| 残酷な子どもグロテスクな大人,
p.201-246,著者;春日 武彦,(株)アスペクト,2006年11月07日,ISBN 4-7572-1317-4,¥1,800.- +税,19.5cm,ハードカバー 282p,
第6章 星の王子さまたち(p.201-246) <未完>
| 文学の子どもたち,
編著:柴田 陽弘,慶應義塾大学出版会,2004年02月20日,21cm、¥2,600.- +税,ペーパーバック 281p,
第5章 仮想化された子どもたち ― 『星の王子さま』と子ども時代(著者;片木 智年 p.143-178)
<未完>
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憂い顔の『星の王子さま』,加藤 晴久 著,書肆心水,A5判 21 cm, p.256, 2007年5月22日,¥2.310- (税込み),ISBN 978-4-902854-30-5
<未完>
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サン=テグジュペリ作『星の王子さま』遺文,横地 淳 著,新風舎,判 18.2 cm, p.116, 2007年4月25日,¥1,000.- (+税),ISBN 978-4-289-01887-1
<未完>
天衣の人, サン=テグジュペリ作『星の王子さま』遺文,横地 淳 著,文芸社,B6 判 18.2 × 12.9 × 0.8 cm, p.116, 2009年11月15日,¥800.- (+税),ISBN 978-4-286-07961-5
上記の本体はまだ見つかっておりません。それなのに、別出版社から発行された基本的に同一物と思われる本が出てしまいました。底本が行方不明なのと「加筆・修正」したとの事なので、先ずは、独立した書籍として紹介・批評をします。
「星の王子さま」は子どものために書かれた童話であると主張する人々は、大きくふたつに分かれます。読解力が全くない人と、子どもに判ろう筈も無い解釈を振り回す自家撞着に無頓着な人とにです。この著者は後者に属します。揚げ足を取るわけではありませんが、ご本人が「私は最初からこの物語の一字一句、一行の文に執着したのです。」(p.79-80)といっておられますので、その矛盾ぶりのほんの一端ですが、指摘してみようかと思います。
先ずは p.30 で「ビドーによれば . . . 」と、レジスタンスが示した「四つの拒否」を挙げ、「この『四つ』という数字がにわかに強烈な輝きをおびてくるように私には思われる」(p.31)と述べます。「子ども」には無理があると思われますが、それ以上に、著者が批判力・判断力に欠けるところがあることを表しています。他所で読んだことがある内容ですから、糊と鋏の借り物なのでしょう。ビドーは(もっと沢山あるうちから、偶然四つを挙げたのであって)「四つ」に限ったわけではありません 【レジスタンスが行った「拒否」はもっと沢山あります】。これでは、「四本のトゲ」がにわかに輝きを帯びることはないでしょう。「四つのトゲ」に関しては、p.57 で「受容体とは、そうした器官の総称です 」と述べ【日本語では、受容器と受容体を区別します。この著者はふたつの区別ができていません】「フランスという体内に受容体を生理化し得なかったと結論したのが、この章の狙いだった . . . — それが「四つのトゲ」の話になると思います」(p.59)と続けますが、意味不明です。
「実業屋」関連の項では様々な事柄をあげつらいます。すなわち、実業屋が扱うのは、増殖のみを命とする貨幣です(p.35),増殖のみを命とする財貨(夜崩にきらめく星々). . . (P.36),増殖は貨幣または資本が持つ身体機能そのものとして、受け留め可能です(p.40),ナチ・ドイツの掌中の中でも(ママ) . . . フランス、. . . アメリカで日々止むことのなかった経済法則でした(p.42),世界恐慌 (p.43),こうなると話は資本制生産の破綻の問題にまでゆきつがざるを得ないところまでゆくのです(p.50)等々。日本人も経験した(敗戦による)資本の瓦解と、世界中の人々が経験した、貨幣それ自身の増大によるインフレーションを思い浮かべれば、成立し得ない論理です。「クライシス(危機)は、実業屋の実在にとっては、予定可能数の数え上げ=増殖の中断として . . . 」に到っては、「子ども」に理解できる内容ではありません。「物語形式を一個の凸レンズとたとえれば . . . スクリーンに像を結ぶのは、すべて倒立です。. . . 非現実の像とするのですが . . . 」(p.43)は、子どもといえども「???」【凸レンズが結ぶ倒立像は「実像」で、実物の正直なコピーです。太陽の像で煙が上がるのは小学生の実験の一つ】。
例によって、誤りも指摘しておきましょう。「飛行士と出遭った所から千マイルも離れた」(p.21):飛行士が墜落したのが、人里から千マイルも離れた場所だったのです。
「二人の出遭いはひたすら偶然の出来事(p.11),限りなく偶然に近い形で」(p.33):通り過ぎればよいものを、わざわざ王子の方から声をかけてきたのですから、偶然では済まされないでしょう。物語を読了すれば尚更です。
「軍人としてリビアの沙漠に不時着」(p.33):このときサンテックスは民間人でした。それに、不時着ではなく墜落です。
「戦死」した(p.34):サンテックスは「自殺」だった可能性があります。まだ決着していません。
「五十四年(これは作者の年齢?)」(p.38-39):勉強不足が過ぎます。
「なん冊も、大きな書物を既に出していた、とはまともに信じられません」(p.54):昔(e.g., ダーウィンの時代)には珍しくありません。
「見るべきもの【ほどのこと】は見つ . . . 」(p.64, p.66)と平家物語・壇ノ浦での平知盛の描写を引いて 「根源的に問題を提起したのだ、と押さえるのが自然です」(p.65):時間経過が逆。よく似た花が五千ほどもある(人間の営為)を知るのは、人間を探す(ヘビと初めて遇った時)よりずっと後です。
「人間とは飛行士を除いて他に誰にもまだ出遭うことはなかったのです」(p.74):この時点では、飛行士ともまだ出遭っていません。はじめて出遭った「人間」は、丸薬売りか転轍夫かの何れかです。
とまあ、こんな調子。これが全部でないことは言うまでもありません。
この著者は、「列車に乗ることが、『大人にとっては手段であり、子どもにとっては目的である』」重要性を指摘する(p.77)慧眼ぶりも垣間見せるのですが、「少年にとって、一つの花と生きることが生きることの目的だった . . . 」(p.76)【ジョウロを取りに行ったり、衝立を立てたりしてのは、バラと生きるために「行為が手段に低められ」ていたのではないのか?】と、ガッカリさせる軽率さも合わせて暴露してしまいます。全般的に晦渋と言って良い文章で、「子ども」には無理です。
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近代的心性における学知と想像力,和泉 雅人・松村 友視 編,慶應義塾大学出版会,判 22.7 cm, p.280, 2007年6月25日,¥4,800.- (+税),ISBN 978-4-7664-1390-8
(サン=テグジュペリと道具・身体・心 ― 『人間の土地』から『星の王子さま』へ, 片木 智年)
<未完>
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