短評・試論

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『星の王子さま』とサンテグジュペリ

 寺山修司 海外フィルムドラマ p.91-118,著者;清水 義和,文化書房博文社,2007年4月10日,ISBN 978-4-8301-1098-6,¥2,500.- +税,A5版 21cm ペーパーバック 232p

 第1章 実験映画『ローラ』『審判』とロートレアモン
 第2章 『魔術音楽劇青ひげ公の城』とバルトーク
 第3章 『星の王子さま』とサン=テグジュペリ
 第4章 『無頼漢』とブレヒト
 第5章 『書を捨てよ、町へ出よう』とジッド
 第6章 『わが心のかもめ』『狂人教育』とワイルド

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『星の王子さま』について

 文学の手ざわり p.126-143,著者;梅田 祐喜,冬耕社,1999年12月10日,ISBN 4-89514-146-2,¥1,905.- +税,A5版 ペーパーバック 163p

 この書物には、著者の履歴や肩書きに関する記載がありません。そうした情報を抜きにして内容そのものを汲み取って欲しいという編集方針なのでしょう。インターネット上で検索すると何件かヒットしますから、どのような人物であるかは一応承知しておりますが、意向を尊重して、著者の人となりについては紹介しないことにします。
 1969年3月から1999年8月までに書かれた文章を12章にまとめてあります。“「星の王子さま」について”は一番若く、1999年8月の日付けです。「あとがき」の日付けが1999年10月ですから、この文章が出来上がるのを待って全体構想が現実のものとなったというわけです。しかし、“「星の王子さま」について”は(最後の章ではなく)第11章に配置されています。おなじく一番古い1969年3月の文章は、第2章に割り付けられています。第1章は”ヴィヨンとランボー”、第12章は“「季節」の窓から −ランボー小論”となっています。ランボーに始まりランボーに終わる構成です。サルトル,セザンヌ,宮沢賢治といったお馴染みの名前が各章に顔を出しますが、全体を貫く主旋律は「死」であるように見受けられます。そして、第10章、つまり、「星の王子さま」の前に、「死と文学」という章が配されます。こうした流れを見据えた上で、第11章「星の王子さま」を理解する必要があります。

 筆者は冒頭で“Le Petit Prince”という題名を取り上げて、翻訳の難しさと不可避的な限界についてさりげなく触れます。“Petit”と“Little”とではニュアンスが異なること,“Prince”が王子とは限らず*、君主という意味でもあること,等が語られます。ふたつとも、次に展開される議論の伏線になっています。そして、「星の」「王子」「さま」が、夢見心地の憧れを誘う題名であることを指摘します。

*  ドイツ語では「小さな王子」以外の意味を持たないと著者は述べます。しかし、これは何かの勘違いでしょう。辞書を紐解けば、Prinz の第一義は「王・領主」,第二義は「王子」と出てきます。そもそもドイツは、永らく強大な統一国家が出現せず、中小国家が興亡した土地柄でした。私はドイツ史に詳しくはありませんが、王 König には及ばず、公 Prinz にとどまった領主たちも多かった筈です。

 ロベールの解釈を頻繁に引用しながら、それを凌駕する緻密な論証が進みます。たとえば、第3節で主語としての“petit prince”という言葉は2回だけで、あとは「彼」という代名詞が使われているのに、内藤 濯 訳では13回も「王子さま」が出現することを指摘します。日本の読者は「星の王子さま」が醸し出す雰囲気にすっぽりと包まれて物語を読み進むことになるのです。
 “Petit Prince”が「小さい王子」だけでなく、「つまらぬ王子」「無能な君主」「バカ殿様」といった意味にもなり得ることが述べられて、「立派な王様」との対比が指摘されます。更に、王子さまが子どもの年齢に設定されていることの意味として、「生れる」=「この世に放り出される」ことであり、王子の旅立ちへと論が進みます。言うまでもなく、物語りの最後には「死」が用意されているのです。
 サンテックスが母親に強い執着を示していたのと同様に、「操縦士」は王子に対して「母親」として振る舞っていることが指摘されます。17ページ余りの短い論文ですが、奥の深さは類を見ません。このページで紹介し尽くすのは不可能ですし、私の読解力をはるかに超える内容で、ちゃんとした要約は無理です。是非、この文章に直接触れて、その内容を掬して戴きたいと思います。

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『星の王子さま』について

 『星の王子さま』について p.1-17,著者;柳沢 茂,自費出版(1000部限定。絶版。製作:岩波ブックセンター信山社),1982年12月25日,B6版、¥1,000.-,ハードカバー 156p,

 著者は1935年生まれ、1961年国立国会図書館に入館し、長い闘病生活の後、1971年に死去しました。享年35、ということになります。30歳を過ぎてから、はじめて「星の王子さま」を読んだとのこと。この書は、死後に出版された遺稿集なのです。
 全部で5章。書名にもなった“『星の王子さま』について”はその第1章です。続いて「ピーターパンの世界」,「狂気と宗教について」,「わかっちゃいない大人たち」、「虹はなぜ美しいのだろう」と続きます。「ピーターパンの世界」が77ページ、ほぼ半分のページ数をを占めます。最後の「虹はなぜ美しいのだろう」は、箴言、というよりは、メモ・走り書きに近い片言集です。

 主にはヘンドリックの論文に依拠して、サンテックスがフリーメイソンのメンバーではなかったかという論証に紙数を費やします。残念なことに、論拠の一つ、惑星番号「2351」がフリーメイソン歴で神聖な5312年の並べ替えではないかという(かなり無理がある)論法は、2351がガリマール社の誤植に過ぎないことが明確になった今、完全に破綻しました。他のさまざまな論拠も、説得性に乏しいものばかりです。しかし尚、サンテックスがフリーメイソンであったという可能性は、倹証するに値します。ポンコツ操縦士の、常識では考えられない現役戦線復帰が、これならば可能であったろうと納得できるからです。(歴代アメリカ大統領中、フリーメイソンメンバー及びその同調者はかなりの数に上ります。もちろん、政府高官や軍中枢部にも。)【私は、サンテックスではなく、B夫人が フリーメイソン婦人部メンバーであった可能性があると考えています。】
 非現実的で幻想的な井戸が、古い伝統に立ち戻って心の渇きを癒すものであるという指摘は、(著者特有のものとは言えないのですが)重要でしょう。この著者も、サンテックスは自殺したのだと考えています。

 この本は、著者の姉 松澤 昌子 さんの編集に負っています。彼女はこの本にサンテックスが描いた「正装した王子」と「3本のバオバブ」の挿絵を使わせて欲しいと遺族に願い出ますが、代表者ジャン・ダゲイ名の冷淡な拒絶状が返ってきます。高額のライセンス料と引き換えに、「王子さま」アイテムが世に溢れている現状を、著者の遺族はどのように見ることでしょうか。(「貴族」が生得的に持つ貪婪な強欲さや、サンテックスが残した経済的な遺産とその著作権・商標登録・他(殊に、自殺と「祖国のための死」との対比)については、稿を改めて拙稿「論考/考究」や「著作権について」で論じるつもりです。)

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便所の中の星の王子さま

 ぼくが戦争に行くとき 反時代的な即興論文 p.100-102,著者;寺山 修司,読売新聞社,1969年8月1日,B6版、¥470.-,ペーパーバック 253p,

 著者の紹介は必要ないでしょう。評論と戯曲であまりにも有名です。1968年10月25日には新宿で戯曲『星の王子さま』が初上演されました(天井桟敷)。
 なぜ「便所の中」なのか? 「 . . . . . . トイレットというのは国家とちょうど反対に、つまり「非常に個人的な空間である」. . . . . . ニューヨークで . . . . . . 『便所の中でいいことをしよう』という . . . . . . 芝居 . . . . . . 」といった一節が、先行する章の中にあるのです。本書の第1章は『ぼくの内なる戦場』と題され、「風に吹かれて 反戦青年委員会*」という節で始まります。このような時代性と、この著者の旗幟を知らずに部分的な拾い読みをすると、内容がよく理解できません。

*  『反戦青年委員会』を知らない人は多いでしょう。60年代後半は世界中が、学生と若者による反体制運動の波に洗われた時代でした。日本でも、ヘルメット・ゲバ棒(これも説明が必要でしょうね)・警棒・大楯・火炎瓶・石・水・催涙弾 . . . . . . さまざまなものがうなりを上げて飛び交っていました。学生の各種グループと警察機動隊が主役でしたが、地区の若い労働者もそれぞれにグループを作って参加しました。各地に誕生した多くの『反戦青年委員会』は、その最も戦闘的な一つとして名を馳せたものです。
 (特定の構成メンバーを持たず、その都度自然発生的に集まる、「ベトナムに平和を! 市民連合」〔略称ベ平連〕のような団体もありましたが、ゲバ棒や火炎瓶とは無縁でした)。

 本文わずか2ページの短いエッセイです。『星の王子さま』を「たった一輪の花を眺めているだけで幸せだ」という「幸福論」として読み解こうとします。つきつめて行くと、見えるものを見ないで、見えないものだけを見ようとするエゴイズムに貫かれており、『星の王子さま』がいつまで経っても子どもであり、決して『星の王さま』には成長しないところが気になると言います。そんな『星の王子さま』への復讐として上記の戯曲を書いたのだそうです。

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『星の王子さま』に関する覚え書き サン・テグジュペリについて

 わたしの児童文学ノート 『星の王子さま』から『巨人の星』まで,p.100-102,著者;上野 瞭,理論社,1970年,B6版、¥1,500.-,ハードカバー 214p,

 副題は“『星の王子さま』から『ハレンチ学園』まで”とした方がよかったのでは、というのが私の感想です。本書は、1967年から1970年初めにかけて書かれた短論文・論評を納めています。はじめは膨大な分量だったものを、削除・縮小してこの形になったとのこと。その結果さまざまな作品が姿を消し、「日本わすれ」という言葉が当てはまるほど海外の作品が大きな比重を占めることになったと、あとがきで釈明しています。なかなかに腰のすわった本格派の論評です。
 内容はまず3つに大きく区切られています。すなわち、note I:日本と外国の本の問題点,note II:外国の子どもの本と作家,note III:日本の子どもの本と作家、です。『星の王子さま』は note II に配され、その内容は5つの節に分かたれています。強いてそれぞれのキーワードを探せば、I;幼児退行現象,II;バラ=文化,III;バオバブ,IV;愛,でしょうか。

 第 I 節は、“最近読んだ「星の王子さま論」の中で、いちばんおもしろかったのは、寺山修司の『便所の中の星の王子さま』である”という書き出しで始まります。「幸福論」として『星の王子さま』を読んだことはないので、その受け止め方にはおもしろいものを感じるというわけです。そして、汚れたおとな社会でのアリバイ(不在証明)として「星の王子さま」が使われる、と喝破し、“レジスタンスとしての「幼児退行現象」もあれば、「逃亡者」としてのインファンティリズムもある”として、『星の王子さま』とその読者を、後者に比重を置いて解釈を始めようとする結びになります。
  第 II 節では、“「花」はなぜ「女性」でなければならないのか”と、大勢を占める解釈に疑問を投げかけ、「愛」や「文化」と受け止める軌道を敷きます。“コントラディクトワール(矛盾撞着)”“ひとつのことばに二つの意味を付与する「未分化性」”といったキーワードを指摘して以下の節へと話を続けるのです。
 多くのサンテックスの作品が引かれます。『星の王子さま』が薄まって、サンテグジュペリ論へと拡散して行くことは避けられません。この著者をしても『星の王子さま』は荷が重かったようで、最後の第 V 節は、“そこに姿をあらわすものは . . . . . . サン・テグジュペリの人生案内だけだ . . . . . . 。”と、いささか投げやりに開き直った結論として「尻切れトンボ」に終わります。

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大人が絵本に涙する時

 大人が絵本に涙する時  著者;柳田 邦男,平凡社,2006年11月24日,ISBN 4-582-83343-8,¥1,400.- +税,19.5cm ハードカバー 223p

 柳田邦男氏は、硬派の社会問題ライターとして知られ、とりわけ航空機の分野では右に出る人がありません。鋭く核心を抉る筆致に見るべき物があります。その社会派の柳田氏が絵本にも興味を示し、解説書を世に問いました。本書はその第2弾に当たります。
 「本書でとりあげた絵本のリスト」によれば、87冊の「絵本」を論じています。96-103ページが“『星の王子さま』― 悲しみは人生の糧”です。
 「亡き息子からの贈り物」と題した項目から、話しが説き起こされます。氏のご子息は、「星の王子さま」を氏にプレゼントした2箇月後に、22歳の命を自ら絶たれたのだそうです。

 医師は、肉親が生命に関わるような病気を疑われるとき、その診断や治療には携わりません。信頼出来る医師に託すのです。軽い病気であって欲しいという気持ちが、正確な判断を狂わせます。とりわけ、非情なまでの決断を求められる外科医にあっては、肉親の情があだとなることを避け難いのです。

 少なくとも、この「星の王子さま」評論に関する限り、氏の分析力は影を潜めてしまいます。いうまでもなく「星の王子さま」は“絵本”ではありません。しかし、柳田氏にとって「星の王子さま」は、特別な思い入れから逃れられない書物なので、あえて“絵本”として本書に仲間入りをさせたのでしょう。特別扱いの原因であるご子息への思いに引きずられ、氏の眼は涙で曇り果ててしまいます。書いてあることは個人的な信条吐露に過ぎず、話にならないほどグズグズに崩れた内容。日頃の氏の筆致からは想像できない状況です。

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残酷な子どもグロテスクな大人

 残酷な子どもグロテスクな大人 p.201-246,著者;春日 武彦,(株)アスペクト,2006年11月07日,ISBN 4-7572-1317-4,¥1,800.- +税,19.5cm,ハードカバー 282p,

 第6章 星の王子さまたち(p.201-246)


<未完>

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文学の子どもたち

 文学の子どもたち 編著:柴田 陽弘,慶應義塾大学出版会,2004年02月20日,21cm、¥2,600.- +税,ペーパーバック 281p,

 第5章 仮想化された子どもたち ― 『星の王子さま』と子ども時代(著者;片木 智年 p.143-178)

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<未完>

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