喪服の花嫁
マリアの処女懐妊からしてそうなのだが、キリスト教は女性の処女性を異様に神聖化し、崇拝する。それが実社会の男性支配と結びついて、女性に対する苛烈な純潔強要となっていった。結婚という形で一人の男の支配下に入るまで、女は処女であることが、神が定めた当然の規律であった。ヴァージンヴェールだのヴァージンロードだのと、婚礼儀式にまつわるキリスト教用語は、花嫁の処女性を前提として組み立てられている。離婚は認めず、死別すれば生涯喪に服するものとされたから、処女でない花嫁はあり得ない。式典に用いられる花嫁衣装は、処女性を象徴する白(ヴァージンホワイト)一色である。
現実には、若くしての離婚・死別は珍しくはなく、処女ではあり得ない花嫁が結婚式に臨む事態も起きる。処女でない以上、白い衣装をまとうことは、神を欺こうとする冒涜である。再婚の花嫁は、色物の衣装に身を包むこととなる。前夫の名残りを色濃く残しての再婚では不都合だから、通常はごく淡い色調の、ピンクやブルーが用いられる。真っさらというわけには行かないけれど、この後、新たな夫の色に染め上げられることを象徴する色合いである。
再婚者であるコンスエロが、色物の花嫁衣装をまとうのは当たり前。しかし、黒は極めて珍しい。というよりは、明らかに異様である。「喪服を着て結婚式に臨んだ」というのが、衆目の一致するところ。ある意味では、正鵠を射た見方だろう。
コンスエロはフランスでは歓迎されなかった。とりわけダゲー家の人々は彼女を忌み嫌った。「伯爵家にふさわしい女ではない!」 サンテックスが最も愛した末妹ガブリエルでさえ、兄の妻に迎える女性は処女で清純な深窓育ちの令嬢であることを願ったに違いない。ダゲー一族からの風当たりはことのほか強かった。ただ一人サンテックスの母親マリーが味方してくれた以外には、四面楚歌の状況と言って良い。このような状況下で、サンテックス自身がどれほどダゲー家の人々に立ち向かってくれたかは、はなはだ心許ない。こともあろうに、そのダゲーの館で披露の宴を催すのである。黒い花嫁衣装は、気丈なコンスエロが選んだダゲー一族へのカウンターパンチに違いない。「そうよ、おっしゃるとおり私はこれで3度目の結婚式。でもそれは、トニオが是非にと望んだことなの。私に何の非があるというの?」
式に臨席した人々はさぞ驚いたことだろう。非常識な花嫁衣装は、ダゲー家の面目をまる潰しにした。当惑するサンテックス。ダゲー一族とコンスエロの確執は決定的なものとなった。
2005年10月、グラースで開かれたコンスエロ遺品展で、この花嫁衣装を実見する機会に恵まれた。保存状態はきわめて良好で、70年以上の時を経たとはとても信じられない美しさを保っていた。おそらく、ただ一度だけ袖を通した後は、大切にしまい込んであったのだろう。
撮影は許されなかったので、ここに映像をお見せできないのが残念である。ガラス越しではあったが、衣装の作りの良さは実感できた。色は褪せておらず、深みのある漆黒を保っている。レースも傷みを見せていない。すぐにも着用できそうな、しなやかな質感であった。「喪服」というよりは、あえかな華やぎを内に秘めた婦人用の略礼服である。結婚式に臨席するご婦人が着用していたのならば、何の違和感も感じさせないことだろう。品格を感じさせる黒の衣装に身を包み、木の葉模様の黒いレースを頭から垂らしたコンスエロは、凛とした美しさを漂わせていたに違いない。勝ち気な彼女は必至に考え抜き、最高の演出をひねり出したのだろう。怒り狂うダゲー家の人々に向かって、「3度目の私が着る花嫁衣装はない。だから、礼服を着たまで」としらを切るコンスエロが目に浮かぶ。
|
クサンティペかコンスエロか − 希代の悪妻? −
貴族というものは、
歓喜の告白 − あの「薔薇」は君だよ −
「『星の王子さま』をよく読んだならば、だれもバラの花のモデルといわれて喜びはしないだろう。」とステイシー・シフは言う。女性である彼女にしてこの程度の理解しか示されないのかと、コンスエロへの同情を禁じ得ない。
5千のバラ達とは決別し、王子は身も命も捨ててバラのもとへと帰ってくるのである。サンテックスと彼女との夫婦生活がどのようなものであったかを考えるならば、手紙の中に見つけた「バラは君だ」と言うくだりに、気も遠くなるほどの歓びを覚えたであろうことは想像に難くない。
新婚当初の二人は熱愛と表現して良い間柄であった。絶望的な事実上の破局を経て、ニューヨークでは、また互いに愛し合う日々を取り戻しつつあった。「バラは君なんだ」の一言が、コンスエロにとってどれほど大きな意味を持ったことか。

Oppède
Consuero de Saint-Exupéry 著
初版第1刷(Brentano's Inc., 1945)の表紙。
|


|
見返しの裏に透けてしまった裏絵にペン書きで線を書き加えてもう1枚の別の絵にしてしまった。コンスエロの茶目っ気が伝わる。
|



いまは亡き夫、サンテックスへの献辞
|
わが夫
アントワーヌ・ド・サン・テグジュペリ
1944年7月31日
フランス上空で航空任務遂行中
行方不明
|

|
19枚の彼女自筆の絵が随所に配されている。これは第10章。
|



Kinfdom of the rocks
Memories of Oppède
Consuero de Saint-Exupéy 著
英語訳初版第1刷(Random House, 1946)。
|
トップページに戻る
総目次に戻る