に立つ自由の女神、見えますか?

白鳥の散歩道−2
 グルネル橋からビル・アケム橋*まで、セーヌの流れを両側に見る1km 程の細長い中州。作られたのは1825年のことでした。中州の中ほどを写真中央に写っている鉄道橋が横切りますが、当然これへの登り下りはできません。
 並木が植えられて夏ともなれば緑も濃く、絶好の散歩コース。ジョギングの若者もよく見掛けます。
 右側の木陰、ベンチで読書をしている人がいるのが判りますか?

* ビル・アケム橋:セーヌに架かる橋で唯一の2階建て。2階部分を地下鉄6号線が走ります。

白鳥の散歩道−3
 木陰にはベンチも置かれ、身を寄せあう恋人たちも.....。
セーヌ川の自由の女神
 その“白鳥の散歩道”(正しくは“白鳥の散歩道”)の下流側突端部、エッフェル塔を背後に従え、白い大理石の台座の上で緑色の“自由の女神”がお出迎えです。
 自由の女神といえば、ニューヨーク・リバティ島のそれが有名です。あの女神像は、アメリカの独立100年を祝って、パリ市民から贈られたものなのです。1886年のことでした。像がフランスで完成したのは1884年のこと。分解して220個もの木箱に詰めてアメリカへ輸送し、改めて組み立てられ、現在の姿になったのです。
 一方、そのお返しにとパリ在住の米国人団体が寄付を募り、フランス革命100周年(=1889年)のお祝いに、サイズは小さいものの、まったく同じ色・形の自由の女神をパリ市に贈りました。それがこの、白鳥の散歩道の自由の女神です。1880年代、大西洋を挟んで自由の女神像のキャッチボールがあったわけです。(と言っても、アメリカで像を作ったのではありませんが)。両者の原型は、後ほどお目にかけます。
 この、パリの自由の女神、1998年4月29日から1999年1月18日まで、「日本におけるフランス年」のために貸し出され、東京の台場海浜公園に据えられていました。テレビドラマのロケーションとして使われたりもしましたから、まだ憶えていらっしゃる方もありましょう。私はこの間にもパリを訪れたのですが、台座だけになった広場は何とも寂しく間の抜けた空間になっていました。

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