Le Petit Prince もそうなのですが、サンテックスの作品のほとんどは、ガリマール社の「nrf」シリーズとして出版されています。(他のシリーズとしても、並行して発行されているものがほとんどです。たとえば、Le Petit Prince は Gallimard Jeunesse グループから Folio Junior シリーズとしても出版されています。)
この「nrf」の位置づけが、よく理解し難いのです。そもそも「ガリマール書店 Libraire Gallimard」と「ガリマール出版 Éditeurs Gallimard」がどのような関係にあるのかさえ、はっきりしません。(常識的には、前者が印刷・販売、後者が編集、ということになるのでしょうが . . . 。)
現在ガリマールグループは、8つの「Éditeurs」と6つの「Libraire」を国内に有しています。この役割分担は理解できます。しかし、サンテックスが作品を発表していた時代に、このようなコングロマリットとしての陣容を呈していたわけではありません。とりわけ「nrf」が問題です。
La Nouvelle Revue Française は、文学評論を掲載する月刊誌でした。発行元はガリマール社で、経済上も同社に丸抱えの状態ですから、ガリマール社の文芸誌と呼んで良かろうと思われます。その名前を冠した「nrf シリーズ」は、ガリマール社が発行する文学単行本の主力商品でした。サモンピンクのペーパーバックが本来の姿ですが、ハードカバー版を併刊することもしばしばでした。なぜ「nrf シリーズ」と呼ぶのか、もしくは、なぜ「nrf」の名が使われるのかが判りません。
サンテックスが文壇にデビューした頃、フランスの文学界は新しい波に洗われていました。その担い手達こそ、レトランジュサロンやサンジェルマン・デ・プレ界隈でサンテックスが知己を得た、アンドレ・ジッド,ジャン・プレヴォー,ガストン・ガリマール 等の面々でした。
サンテックスの作風が、新しい波に乗るものであったことと相俟って、フランス文学界を先導した nrf メンバーと個人的に知りあえたことは、彼にとって望外の幸運であったというべきでしょう。
習作「飛行士」が雑誌「銀の船」に掲載されたのはプレヴォーの力によるものでしたし、ブエノス・アイレスからコンスエロ共々連れ帰った「夜間飛行」の原稿を査読し、そのすばらしさを認めて前文まで書いてくれたのはアンドレ・ジッドでした(彼のコンスエロに対する評点は、辛いものだったようです)。ガリマール社を経営するガストン・ガリマールには、生前は随分迷惑をかけ、死後も尚さまざまな恩義を被ることになります。【サンテックスが、ガストンからいくら借金をしたのか、正確な額はガストン自身にも判らない位です。(記録する気は起こらなかったことでしょう。どうせ踏み倒されるに決まっていましたから。)】
習作「飛行士」も取り込んだデビュー作「南方郵便機」を拾ってくれたのは「新フランス評論」のメンバーでした。(もちろん、ガリマール社の「nrf シリーズ」として出版されました。)

年月が経って変色していますが、この雑誌は一貫して白表紙でした。(通巻188号。「16年目」というのは計算が合わないのではないかと思われます。) フランス国内で5フラン,海外では6.5フランの売価。
610ページから619ページまで、20ページもの紙数を割いて記事を載せてくれているのは、駆け出し文士に対する扱いとしては破格といって良いでしょう。ただしこの記事、サンテックス自身による著者抄録です。推薦評を書いては貰えなかった、ということでしょうか。

「南方郵便機」紹介記事の最初のページ。
