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総 評 |
| 歳を経た内藤訳は根をはびこらせ、茂った枝葉はこの星を覆い尽くして、もう手が付けられません。陽の陰った星を出て新しく誕生した小惑星を訪れ、今まで知らなかった世界を見て回ろうではありませんか。バオバブ二世が枝を伸ばしている星も中にはありますが、どれも新鮮な雰囲気が満ちていることに変わりありません。あなたが住みたいと思う星を、この中に見つけ出すことが出来るでしょうか。 |
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新訳比較:星巡り住人批判 :運がいい?! :apprivoiser |
縦組みは大チョンボ!三次元空間で生活する鳥や樹上性ほ乳類とは異なり、地上生活者であるヒトの視覚系は、解剖学的にも生理学的にも、上下(垂直)方向よりは左右(水平)方向への視線移動に適応しているのです。読み物の行が長くなったときに、次の行頭へ視線を移動させる正確さは、下→上方向で劣りが目立ち、それはそのまま読書疲れに直結します。また、縦組み・横組みにかかわらず、文字の大きさに比べて行が長くなったときは、二段組・三段組みにする必要が出てきます。最も重要なのは文字の大きさにあった行の間隔と長さであって、縦長の判形で小さな活字の縦組みは無理なのです。「縦書きの方が読みやすい」という主張は、慣れや個人的な趣味の域を出るものではありません。 |
| 「Le Petit Prince 星の王子さま」,三野 博司 訳,論創社,RONSO fantasy collection 1,20cm B6 ハードカバー,142p.,2005年6月30日,¥1,050. -,ISBN 4-8460-0443-0
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縦書きにしたのは賛成できません。王子さまはどちらを向いてる?の項で述べたように、挿絵は読み手の視線の進行方向を考慮して描かれています。右開きの縦書きでは、キャラクターの向きと、読者の視線移動とがうまく合いません。この物語は、ぜひ横書き左開きで製本するべきです。「RONSO fantasy collection 1」とありますから、これから始まるシリーズで、横書きの判組シリーズにすることは出来たはずです。アラビア数字の扱い等、将来のことを考えれば日本語も横書きが主流になることは目に見えていますから、わざわざ縦書きのシリーズにしてしまったことは、失策といって良いでしょう。「校訂に信頼のおける」プレイヤード版を使ったのは、実害はありませんが、実情をよく理解できていません。ガリマール社は信用できません。挿絵問題はもちろんのこと、「43回」や「B2351」等、プレイヤード版も誤りをそのまま踏襲しました。(著作権法上やむを得ないかもしれませんが、本書も「 コッペパン 」つきの「火山のすす払い」挿絵を使っています)。サンテックス自身が校正したと推察され、北アフリカで何度も読み返した(したがって、誤りがあればレイナルヒチコック社に通告しているはず) R&H 版を底本とするべきです。 「あとがき」で述べているように、使用する単語訳の一貫性や、繰り返し部分を忠実に再現することに気を遣っています。これは大いに評価すべきことです。訳語の選び方や言い回しも、直訳といって良い翻訳です。そのために叙情的な含みが少なくなり、日本語としての「こなれ」が不十分になりました。新訳ですから、当然のこと、読者は無意識のうちに内藤 濯 訳と比較します。内藤王子さまは、夜空に音叉の純音を響き渡らせるような、実に澄み切った余韻を残す情緒的名訳です。それに引き比べると、本書は「翻訳調」そのもので、内藤訳に遠く及びません。原典がもつ雰囲気を再現することにも失敗しています。多くの読者を獲得することは難しいだろうと思われます。 前述の「あとがき」で述べられているようなことに意を用いた翻訳は、注釈書その他でも存在したことがありません。本書を注意深く読めば、日本語訳でありながら、原書の言葉遣いを正確に理解することが可能です。酷な言い方かもしれませんが、Le Petit Princce をテキストに使ってのフランス語やフランス文学の講義に副読本として使用するにはうってつけの本です。(ただし、完全に過不足なしの忠実な翻訳をしているわけではありません。たとえば、挿絵の説明「小惑星B612の王子さま」の原文は 「Le petit prince sur l'astéroïde B 612」です。) 誤訳もあります。たとえば「イタチ皮の」「マント」は戴けません。マントという言葉は日本語化していますから、読者はごく限られた形態の衣装を想像してしまい、挿絵を眺めてそのイメージの齟齬に戸惑うことになります。"hermine" は「テン」または「オコジョ」ですが、この場合は挿絵に合わせて「白テン」とすべきです。イタチとは豪華さと品格が違うのです。hermine には「法衣の帯」という意味もあり、白テンの毛皮は「潔白」の象徴なのです。狡猾なイタチでは、意味が変わってしまいます。【皮革業界では「アーミン」と呼びます。高級毛皮に興味がある人ならば知っている言葉ですし、これから次第に多くの人に知られるようになるでしょうから、「アーミン」をそのまま使い、法衣のことと併せて注釈で説明するのがよいと、私は考えております。】 |
| 「Le Petit Prince 新訳 星の王子さま」,倉橋 由美子 訳,宝島社,158 p., 20cm,2005年7月11日(6月25日東京の主要書店で発売開始),¥1,575.-,ISBN 4-7966-4695-7
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残念ながら縦書きです。基本構想が予測と異なるとはいうものの、キリリと引き締まった文体はさすがというべきでしょう。3冊のなかでは一歩抜きん出ています。註釈を必要とする教科書ではなく、文学作品に仕上がっているのです。その点では、内藤濯訳の筆頭対抗馬でしょう。読後感もスッキリとしたものです。音読のリズムは一貫して、破綻を来しません。
内容を抜きにしてまず後書きを勧めるというのもイカガナモノカとは思いますが、本書の一番優れている箇所は「あとがき」なので、買った人はぜひ「あとがき」を熟読して頂きたいと思います。
生前のインタヴューで倉橋さんは「フランス語と英語とスペイン語で読み比べながら翻訳を進めています。」と語っています。これは感心できません。サンテックスが書いたのはフランス語だけで、他は別人が訳したものです。他人の訳を頼りにして翻訳を試みるのは邪道というものでしょう。フランス語だけから翻訳して欲しかったと、残念に思います。
「倉橋老いたり!」と思ったのは、『. . . . . . . . 頭にくるほど楽しそうに、大声で笑った。』という一文に行き会ったときです。40年前ならばとても良い訳です。しかし、今となっては「頭にくる」は滅びつつある言葉。若い人たちは使いません。50年後には死語になっているだろうと思われます。(「トサカに来る」という言葉もありました。ある人気俳優が流行らせようとして遂に受け入れられることなく消えていった言葉です。倉橋さんはこの言葉を知っている年代です。教訓として生かして欲しかったと思うのですが、逆に、「トサカに来るほど」などと訳さなかったことが救いでしょうか。) 倉橋さんらしくない日本語もあります。バラに向かって言う『誰も君たちを . . . . . . 、きみたちも誰かを仲良しにしたわけじゃない。』は、変な日本語です(仲人や恋のキューピッドなら話は別ですが)。ふつうは『 . . . . . . と仲良しになった/仲良くなった』でしょう。原文が他動詞であるのに引きずられて、自動詞であるべきものを他動詞に訳してしまいました。他動詞にこだわるのであれば、他の単語を探すべきでした。 倉橋さんは体調が優れず、充分な見直しと校正の時間がなかったのではないかと思われます。 |
「Le Petit Prince 新訳 星の王子さま」,倉橋 由美子 訳,宝島社文庫,165 p., 15cm,2006年6月14日,¥499.-(税込),ISBN 4-7966-5307-4 文庫本が出ました。明らかに、「安い本ほど売れ行きがよい」ので、どの出版社も文庫本化を急いでいるようす。 |
| 「 Le Petit Prince 新訳 星の王子さま」,小島 俊明 訳,中央公論新社,四六判変形,112 p., 20cm,2005年6月25日(6月23日東京の主要書店で発売開始),¥1,575.-,ISBN 4-12-003643-X
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日本ではなぜかジャケットがメインの表紙として扱われます。加えて、ジャケットの上に腰巻きまで付けた重装備が珍しくありません。
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本当はジャケットを取り除いたのが「本体」ですから、その「表紙」も重視して欲しいものです。その表紙のデザインは左のようなもの。白地に「ゾウを呑んだウワバミ」が、同じライトブルーで印刷されており、スッキリ・シンプルで好感が持てます(古いチェコスロバキア版に匹敵するモダンなセンスではないでしょうか)。さらに表紙をめくって現れるタイトルページには、同じライトブルーで Le Petit Prince の文字が浮かびます。このことによって、ふたつの主張が明らかになります。このライトブルーが本書のモチーフカラーであること、そして、書名の主役は「星の王子さま」ではなく“Le Petit Prince”なのだということです。角山溝付きの製本ながら、のどぎれやリボンに至る隅々まで行き届いた気の配りで、デザインへの力の入れようと相まって、出版社が本気で取り組んでいることを感じさせます(ただし、望遠鏡に星がないのは感心しません)。先発3社のうちでは、頭ひとつ抜きん出た造本です。
サンテックスの文章が持つ響きの美しさを再現することに心を砕いたと言います。確かに、黙読する限りでは、起伏とリズムは悪くありません。内藤 濯訳と競合する「です・ます調」を選んだのも、語尾でリズムを揃えるのと、全体を物静かな感じに整えるためでしょう。気を配った跡は充分に見て取れます。しかし、「響きの美しさ」は実際に朗読してみなければ、本当の成果を判断できません。小島さんはこの作品を声に出して読んでみることはしなかったのだろうと思います。目で追った限りでは調子よく進むものが、声に出すと旨く響かないのはよくあることです。たとえば、小島さんは“Boa”を「ウワバミ」と訳しています。訳の良否はさておくとして、これは発音しにくい言葉なのです。アナウンサーのように発声訓練を受けている人以外では、唇の動きが大きすぎて発音はぎこちなく、それまでのリズムが崩れてしまいます。声に出して読むチェックをしていたら *、「ウワバミ」にはならなかったろうと思うのです。同じことは、他の部分でも認められます。
翻訳の点でも、原文に忠実でない点が散見されます。たとえば、内藤 濯さんが「赤黒先生」と噴飯ものの訳をしてしまった箇所を見てみましょう。2度出てきますが、サンテックスはふたつを使い分けています。“un Mosieur cramoisi”と“un gros Mosieur rouge” です。小島さんはこれを「深紅さん」「ふとっちょの深紅さん」と同じ単語に統一しています(因みに、肩書きその他から何かと小島さんと比較される三野さんは、「真っ赤な顔をしたおじさん」「太った赤ら顔のおじさん」と微妙に使い分けています)。原文を読めない人にとっては、意味は似ていても別の単語が使われていることが解るような翻訳が望ましいことはいうまでもありません。 著書 「おとなのための星の王子さま」で"mouton" と "bélier" の違いを解説したのは、他ならぬ小島さんです。そのふたつを本書では「おとなしいヒツジ」「乱暴なヒツジ」と訳し分けます。 制御しきれない猛獣並みのヒツジでは困るということですからこれでよいのですが、もう一つの裏の可能性、「バラに襲いかかる可能性を秘めたオス」という解釈を排除する翻案になります。できれば生殖能力の有無をも訳し込んで頂けたら、日本語訳を頼りに Le Petit Prince を読み解こうとする人には、ありがたかったのではないかと思われます。 新訳はふたつに大別できます。作家グループによるものと、文学者グループによるものとです。後者に属する本命の一つと期待が大きかっただけに、どうしても不満が先に立ちます。思い悩み考えあぐねたであろう跡が随所に見え隠れして、苦心のほどがしのばれるのですが、できあがりに充分反映されているとは言い難い結果になりました。もう少し熟成期間が必要なのでしょうか。 | |
| 「 Le Petit Prince 星の王子さま」,小島 俊明 訳,中公文庫,156 p., 15.1cm(文庫版),2006年3月25日,¥590.- + 税,ISBN 4-12-204665-3
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| 「 小さな王子さま 」,山崎 庸一郎 訳,みすず書房,A5判,119 p., 20cm,2005年8月24日東京の主要書店で発売開始,¥2,000.- + 税,ISBN 4-622-07158-4
40項目16ページに及ぶ註は、充分とはいえないまでも、サンテグジュペリ研究の第一人者としての面目躍如と言うべきもので、Le Petit Prince 日本語訳を語るに本書を欠かすことは出来ない存在です。実際、フランス国立図書館にあるタイプ原稿やモーガン美術館の手書き原稿(シルビアに贈られた草稿)まで持ち出されては *、素人の私などはただただ恐れ入る他ないのです。でも、不満もあります。
表紙を繰ると扉に2行「星を出るにあたって、小さな王子さまは/渡り鳥の移住を利用したのだと思います」と文章があります。この位置に、図と独立してこの文が置かれる必然性はありませんし、原作の構成に忠実でもありません。また、フランス文学者が訳すとどうしても直訳に近くなる傾向があるのですが、この「渡り鳥」は原作に忠実ではありません。 図の扱いにはもっと気を遣って欲しいものです。第16ページ、望遠鏡の先に星がありません。もっと重要なことが、最終部分に露呈します。第27章の「倒れる王子」の図が第26章の最後になってしまい、更に、エピローグ部分が(同じ大きさの活字を使ったために)第27章に取り込まれた結果、無色の「砂丘と星」の図が第27章の図になってしまいました。これは極めて重要な失策で、この物語の解釈が不充分であることを表しています。この点に関しては岩波版以下です。(この図の重要性については、 三野さんの解説を参照してください。) 他にも細かな不満はいろいろあって、あげつらっていると長くなりますから、短く済ますことが出来るもの数例をあげます。第3ページのヒツジを入れた「ケース」はいただけません。第45ページの「コフキコガネ」(un hanneton)には一驚。(ドレスダウンの註釈に「裸馬」という、極めて限られた人々にしか通用しないスラングをあてたことを思い出します。蛇足であることを承知の上で付け加えるならば、June bug のように季節の名前で呼ばれる虫や花は、地域によってその実体が異なりますから、限定的な種名を特定しない方がよいと思われます)。第20ページの“les moutons”“ils”“tes moutons”が「ヒツジ」「ヒツジたち」と単数になったり複数に訳されたりするのは、訳の正確さに欠けるのではないでしょうか。第51ページ、「あえて心に認めようとはしなかったこと」の「認め」を「シタタメ」と読む人は殆どいないでしょう。「ミトメ」と読んでしまったら、意味不明の文章になります。 きりがありませんが最後にもう一つ。B612 が機体番号と同一であることを述べたくだりで、それを最初に指摘した文献を明示しないのは慣習に反し、非礼と呼ばれても仕方のないやり方です。理科系論文であったら、編集者から突き返されて書き直しを要求されることでしょう。
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愛蔵版「星の王子さま」,池澤 夏樹 訳,集英社,20 cm, p.125,2005年8月25日 東京の主要書店で発売開始,¥1200.- +税,ISBN 408773434X
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「星の王子さま」という題名を踏襲したことについて、訳者は「タイトルについての付記」という一項を設けて言い訳を試みます。「この邦題は優れている。実際の話、これ以外の題は考えられない。」(「星の王子さま」は題名だけで使用され、本文中では「小さな王子さま」と表現されています。表題だけとはいえ「星の王子さま」、いくつかの候補の中からひとつだけ選び出した結果というのならともかく、これ以外「考えられない」としたら、作家としての無能ぶりを披瀝しているに過ぎません。名誉な言明とはいえないでしょう。) そして更に強弁します。「こういうときに日本では古来、その人が住むところの名を冠した。「桐壺の更衣」も「清水の次郎長」もこのゆかしい原理から生まれた呼び名であり、「星の王子さま」もこの原理に沿った命名だからこそ、定訳となったのだ。」 【この程度の理解しかできていないのですかねぇ。「女御・更衣」は「あまた」居るから、与えられた居室名で区別したのですし、ヤクザ界では、下っ端は出身地や身体的な特徴を、親分はその本拠地や縄張りを冠して呼ぶのが普通です。「こういうとき」にはあたらないでしょう。(二段命名法については、拙稿「 没落貴族」の最初の段落をご参照下さい。)】 ゆかしいとは思われませんが、それはともかくとして、救いがたい誤りがふたつあります。第一に訳者は、「王子は地球外からやって来た」と主張するわけです。これは、山崎氏が指摘した「パイロットの内面の投影」という可能性を真っ向から否定する解釈です【拙稿 「星の王子さま」論考/Le Petit Prince 考究 の終章: 夢の胡蝶か胡蝶の夢かもご覧下さい】。この訳者は、物語の解釈に極めて強い指向性を課し、「子供向けの物語」という解釈を踏襲すると宣言するのです。読者は、そこからの逸脱を許されません。「翻訳というのはとても丁寧に本を読むことだ」と訳者は言います。丁寧に読んだ結果がこれだとしたら、新訳を世に問う意味はないのではないでしょうか。 第二に、内藤訳は著作権法の庇護の下、実に52年の永きにわたって排他的な独占権を謳歌してきました。その呪縛からやっと解き放たれた今、どのような題名が「定訳」となるかはこれから決まるのです。Le Petit Prince を「子供向けの童話」としてしか読めないような底の浅い作家にそれを決める資格はありませんし、また、その時期でもありません。
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挿絵に関して不思議な現象が起きています。天文学者の望遠鏡の先に星がない新訳が多いのは理解し難いことですが、本書にもやはり星がありません。この星は重要です。この位置に望遠鏡を持ってきたら、星の行き場がないこと位判りきったことでしょう。もっと心を込めて校正して頂きたいものです。
この書誌中、作家グループの翻訳には、逐語訳的な正確さを求めない方針です。文章全体としての雰囲気や、情景の描写が重要だと考えるからです。したがって、単語としての誤訳よりは、意味上の可否を問いながら文章を読んで行きました。
意味不明なところもあります。点灯夫の星を離れるにあたっての、「王子さまは自分にさえ秘密にしておいたけれども」は、まともな日本語ではありません。「『子供は運がいい』と転轍手はいった。」は解釈に苦しみます。【「運がいい」は慣用句ですが、同様の慣用句を「植物なのに困ったことだ」(慣用では「運が悪い」)と訳しています。これは良訳です。】 もう少し首をひねって(「頭をひねる」p.25 ことは出来ません!)意味が取れる訳を考えて戴かないと . . . . 。
さて、ずいぶん長くなってしまいました。話をまとめましょう。訳者はあとがきで、「あまり小説らしい小説ではない。ここではストーリーはメッセージの容器でしかないから、ごくあっさりしたものだ」と言います。同じ作家グループの倉橋由美子さんが「この結末は小説としては過不足ない見事なものです」と述べているのと好対照。 本書は 、長い期間をかけて岩波版と入れ替わり、売り上げトップの座を占めると思われます。新解釈がありませんから、何の違和感もなく内藤訳のファンを居抜きで貰い受けることが出来ます。軽快なテンポは、若い人たちから歓迎されることでしょう。そして、出版社が渾身の力を振り絞った、価格設定と造本デザインがものを言います。スピン(リボン)の造作は「かわいい!」と歓声を上げさせることでしょう。帯の特殊印刷も人目を惹きましょう。布貼りの落ち着いた質感と手触りは、競争相手を寄せ付けません。女子大生(今や死語!)が「星の王子さま」をアクセサリー代わりに小脇に抱えて街を歩いたブームが、再来するかも知れません。内容は評価に値しなくとも、見てくれ一番の華があります。集英社は商売上手と言うべきなのでしょうか。
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「星の王子さま」(集英社文庫),池澤 夏樹 訳,集英社,15 cm, p.,2005年8月25日 東京の主要書店で発売開始,¥400.- (税込),ISBN 4087604942 文庫版。ペーパーバック。挿絵はすべて単色。本文は愛蔵版と同じ。廉価普及版。本命は愛蔵版ですが、売り上げ部数ではこの文庫版がダントツの数値をたたき出すものと思われます。 |
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「プチ・プランス」,川上 勉・廿楽 美登利 訳,グラフ社,19 cm, p.199,2005年10月14日発売開始,¥1500.- +税,ISBN 4766209192
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「星の王子さま」という題名を採用しなかったことは高く評価します。しかし、これでは芸がなさ過ぎるのではないでしょうか(原作の冒涜といって良いあの単行本絵本やアニメーションの漫画を思い出してしまいました)。「プチ」も「プランス」も多義単語で、多義性を保ったまま日本語に移すことが不可能なことは重々承知しています。考えあぐねた末なのでしょうが、それでも何とかして欲しかったと思います。本を開いて一番目につく特徴は、挿絵が大きいことです。原書(もちろんレイナル・ヒチコック版)より大きい絵すらあります。判形は小さいのですから、まるで絵本の様相を呈します。無理に拡大してあるため、網点の荒れが目立つものもあります。色は薄手で、新訳群の中ではレイナル・ヒチコック版に最も近いものになっています。原作ではキャプションがついた絵とつかない絵があるのですが、本書ではすべての挿絵にキャプションをつけています。不必要ですし、説明文の選択や翻訳が適切とはいえないものもありますから、この試みは失敗といって良いでしょう。 原文付きです(そのため、日本国内でしか販売できません)が、別冊にした方が参照するには便利ですし、日本語訳を読む読者にとって特に必要とも思われません。解説は言い古された内容で、新しい解釈・意見を含んでいません。 会話の tutoyer の語法を表現するために「 . . . . かい?」という語尾を用いていますが、原文の雰囲気を壊してしまい、成功とはいえない結果に終わりました。特に、操縦士と王子が互いに同じ語尾で会話する場面では、非常に煩わしい感じになります。 「. . . . . 、一度、一枚の見事な絵を . . . .(p.6)」はまさに直訳ですが、本書全体では逐語訳はむしろ少なく、結構大胆な(原文を離れてしまう)意訳が多くみられます。はじめは直訳が多いのに、話が進むに従ってなぜか意訳が多くなってゆきます。不適切な訳もあります。たとえば、現代の日本語で「コピー」というと、ゼロックスに代表される乾式フォトコピーを指すのが普通ですから、「ここにあるのが、その絵のコピーだ(p.6)」は戴けません。同じく、「マント(p.48 他)」は、日本語では袖無しの外套のことですので、適訳とはいえません。また、「緋色の服と貂の白い毛皮で作られたマントを」(p.48)は、単純にはその通りなのですが、挿絵と併せると「緋色と白に染め分けた貂の毛皮で作られたマントを」と訳すべきであると思われます。 「そうだとも」 . . . . 「そりゃそうだが」 . . . . 「そのとおりだ」 . . . . (p.118)と同じ原文を少しづつ言葉を換えて訳します。この物語りでは、同じ文言を3回繰り返す手法が多用されます。読み解くべきメッセージが込められていると思わなくてはなりません。これもそのひとつです。日本語版しか読まない読者は、ニュアンスが異なる単語が使われていると誤解してしまうでしょう。ここは、正確に同じ言葉を繰り返さなくてはなりません。 「あとがき」で、「 . . . . カーチス・ヒチコックから『プチ・プランス』の売れ行きが好調である旨の手紙を . . . . 」(p.131)と書きますが、事実に反します。当時英語版 The Little Prince の販売数はまあまあでしたが、フランス語版 Le Petit Prince の売れ行きはさっぱりでした。両版が好調と呼べるほどの売れ行きになるのは、サンテックスが行方不明になったと報道されてからのことです。 出そろった新訳群の中で、本書を推すべき理由を一つも見つけられません。評価は残念なものになりました。 |
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「小さな王子」新訳『星の王子さま』,藤田 尊潮 訳,八坂書房,20 cm(B6 判), p.139,2005年10月25日発売開始,¥1400.- +税,ISBN 4896948629 同時発売 「『星の王子さま』を読む」,藤田 尊潮 訳,八坂書房,20 cm(B6 判), p.189,2005年10月25日発売開始,¥1600.- +税,ISBN 4896948637
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| この他にも、画像は示しませんが、喉裂れの色も異なります。 | |||
翻訳と解説書が、最初からの企画としてペアで同時発売されることは大歓迎です。上の画像でも明らかなように、企画そのものは非常にまっとうなもので、縦書きであること・タイトルページの文字配置が信じられない構成であること、を除けば、デザインその他は水準を超えるものと評価できます。そして、ジャケットの上に巻かれた帯で、互いに「併読をおすすめします」と強調します。当然のことです。がしかし、このせっかくの企画を著者は見事に裏切ってしまいます。子供の読み物という視点の狭さ、子供の読み物に押し込めようという予断、が翻訳の基本方向を誤らせているのです。
訳者は「あとがき」で、『. . . . . 最近何かとこの本が「おとな」のためにあるかのようにいわれすぎていて、当のこどもたちが置き去りにされているような . . . . 。サン=テグジュペリは「子どもたち」のためにこの本を書きました』といいます。『そして、この本の校閲者は、わたしの十一歳になる息子なのです(p.139)』と誇らかにその正当性を謳い上げます。
その同じ著者が、解説書「星の王子さまを読む」の中では、「『星の王子さま』について考えるとき、特に注意しなければならないのは、それが単なる子供向けの童話ではないということです。もちろん子供でも . . . . 。. . . . 。もうこれはりっぱな哲学的問題です(P.37-38)」と説き、度が過ぎるほどに「城塞」を引用して「星の王子さま」の解説を行います。(少なくとも「星の王子さま」が児童書であると主張するほとんどの読者は、「城塞」をまともに読んではいないはずです。)「城塞」を引用しながら「星の王子さま」を解説し、なおそれが「子どものために書れた」と言い張るのは、救いがたい自家撞着です。その根本的な矛盾をこの著者は犯します。そもそも、校閲者である息子さんは「星の王子さまを読む」もお読みになったのでしょうか? そして、その内容が理解できたとおっしゃるのでしょうか? 十一歳であの難解極まる「城塞」を理解できるような、後生畏るべき息子さんをお持ちだとはとても考えられません。二つの書が主張するところは、著者の人格が分裂しているのではないかとさえ疑わせてしまいます。
解説書だけでなく、本書でも『. . . . . 「ボア」にも、そしてこの「毒ヘビ」にも、共通する女性性を見いだすことができると思うのです。「ボア」の女性性については . . . 。「毒ヘビ」は「王子さま」を「殺す」だけでなく、. . . 一種産婆的な役割を担うのだと考え、. . . 。(p. 137)』と「あとがき」で述べますが、「子ども」に解る内容だと思いますか?
また、著者は限度を超えた仮名書きを行い、文章を非常に「読み難く」してしまいます。加えて、子どもには理解を期待できない単語も残してしまいます。
「子どもたちは運がいいな」とこうかん手はいった。(p.104);多くの人が平気でこのような訳をするのは全く驚くほかないのですが、ここで「運がいい」は意味不明な駄訳です。「こうかん手」は良訳とはいえません。仮名書きにすれば尚更です。
. . . とてもシンプルな花があった。(p. 37)/ わたしは、 さい悪のじたいも考えていた。(p. 38)/ でも、花は緑のつぼみの中にかくれて、美しいよそおいのじゅんびをなかなかやめなかった。花はにゅうねんに自分の色をえらび、. . . .(p. 38) . . . . 大臣ににんめいする!」(p. 53)/ 年老いたこのせんせい君主を(p. 55)/「 かっ車 」「風見鶏」(p. 110。同一行内、風見鶏はふりがな付き);「シンプル」は子供には難しいでしょう。その他の平仮名書きは、内容が理解できる年齢ならば漢字でも読めるのではないでしょうか。これらの平仮名は「読み」に適してはいません。
漢字が読めない年齢層を対象にしているのならば、「読み聞かせ」の手法がとられるのですから、耳で聞いて理解できる単語選びをしなければなりません。本気で子ども向きにするのならば、単語の選び直しが必要です。また、読みのリズムも大切です。この2点に関しては大いに不満が残ります。
基本的には内藤訳の焼き直し。フランス語版ではなく、内藤訳をベースにした(もしくは、知らず知らずのうちに内藤訳が下敷きになってしまうほど読み込んでいた)のではないかと思われます。
訳そのものは良くできています。心静かに読み返せば悪くはない翻案なのに、読み終わった後味が良くないのはなぜでしょう。上述の仮名書き過多が原因であることは明らかです。このバランスの崩れは、一旦完成した原稿を「子ども向き」に作り直したからではないでしょうか。「子どもにも読める」ことは「当の子どもたち」ということにはなりません。「子ども向き」という自己矛盾の基軸を考え直して無理な仮名書きを漢字に換えれば、アンバランスが解消されて、ランクは2段階ほど上がる内容です。
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「新」訳 星の王子さま,辛酸なめ子 訳・絵,コアマガジン,20 cm(B6判), p.127,2005年11月25日発売開始,¥1500.- +税,ISBN 4877349006
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既成の殻を破るという、今まで誰もなし得なかった翻案を期待していたのですが、全く別方向へ向かって走る作品を手にすることになりました。この作品、「星の王子さま」ファンからは総スカンを食うことでしょう。重版も覚束ない赤字になるのではないかと、他人事ながら心配です。縦書きで、独自の挿絵(バラの傍らに寝そべるトラの可愛さは必見。サンテックスはイヌをモデルにトラを描きましたが、こちらはネコそのもの)を搭載していますが、そうした事柄を点検する以前の問題で評価が決まってしまいます。
「文学作品」としての評価は、「番外」です。Le Petit Prince は、背景を満たす低くかすかなリズムを主旋律に、蜜の色をした砂漠の風紋が醸し出す陰翳を眺めるに似た作品です。陰翳のひとつひとつを覗き込もうとする人々と、それを拒否する人々との間で様々な解釈の違いが生まれ、作品の基調そのものの受け取り方にも大きな差が存在します。読む人に従って大きく表情を変える物語なのです。
この作品、思い切った子供向けの改作と理解すれば、存在価値もあるのではないでしょうか。【このようなことをいうと Le Petit Prince を児童文学と主張する人たちは怒り狂うでしょうが、それは目くそが鼻くそを差別しているのに過ぎません。】 |
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「星の王子さま」,石井 洋二郎 訳,ちくま文庫,1.8 cm, p.163,2005年12月8日発売,¥580.- +税,ISBN 4-480-42160-2
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文庫版ながらカラーの挿絵。低価格路線で独走状態の集英社文庫版にとっては強敵の出現です。当然のことながら、横書き。文体はです・ます調で、内藤訳の後を追います。原文が「これからおとなになる子ども」と「かつて子どもであったおとな」の両方に向けて語っているので、原則的に子ども達に直接語りかけるような原文の調子を生かすという趣旨から、『です・ます』調を採用したと訳者は述べます。子どもに語りかけるのは「です・ます調」に限りませんし、原文をそう読むべきか否かには若干の問題が残されますが、大きな選択肢の一つであることは疑いがないので、訳者の見識としてはこれでよいと思われます。ただし、「『皆さん』という呼びかけもすべて子どもたちを対象としている」と述べているのには、簡単には賛同できません。数えてみると訳者は、4回「みなさん」を使っています。最初はバオバブを描いた箇所の、「子どもたちよ!」というところで「子どものみなさん!」(p.36)と訳しています。2回目は p.96 に、3回目と4回目は「王子に出会ったら手紙を下さい」というエピローグ(p.157)です。後の3回は、原文はすべて“vous”です。実は原文では、16行のエピローグ中に7回もの“vous”が使われているのです。子どもに対して“vous”を使うことは、相手をおとな扱いしていることを示します。【「子どもたちよ!」をも含めて、すべての「あなた」「あなた方」は「かつて子どもであったおとな」に対する呼びかけであると私は考えています。(内容の理解が無理なのはもちろんのこと、読みこなすだけでも、15歳以下の子供では誤解だらけで、わけの判らない「珍妙な物語」でしかありません。)】
他の新訳に見られない特色がふたつあります。原文では、発言の引用にはダブルクォーテイション(“”)を、対話を表すのにはダッシュ(―)を使用して区別しています。しかもこのダッシュは、普通使われる n dash や m dash ではなく、通常の大文字2個分の長ダッシュです。他の翻訳では両者共に「」を使い、文中に埋め込むか、その度毎に行を変えるかという方法でしか区別ができません。本書では、会話には長ダッシュと行換えを、引用話には「」を使っており、原文の雰囲気が生かされています。
訳者は30冊に及ぶ著書を持つ文筆家ですが、それらは解説書や研究書ですし、本業は大学教授ですから、作家ではなく文学者として本書を評価することにします。すなわち、原文を大きく誤解させることがない訳文であるか否かがチェックポイントの一つになります。そうした観点からすると本書は、かなり意訳が多いのです。たとえば、「いま、自分に見えているのは、王子の外側だけなんだ。. . . 」(p.128)と訳した「外側」の原文は“écorce”(樹皮・果皮・表面・人の外観)で、このあとの「脱ぎ捨てられたぬけがら」(écorce abondonnée)と対応するのです。「外側」と訳してしまうと、「ぬけがら」とのつながりが切れてしまいます。訳者の心中はよく判ります。中身が見える大ヘビと見えない大ヘビ、そして最後の最も重要な、王子が見える砂丘と見えない砂丘へのつながりの方が大切だと判断したのでしょう。それはその通りで、私も賛成しますが、もう少し言葉を選んでいただくか、註を付けていただくかの方策が欲しかったと惜しまれます。考えてみれば、Le Petit Prince を児童書だとする見解からいつまでたっても抜け出せない、読解レベルの低い読者が後を絶たない現実を考えれば、これ位の強引な誘導は必要なのかも知れません。しかしそれであれば、「子どもに向けても書かれている」とする訳者の基本的な立場は、些か危うくなるのではないでしょうか。 |
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「星の王子さま」,稲垣 直樹 訳,平凡社(平凡社ライブラリー),16 cm(HL 判), p.179,2006年1月11日発売,¥950.-+税,ISBN 4-582-76562-9
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出版社のウエブサイトは謳います;「子供のまなざしを借りた大人批判の物語という原著者の意図を見事に日本語化。内藤訳への対抗から新訳がこぞって大人の物語に変えるなか、新定番訳といいうる唯一の訳業」と。たしかに、単語の対応関係にこだわらず思い切った意訳を行い、「です、ます」調の語り口で内藤王子さまが築いた世界の乗っ取りを謀る路線は、岩波オリジナル版を意識した価格設定と相俟って、首位の座を狙うダークホースとしての出現です。訳者は文学者ですが、作家グループと同じように、単語の対応の正確さを無視し、作品としての良否を評価基準としました。「あとがき」で述べているように、こなれた日本文にするために、名詞を動詞として訳すことが多出しますし、原文にない付け加えも随分あります。フランス語に訳し直して絶対元に戻らない点では、辛酸なめ子訳といい勝負なのです。 この訳者も挿絵の重要性が判っていません。右開き・縦組みです。そもそもフランス文学者であれば、メモやノートは横書きで録っていることでしょう。漢字・仮名は横書き用に作られていません。その日本語の文字を使っての書き取りですら、筆記の不便を忍んでの横書きなのに、活字で組んだ(つまり、書字とは無関係な)読み物である出版物を縦組みにするとは、一体何を考えているのでしょうか。公文書は横書きに統一されています。文字の書き難さはあるにせよ、アラビア数字の使用等を考え合わせれば、合理的なことです。読みに関しては横組みが断然優れています。読み物を縦組みにする馬鹿げた因習は、(歴史的文書や古典等を除いて)早く淘汰すべきものです。この時代、フランス文学の翻訳本を縦組みにする頭の固さは、信じられません。【ジュエリー版で横組みの優位性に気づいたのでしょう。岩波書店「オリジナル版 」は横組みです。後発でありながら縦組みにした本書は、組版に関しては後塵を拝することになってしまいました。】
さて、翻案の検討に移ります。既に述べたように、単語レベルでの翻訳の正確さを問いません。たとえば、「 . . . 何千キロも離れた」(マイル)「 . . . 救命ボートで漂流する」(筏)、は訳としては不正確ですが、現代日本語としてはこの方が自然だからです。
「訳者あとがき」で、「そもそも文学作品の翻訳というのは、一般に考えられているほど容易な仕事ではない」(p.175)と、単語数が少なく抽象度が高いフランス語の文章を、自然な日本語に移し替えることの困難さを力説します。このことは、どれほど強調しても過ぎるということはありません。「翻訳の基礎技術は一朝一夕に習得できるものではない」(p.177)と雨後の筍のように簇出した新訳(本書で10種目)の多くを暗に批判する気持ちはよく判りますし、誰かがはっきり言うべきことでした。特に、「先行訳があれば、それを参考にして訳を変えてゆくだけで済む」と、とんでもない誤解をしている(しかも、その「先行訳」が極めて不出来であることが判っていない)読者が多いことを考えると、もっと大声で主張すべきでしょう。この訳者にはその資格があると私は思います。 「子供のまなざしを借りた大人批判」が「原著者の意図」という主張には、私は賛成できません。それはこの作品の価値を貶める解釈です。「子どものための本ということにも配慮して . . . 」(p.178)という考え方に、私は絶対に賛成しません。Le Petit Prince を理解できていない何よりの証拠です。
長くなりましたが、「訳者あとがき」から重要部分をかいつまんで引用しました。「誰の目にも明らか」の「誰」の中に、私は含まれてはおりません。一体いつまで、このバカバカしい「子供神話」 に囚われ続けるつもりなのでしょう。子どもは「量」的な判断をする能力のない未熟な存在に過ぎないのであって、本質的な「質」を捉える能力など持ってはいません。この筆者自身が述べているように、これは「価値の転倒」なのです。無意味な夢想の「理念型」に過ぎません。 目は正確にものを見ています。錯視図形と呼ばれる騙し絵にたぶらかされるのは、目ではなくて脳です。欲望に「目」が眩んで判断を誤るのも脳の仕業。常識に囚われて事実を見誤るのも脳の性質です。激情に駆られて脳を狂わせるのが「心」であることは、誰だって経験があるでしょう。 この物語の一番の欠点、まともなおとなになれなかった、精神的に発育不全なサンテックスの勝手な思いの丈を、この物語の本質などと言ってしまったのでは、Le Petit Prince を本当に読んだことにはなりません。Le Petit Prince は既にサンテックスの手を離れ、古典的名著として多くの読者の中にあります。サンテックスが有していた不健全ともいえる倒錯性は、止揚されるべき対象なのです。Le Petit Prince の本質は、おとな社会批判などではありません。
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「Le Petit Prince 星の王子さま」,河野 万里子 訳,新潮文庫, p.158,2006年3月27日発売,¥476.-+税,ISBN 4-10-212204-4
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帯の白抜き丸の中に「カラー版/たて組み」とあるのには笑ってしまいました。ジャケットは(裏表紙の抄録も含めて)横書きですから、本文の組版については、翻訳者の希望と出版社の都合が折り合わなかったのでしょう。【⇒ 縦書きのシリーズものだから、縦書きにしたのだと思っていました。ところがこの出版社、「抜群に読みやすい『たて組み』!」という新聞広告を出しました(2006.04.03)。「本来ならば横組みにすべきものながら、諸般の事情で縦組みにしました」というお詫び兼お断りではなかったわけです。時代を読めない居直りとしか思われません。】推敲を繰り返したのでしょう、文章自体はよく練られていると思います。甘ったるい童話臭を抑えて、緊張感を保つテンポ良い文体です。しかし、一周遅れの感がある後発ですから、よほどの個性がないと先行群に埋没してしまいます。残念ながらこの翻案、存在を誇示できるほどのパンチ力がありません。
納得できない箇所もあります。たとえば、「ああ!でもそれなら、もう見てきましたよ」(p.57 ; Oh! Mais j'ai déjà vu,..... )は、星を一周してから王様に会ったことになってしまい、誤訳です。「もう判っていますよ」とすべきでしょう。 丁寧に作られた良い翻案だとは思うのですが、11種もの新訳がひしめく今となっては、今少しアクの強さを演出する必要があったと思われます。 |
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「小さな星の王子さま」,河原 泰則 訳,春秋社, p.168+11+15,19 cm(B6 判), 2006年5月10日発売,¥476.-+税,ISBN 4393455029
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音楽家の真骨頂というべきでしょうか、「千マイルほども遠く遠く人里離れた」(p.13, p.16)という箇所には、内藤さんには望むべくもなかったリズミックな韻が認められます。また、「(飛行機の絵だけは、僕、書く気になりません。. . . . )」(p.20)という部分は小活字を使う等、なかなかに工夫が凝らしてあります。「これはね、ものなんていうような生易しいものじゃないんだ。. . . 」(P.20)という語り口には、今までにない新鮮な表現を感じさせます。操縦士の独り言・王子への語りかけ・読者への語りかけ、3つの内容で口調が変わります。読者に語りかけるときは「です・ます」調です。 他の翻案に較べると、訳文の分量が多いのです。「砂漠のまんなかに不時着しなきゃいけなかったという . . . 」(p.21)とか「灌木っていうのは、たとえばつつじとかやまぶきなどがそうですが、枝みたいにひょろっと細い幹をたくさん持った、背の低い木のことです」といった、原文にはない文があるからです。このように、説明的な付加文が多いのは、「子供に読み聞かせる」(後述)ことに気を遣った結果なのでしょう。多くの漢字に振り仮名が振ってあるのも、「こども」が読むためのものでしょう。しかし、それであれば、まだまだ「こなれ」が不充分なところが残っています。 「バオバブのタネが冒していたのです」(p.65)「職務上のきまり」(p.83)といった表現は、「子供」には無理でしょう。誤訳も少なくはありません。“rose”を「赤っぽいピンク色」(p.27)と訳すのは、フランス語の“rose”を誤解している可能性があります【ピンクの原義はローズピンク(濃い色ではありません)なので、「赤っぽい」は不要だと思われます】。「ゾウの一族」troupeau (p.33)は(確かにゾウの群れは家族集団なので動物学的には正しいのですが)、やはり「群れ・集団」と訳すべきものです。「とうとう果実のようなかたちとなって . . .」comme le fruit d'un problrèm . . . は、日本語としても意味不明な誤訳です。 全部通して音読してみれば判ることですが、文が長く、読み聞かせに適していない部分が少なくありません。【例:「でも、六つのときにボアの外がわと内がわとを描いたきりのこの僕が、今こんな歳になってまた絵を描こうというのですから、それはなかなかたやすいことではないでしょう。」(p.30)】 付記2(p.173)で、表題を「小さな星の王子さま」としたことの説明をします。しかし、説得性がありません。要するに「星の王子さま」という題名から逃れられなかっただけの話で、言い訳を並べ立てているに過ぎません。また、「サンテグジュペリのこと」(p.174 - 175)で略歴を述べますが、僅か2ページの記述が間違いだらけなのは問題です。 サンテックスを「子爵の子」と述べているのは珍しい主張です。その可能性があることは私も指摘しましたが、日本では少数派。ドイツには「子爵」とする人が比較的多いので、この訳者はドイツ流なのかも知れません。 「空軍でパイロットになる教育を受ける」;フランス空軍はまだ存在しません。自費で民間資格を取りました。 「1925年、飛行士で文壇デビュー」;1926年4月。「飛行士」(雑誌「 銀の船 」収載)は素人の習作で、“文壇”デビューは「南方郵便機」とするのが普通です。 「1938年、飛行中の墜落事故」;離陸失敗を「飛行中」とは言わないでしょう。 「1944年末『ある人質への手紙』出版」;1943年です。 「『人間の大地』1939年初頭」;初頭といえば1月のことですが、英語版の出版は2月、フランス語版は3月です。 朗読CD付きです。巻末に朗読部分のフランス語付きでなかなか親切なのですが、操縦士も、王子も、同じ調子で読まれるので、違和感が拭えません。声色を変えるか、複数の人間で朗読するか、どちらかにする必要があります。 |
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「星の王子さま」,谷川 かおる 訳,社,ポプラポケット文庫 417-1, 18cm, p.164,2006年7月9日発売,¥599.- (税込み),ISBN 4-591-09340-9
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会話に特徴があります。「なんで?」「だって、ぼくんとこ、すごく狭いから」(p.19), 「そんなのは何だって?」「キノコッ!」(p.43) 読むよりも、聴くに適したリズム。地の文も発音に向いた語感を保っています。単語選びも文の調子も、子供向きではありません。「物思(ものおも)わしげな沈黙(ちんもく)のあと . . . 」(p.22),「でも、利発(りはつ)そうに、」(p32)等は、振り仮名があっても子供には無理ですから。訳の正確さには問題があります。救命ボート(p.13),帽子を落とすには(p.69),王子さまは白状していないけれど(p.85)と言った調子です。「殿下」(p.61)は「陛下」の誤りです。すぐ後に「陛下」(p.66)と出てくるのですから、気をつけて見直していれば防げた間違い。 もっと早く出版されていれば、売り上げ上位に食い込めただろうと惜しまれます。これからどこまで頑張れるか . . . 。 |
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「ちいさな王子」,野崎 歓 訳,光文社古典新訳文庫,2006年9月20日(実際は9月7日に発売),p. 174,,¥ 552.- +税,ISBN 4334751032
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「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」と、このシリーズは謳います。Le Petit Prince を古典と呼ぶには少し早いとは思いますが、その古典新訳シリーズ先陣としての配本です。表紙のデザインは、このシリーズに一貫して用いられるモチーフに従った線画。現代日本語にこなれている点と、音読に適した単語選び・文構成が為されている点で、後発ながら出版する価値がある翻案です。内容も、細かな点にまで目が行き届いています。たとえば第7章(P.37-43)、Prince と操縦士の「トゲ論争」; Prince はB612 に残して来たバラのことを「お花」と呼び、一般の「花」と区別します。操縦士は、初めのうちは「花」と言っていますが、Prince にとって「大切な花」であることが判るにしたがって「そのお花」「お花」と呼ぶようになります。原文にはこのような使い分けはありません。日本語だからこそ出来る陰翳描写と言ってよいでしょう。登場人物が示す事情理解と感情移入を、使う言葉の推移によって表現する優れた翻案であると思います。【ただし「お花がとげをつくるようになってから、もう何百万年もたってる」のように、翻訳の混乱もあります(これは「あのバラ」のことではありませんから「花が」とすべきです)。】 訳文は軽快です。「そのおとなは何でもわかる人で、こどものための本だってわかるのさ。」といった調子。単語の長さやアクセント、句読点の配置も音読を掣肘しません。【ただし、この「だって」は問題を残します。「子供のため(の本)であっても」「子供のため(の本)だということが」の2様の解釈が可能だからです。またこの軽快さは、必然的に、サンテックスの文章が持つ、余韻と悲しさをうちに秘めた響きとを、そぎ落とすことになるのを避けられません。】 信じられない誤訳もあります。「モーターの分解修理」(p.16)は内藤訳の轍を踏むものです。「蚊のこと?」(p.69)は、なぜ mouche が mostique に化けるのか、理由が判りません。
良くできた翻訳なのですが、売れ行きは悪かろうと懸念されます。表紙と標題が原因です。
この物語を「絵本」と表現してしまう人が後を絶たないほど、挿絵は重要な地位を占めます。表紙に挿絵を使うことは、売り上げを高めるためには絶対に必要なことです。それを本書ではしませんでした。シリーズのコンセプト上致し方なかったことと察しはしますが、それに加えて標題が「ちいさな王子」であることは致命的です。Le Petit Prince は「星の王子さま」として認知されているのですから、挿絵を使わない表紙とこの標題では、この文庫本がサンテックスのあの物語であると気付く人はいないでしょう。そもそも、店頭で手に取っては貰えない確率が高いのです。
後書きで述べている、「子どもに対し(あるいは大人のうちなる子どもに対して)、より真率に、直截に語りかける、きっぱりとして飾り気のない調子を意識すべきだろう。実際、とりわけ後半の悲劇的展開において作者は、簡潔にして澄明、そっけないくらい剛毅な文体をつらぬいている。」という部分が、訳文の調子を選ぶに際しての骨幹を表していることは明らかですし、全くその通りなのです。内藤 濯さんの情緒過剰な「童話」が先行し、ひろく行き渡ってしまったために、甘ったるい文調を期待する向きが多いのは、この物語をあるがままに理解する妨げとなっています。が、しかし、原作者の文体に関していえば、この訳者がいう通りというわけでもありません。 |
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「星の王子さま」,三田 誠広 訳,講談社青い鳥文庫,p.190,18cm(新書判), 2006年11月15日発売,¥560.- +税,ISBN 4-06-148749-3
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パラパラとページを繰ってすぐ気付くことは、挿絵が全て単色だということです。この点で、他の新訳群に較べてひどく見劣りします。シリーズものの文庫本なので仕方がないことなのでしょうが、挿絵をほとんど持たなかった岩波書店の「星の王子さま」(少年文庫版)がはじめは人気がなく、彩色挿絵の大型本を出版してブームを作った教訓は、生かされていないようです。唯一のカラー挿絵として口絵代わりに綴じ込まれた絵はがきの色は、(個人的な好みの問題ではあるのですが)原画の品位を貶めるものだと、私は危惧します。賑々しくちりばめられた星々とダークブルーの背景は、「王子の肖像」に泥を塗るセンスであると思うのです。
訳者本人が宣言するように、「子ども向き」に徹した翻案で、漢字には振り仮名が振られます。そのためなのでしょう、原文にはない説明文の挿入や、改訳が至る所に見られます。たとえば: 「あとがき」で述べる事柄は、事実に合わないことが少なくありません。それなのに、「ぼくの言うことは信用できると思ってくれていい」と呆れかえるしかない増長ぶりを示したあげく、「すべての漢字にふりがながついているわけではないので、少しむずかしいかもしれないが . . . 」と、著書「星の王子さまの恋愛論」(現在は他の出版社)を自薦するに至っては、その人格を疑ってしまうほどの無責任ぶりです。【同書は「星の王子さまの解説書」などではありませんし、子ども向きの内容とはかけ離れたものです。「ふりがな」を振る・振らないといったレベルの問題ではありません。】
心配してはいましたが、その想定をはるかに下回る劣悪な「子ども向きの」文章と内容。筋書きだけが Le Petit Prince をなぞり、原作の細やかさはまったく影を潜めています。辛酸なめこ訳よりは原作に近いか、というのが本書に対する総合評価です。 | |||||
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「小さい王子」,石原 理通,石原書店,A5 判 21.6 cm, p.141, 2006年12月1日発行,¥1500.- +税,ISBN 4-9901934-2-3 巻末にある「著者略歴」の文章(地名・書名は英語読みですし、サンテックスのことを「テグジュペリ」と呼んだり、風防の説明がおかしかったり等、素人並みの知識しかありません)から察するに、この翻訳者はフランス語を解せず、英語版から翻訳したのであろうと推察されます。英語版の著作権保護期間はまだ終了していませんから、著作権法上問題が残ります。 |
ジャケット。黄色の星は印刷ではなく、星形の切り抜きを通して表紙の黄色が見えているのです。シンプルな構図・色とこのアイデアは(独創というわけではありませんが)、秀逸といって良いものです。ただし、そのために本体の表紙が黄色一色と呼んでも良いほどの色づかいになってしまいました。少々品格に欠けるので、時が経つとジャケットが失われ、表紙がむき出しになる例が多いことを考えると心配です。(この切り抜き部分に月か太陽を持ってくる方法もあったのではないかと愚考いたします。)
視覚障害者向きに音声コードを組み込んだ意欲的な企画とのふれ込みに大いに期待したのですが、残念ながら翻案は極めて不出来です。
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B612 のバラ。「翻訳には初版本を使いました。また挿絵もすべて初版の色を忠実に再現してあります」と述べていますが、レイナル・ヒチコック版ではなく、 ハーコート・ブレイス版を使ったことはこの絵からも明白です。視覚障害者向けに、各ページに特殊な音声コードが印刷されています。右下の四角いドットの塊がその PS コード。専用器具(別売り。¥99,800.-)を使えば、読み上げ音声を聞くことができます。しかし、問題があります。 まず第一に、音声化の観点からすると、この翻案の文章は長すぎます。単語の選び方も、聞き取りに適したものではありません。 第二に、PS コードシステムはまだ未完成なようです。音声化技術の未完成さや器具が高価なことと相俟って、この不出来な翻案に PS コードを付加する意味はなかったと悔やまれます。改行の処理や、点字化への完成度をもっと磨く必要があるようで、いっそうの努力をお願いしたいところです。将来は有望で、視覚障害者にとって希望がもてるシステムだと思われますから、ぜひがんばって欲しいものです。(ただし、文学作品に関しては質の良い朗読が望ましく、PS コードが出る幕はないと思われます。)
「訳者略歴」に3ページも費やし、カラーの顔写真までついていますが、読者は望まないでしょう。金さえ出せば掲載してくれる「紳士録」や、会員にしてくれる名ばかりの「学会・協会」も存在します(新興宗教やいかがわしい団体の集金業務が多いようです)。そもそも「バイオロジカル」な業績がおありになるとも思われません。肩書きを振り回す人を私は尊敬出来ません。 |
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漫画でよみがえる 星の王子さま,たまだまさお:絵, pp.160(ただしページ番号は無し),A5 版 21 × 15 cm, PHP 研究所, 900円 + 税,発売:2009年3月12日, ISBN-978-4-569-70641-2(4-569-70641-X)
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